われ国を建つ


前編「見よ、あの彗星を」のあらすじ




10世紀から11世紀初頭のイングランドは、北海周辺のノルウェーや
デンマーク・ヴァイキングあるいは対岸のノルマンディ地方のノルマン
民族の侵略に晒されていた。

1016年、デンマーク王子カヌートは、イングランド王国を統一したア
ルフレッド大王の血統を継ぐエドマンド剛勇王を滅ぼし、イングランド
王となった。
カヌート王はエドマンドの父エセルレッド無分別王の第二王妃であっ
た美貌のエマを、自分の第二王妃とした。その後カヌート王は、デン
マーク王位を継承、ノルウェー王を下して北海を支配し、キリスト教に
帰依し、「カヌート大王」と呼ばれ、三国を見事に統治した。

大王の死後は、その王子たちの争いで再び乱れた。エマ王妃と先夫
エセルレッド王の間に生れていたエドワード王子は、少年の頃身の危
険を感じ、母の実家ノルマンディ公の許へ亡命して修道院で生活を送
り、敬虔な修道士となっていた。
エドワード王子には、どろどろした俗世間の権力闘争には全く興味が
なかった。

しかしながら、運命は皮肉である。カヌート大王の王子たちは、どうい
うわけか短命であった。カヌート大王の腹心の大豪族ゴッドウィン伯
は、アングロサクソン人の中で生き延びるため、したたかな手を打った。
アングロサクソン人の尊敬するアルフレッド大王の血を引くエドワード
王子を、ノルマンディの草深い修道院から母国イングランドへ迎えた。

1042年、38歳の修道士、エドワード王子は26年ぶりに帰国した。
ゴッドウィン伯はエドワードをイングランド王位に就けただけではない。
3年後の1045年には自分の娘エディスを王妃として政略結婚をさせ
た。しかし、敬虔なエドワード王は教会に参詣し、神に祈る日々が多く、
国民から懺悔王と呼ばれていた。

ゴッドウィン伯の息子たちは爵位を受け、イングランドに広大な領土を
保有した。なかでも次男ハロルド伯は武勇に優れ政治力もあったから、
ゴッドウィン家が実質的にイングランドを統治しはじめていた。
エドワード懺悔王とゴッドウィン一族との間に確執があり、王は美貌の
王妃をかまうこともなく、ゴッドウィンの専横政治に口を出すこともしな
かった。内心ではハロルド伯を疎ましく思っていた。
三男トスティ卿は兄ハロルドと仲が悪く、懺悔王には寵愛されていた。

病弱なエドワード懺悔王には子供が生れず、イングランド王位の行方
は欧州各国興味の的であった。王はウェストミンスター大寺院を建立
した。

宰相の座にあったハロルド伯は、王の義弟であり王位を狙う一人であ
った。ところが1064年の初夏、舟遊びの途中嵐に遭い、ノルマンディ
に流され囚われの身となったところを、ノルマンディ公ウィリアムに救
出された。

ノルマンディ公ウィリアムもまた大叔母エマの縁があると王位継承権
を主張していた。ウィリアム公はハロルド伯がイングランド王位継承を
しないことを誓約させ、帰国させた。
ハロルド伯は懺悔王の信任厚い弟のトスティ卿を、1065年11月国
外に追放した。

1066年1月、エドワード懺悔王が没し、ハロルド伯がイングランド王
として戴冠した。ノルマンディ公ウィリアムは直ちに異議を唱えた。

ノルウェー・ヴァイキングの王ハラルド・ハードラダに王位継承を持ち
かけたのは、ハロルド伯に復讐を企てた弟のトスティ卿である。

ノルマンディ公ウィリアムがフランス王との確執で、王を屈服させた騎
馬軍団を有すれば、他方、ハラルド・ハードラダ王も北海の巨王として、
大水軍を統率していた。共に幼少の頃から数奇な運命を乗越えてき
た稀に見る傑物であった。

この年4月、夜空に不気味な帚星が現れた。後にハレー彗星と呼ば
れた大彗星である。

ハラルド・ハードラダ王とトスティ卿の連合軍は、アングロサクソン大
貴族モルカール・エドウィン兄弟の率いるヨーク軍団を撃破した。が、
油断したため、北上したハロルド王の軍団にスタンフォード橋に急襲
され、あえなく破れ戦死した。トスティ卿も実兄ハロルド王に討たれた。

この間、ノルマンディ公ウィリアムは、ローマ教皇の信任厚いル・ベッ
ク修道院長ランフランク師を介して、イングランド侵攻の許可を得、聖
ペテロの旗幟を下賜されていた。

ゴッドウィン家ハロルドに付いていたスティガンド大司教は、保守的な
前教皇の配下にあったから、ウィリアム公とハロルド王の対立は、新
旧ローマ教皇の権力闘争でもあった。

ウィリアム公は腹違いの弟オド大司教をはじめ自慢の騎士団と、その
槍騎兵軍団をもって英仏海峡を渡った。ハロルド王の歩兵軍団は休
む間もなく南部海岸まで引返した。将も兵も疲れ切っていた。ヘイステ
イングの丘の上に陣取って「楯の壁」を築いたたハロルド王の歩兵軍
団に、騎馬軍団の攻撃は苦戦したが、長弓の矢を雨の如く放ち、遂に
イングランド王ハロルドを倒した。

ハロルド王の戦死を聞いたアングロサクソンの大貴族モルカール伯や
エドウィン伯たちは、エドマンド剛勇王の孫になるエドガー・ザ・エセリ
ング王子を新王としたが、騎馬軍団で席巻するウィリアム公の戦力に
おびえ、全面降伏と絶対服従を誓った。

かくしてその年12月25日、ノルマンディ公ウィリアムはウェストミンス
ター大寺院でイングランド王として戴冠式を行った。

しかし、まだアングロサクソンの大豪族は各地に残っていた。スコット
ランドにはマクベス王を討ったマルコム王が虎視眈々と南下を狙って
いた。
故郷ノルマンディにもフランス王の策謀が巡らされていた。
ウィリアム王の前途にはどのような抵抗や反乱があるのか、王はイン
グランド征服の大事業をどう展開するのか。いろいろな愛情や憎悪、
創造や破壊、権勢欲と骨肉の争い、成功と虚しさ・・・・・。

前編「見よ、あの彗星を」の冒頭に登場し、姿を消していた人物たちの
子孫や縁者たちが、続編「われ建国す」で意外な活躍をする。
歴史の面白さであろう。


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