ガイ・フォークスの火薬陰謀事件とその背景
(前頁より)
(1)英国国教会の成立
もともとカトリックのイングランドにプロテスタントの国教会を開いたのは
ヘンリー8世である。
王は在世中に6人の王妃を取り替えたが、最初の妃キャサリン・オブ・アラ
ゴン(ヘンリーの兄嫁だった)との離婚問題で、1527年に時のローマ教
皇クレメンス7世に承認を求めた。しかし教皇はこれを認めなかった。
ヘンリー8世は、カンタベリーのクランマー大司教に、キャサリンとの結婚
無効という方法で離婚を行い、同時にアン・ブリーン(キャサリンの侍女)
との結婚を承認させた。
怒ったローマ教皇クレメンス7世は、1533年ヘンリー8世とカンタベリ
ーのクランマー大司教を破門した。
この措置に対しヘンリー8世は1534年、議会で「国王至上法」を成立さ
せ、自分が「英国教会の領土内で唯一最高の首長」と認めさせた。
また「王位継承法」によって、キャサリンの継承権を廃し、アン・ブリーン
の子孫へ王位継承を認めた。
この一連の措置に敢然と反対したのが、「ユートピア」の著者トーマス・モア
である。トーマス・モアは当時大法官としてヘンリー8世の寵臣であったが、
同時に敬虔なカトリック教徒であった。
彼は反逆罪でロンドン塔に投獄され、1535年斬首された。
ヘンリー8世は徹底したカトリック弾圧策をとった。
(ドイツのプロテスタントは、マルチン・ルターが神学論争でローマ・カト
リックと対立したのに比し、英国のプロテスタントの成立は、その動機は政
治的あるいは俗利的であったといえよう。)
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