UKを知ろう


ケント公ボーア戦争100年記念に謝罪


現地民収容所での虐殺はブリテン(英国)の恥辱と




10月9日のBBC NEWSは、エリザベス女王の従兄弟である
ケント公爵が、南アフリカの首都ヨハネスブルグの南190マイル
(約300キロ)のブランドフォートの町のBloemfounteinを、Thabo
Mbeki大統領とともに訪れ、現地民収容所の犠牲者に贖罪の献花
をしたと報じている。



ケント公は、当時現地民ブラック・アフリカンに対し、大変ひどい
仕打ち(dreadful abuse)をした事は英国の恥辱(Britain's shame)で
あり、このような権利の無視が2度とあってはならない(Never again)
と述べた。

ボーア戦争(あるいはブール戦争BoreWar)は、今から100年前
に勃発した。
当時南アフリカのボーア人の国トランスバール共和国とオレンジ
自由国では金とダイヤモンドの豊富な鉱脈が発見された。
これに目をつけた英国は両国を圧迫した。

たまりかねた2国は同盟して1899年10月11日英国に開戦した。
約2万のボーア軍に対し、英国はカナダ・オーストラリア・ニュージ
ランドなどからの義勇兵を含む50万の圧倒的大軍で侵略し、た
ちまちボーア軍を破った。
ボーア人はゲリラ戦に転じ抵抗したが1902年5月敗北した。

この間現地の黒人たちは両軍に強制的に徴兵され犠牲者とな
った。
現地の黒人から見ると、この戦争は英国とアフリカに居付いた
ボーア人移住者たち(Bore settlers)の間の、『白人たちの戦争』
Whitemen'sWarであった。



悲惨なのは、英国軍がゲリラの根拠地を一掃するとして、老人婦女
子などの非戦闘員を強制収容所(concentration camp)に容れ、村落
を焼き、虐待して死亡させたことである。
12、000人以上の民間人が強制収容所で死亡したという。

BBCでは戦死者は英国兵22、000人、アフリカ兵(ボーア兵)
20、000人、黒人兵14、000人という。
民間人を含めると7万人の人命が、一国の欲望の犠牲となった。

戦争の様相は悲惨を極め、世界の世論は英国を非難した。
英国は南アフリカを支配下においたが、典型的な英国帝国主義
侵略であった。

そして100年が経ち、英国を代表して王室が、迷惑を蒙った現地
黒人の犠牲者たちに対して、「黒人の権利の無視が2度と有って
はならない」と、英国の非を率直に認めた。


太平洋戦争で東南アジアに何かと問題を起こした日本にとって、
かっての植民地支配地域に対する英国の対応は大変参考になる
と思った。

かっての大英帝国は、外においては植民地に贖罪し清算し、
内においては、イングランド中央集権からスコットランドやウェールズ
(かっての披支配国)への地方分権あるいは北アイルランド宗教戦
争の終結など歴史的な過去の清算を行い、21世紀に身軽に対応
しようと言う大きな戦略を描いているように見える。

香港返還ではチャールズ皇太子が現地に飛んだ。「君臨すれども
統治せず」というが、今回はケント公。王室外交健在であると感じた。


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