第2章 凱旋(2)


 ノルマンデーの海岸線が見えてきた。数ヶ月前出港したサン・ヴァレ
リイの海岸である。
船団が近づくと、岸辺を埋めた民衆から大歓声があがった。兵士たち
も、剣を抜き、空にかざして歓呼に応えた。

 ウィリアム王は、ランフランク僧院長の助言どおり、ゆっくりと、時間
をかけて、イングランド征服に乗出した時の逆コースを凱旋する方針
をとった。
風待ちの時祈祷を頼まれた寺院の司教は、寄進の金額に驚いた。

 4月には西南の港町フェカンに移動した。



 フェカンは現在北海のタラやニシンをとる遠洋漁業の大きな漁港で
あるが、当時も沿岸漁業の中心であり、町は富裕であった。
町をはさんでいるような丘に登ると、風光明媚な海岸美が楽しめる。
余談であるが、後年文豪モーパッサンがこの景色を愛し、住んでいた
といえば、文学好きの読者にはより身近に感じるかもしれない。

 ノルマンディー公爵家は、ヴァイキングの祖先を辿れば、この界隈
が、スカンジナビヤから南下して,最初に定着し始めた場所である。
公爵家ゆかりの教会や修道院があった。

 ウィリアム王は、1067年という新しい年のイースター(復活祭)を、
この由緒あるフェカンで祝った。先祖に戦勝を報告する為であった。
これは、酋長ロロに率いられてきたノルマンの末裔たちの一体感を高
揚させた。教会には驚くほど多額の寄進をした。

 ミサ聖祭には、盛装した妃マチルダ、嫡男ロバート王子やアガサ姫
など王女たち、きらびやかな僧衣をまとった聖職者や、貴族騎士諸侯
や大商人、その夫人令嬢が派手やかな衣装をつけて出席した。
人質のイングランドの有力者たちもひときわ華麗な刺繍の服装に、宝
石や装飾品を帯びて、人目を惹いた。



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