UKを知ろう

英国とアフガニスタン(2)

複雑な地勢と諸文明の交叉



緊張感の絶えぬ地勢と複雑な民族の分布

 現在の国境は、東部南部はパキスタン(旧インド領)に、北部はトル
クメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン(いずれも旧ソ連邦)に、
西はイラン、北東部は中国に接している。つまりぐるりと四方を取り囲
まれて、緊張感の絶えぬ地勢である。

 北東から南西に、ヒンドゥクシー山脈が走り、平野部は山脈の北
(アフガニスタン・トルキスタン地方)と南に分かれている。



 地勢と民族の分布と言語は複雑である。主導権をとっているのは
首都カーブルやカンダハールなどの都市を抑えているパシュトゥー
ン族(アフガン族)である。
アフガン族にはドゥッラーニー族とギルザイ族の二大部族があり、互い
に反目してきた。

南東部から南西部  パシュトゥーン族(最大多数38%、パシュト語)
北東部および西部  タジク族(25%、ペルシヤ語系)
北部           ウズベク族(6%)、トルクメン族(チュルク系語)
中央山地        ハザーラ族(19%)、モゴール族(モンゴル系)
東部山地        ヌーリー族
西部           チャハール・アイマール族






侵略に晒されたシルクロード要衝の歴史

 アジアの中央部に位置するアフガニスタンは、東西に走るシルクロ
ードと、ロシアとインドを結ぶ南北の交通の要地であった。古くから、
諸民族が進入し、諸文明が交叉してきた。
 古代からの文明の伝搬と侵略の歴史を概観しよう。

BC20-10世紀 アーリア系民族が移住

【ペルシアの支配】
BC6世紀    ペルシアの支配下になる。
BC4世紀    アレクサンダー大王、ヘラート、カンダハール、バルク
          制圧、インドに進入。

【インド・マウリヤ王朝の支配】
BC305年頃   インド・マウリヤ王朝のチャンドラグブタ王、ペルシヤ
          軍を破り、アフガニスタン東部はインド領となる。
          第3代アショーカ王は仏教に帰依、アフガニスタン
          にも多数の磨崖碑、石柱碑など仏教遺跡を残す。

【ギリシヤ系・イラン系王朝】
BC3−2世紀  ギリシヤ系バクトリア王国、イラン系バルティア王国
          アフガニスタンを二分し抗争。

【クシャナ王朝・仏教信仰】
BC1世紀    イラン系クシャナ族が南下し、イラン・アフガニスタン・
          インド北部にクシャーナ王朝を作った。
AD2世紀半頃 カニシカ王、ガンダーラを中心にインドから中央アジア
          に跨る大王国を建設。ギリシヤ文化と仏教文化が
          融合し、ガンダーラ美術が生まれた。

        注 釈迦は仏像の制作を禁じていたが、ガンダーラで初
          めて仏教で仏陀を表わす仏像が作られた。ガンダー
          ラの仏像はギリシヤ風の容貌や頭髪、着衣など写実
          的である。

          バーミアンには大小2万に及ぶ窟院(僧坊と祀堂)が
          岩に掘られ、世界最大の53メートルの大磨崖仏が彫
          られ、仏教文化の中心地であった。

AD3-4世紀  クシャーナ王朝はインドのグブタ王朝、ペルシヤのサ
          サン王朝の前に衰退。
AD6世紀    国内の統治は分裂。

【アラブ支配・イスラム信仰】
AD7世紀    アフガニスタンの大部分はアラブ支配下になり、イスラ
         ム信仰となる。
AD820年    ターヒル朝
AD867年    サファール朝
AD874年    サーマン朝
AD962年    ガズニ朝
AD1215年   ファーリズム・シャー朝と目まぐるしく変遷。

【モンゴル・チムール王朝】
AD1221年  蒙古進入。
AD1397年  モンゴル族のティムール進入しティムール朝の支配下
         になる。

【インド・ムガル王朝の支配】
AD1526年  ティムールの子孫バーブル、インドのデリー王につき、
         ムガル帝国を創設。
         その後200年間、アフガニスタンはムガル王朝とイラン
         のサファビー王朝に分断支配された。

【アフガン族とトルコ系イランの抗争】
AD1722年  アフガン族のマフムード、イランに侵入しサファビー王
         朝を倒した。
AD1737年  トルコ系のナーディル・シャーが、イランからアフガン族
         を追い出し、アフガニスタンに侵入、カンダハール、カ
         ーブルを占領。さらにインドのデリーまで進出。

【アフガン氏族国家建設】
AD1747年  ナーディル・シャー暗殺され、配下であったアフガン族
         の一派ドゥッラーニー族のアフマド・ハーン・アブダリー
         がカンダハールでアフガニスタン王となった。
         (アフマド・シャー・ドゥッラーニー王)

         アフマド・シャーの子チムール・シャーが首都をカーブ
         ルに決めた。チムール・シャー没後、王位継承争い。

AD1818年  バーラクザーイ族のドースト・ムハンマド実権を握る。
AD1838年  ドースト・ムハンマド王位につく。(バーラクザーイ王朝)
   
19世紀になると、世界の大国がアフガンの地の利を狙って、侵略を画策する
ようになった。




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