キューバ フィンライ死去50年記念 1965 | ||
フィンライの肖像 | フィンライのサイン | 愛用の顕微鏡 |
助手のデルガド博士 | 記念碑 | フィンライ理論の発表風景 (バルデラマ作の油絵より) |
カルロス・ジェン・フィンライ(1833-1915)はキューバ生まれで、アメリカのジェファソン医科大学に留学し、帰国後伝染病および公衆衛生の諸問題に多くの興味を持ち、黄熱病の研究を始めました。黄熱病の伝播にはネッタイシマカという仲介者が存在していることを発表しました。
アメリカ 1940 | |
ウォルター・リード(1851-1902)は、アメリカ陸軍医学校の細菌学教授で、1898年頃キューバで黄熱病が重大な問題となっていたとき、その原因と伝播についての調査委員会の責任者となり、フィンライの説を人体実験により実証しました。 |
キャナルゾーン 1928 | |
ウイリアム・クロフォード・ゴルガス(1854-1920)は米国人で、1898年から1902年にかけてハバナで、ウォルター・リードにより黄熱病の媒体と実証された蚊の繁殖地を破壊して、健康衛生条件を良くして有名になりました。その後パナマでも、パナマ運河委員会の衛生主任として同様の功績をとげ、運河建設を可能にしました。 |
ガーナ 1997 | 日本 1999 | |
野口英世(1876-1928)は、福島県に生まれ、開業医試験に合格したのち伝染病研究所に入り、細菌学を研究しました。1913年から黄熱病の研究に着手しましたが、1927年アフリカのアクラに出張して研究中、自らも黄熱病に感染して倒れました。 |
ブラジル 1950 | ブラジル 1954 | |
オズワルド・クルツ(1872-1917)は、細菌学者、医者であり、ブラジルの公衆衛生に尽くしました。1900年初め、リオデジャネイロから黄熱病を無くす運動を始め、1909年までに首尾よく終了しました。また、リオから腺ペストを無くし、天然痘の犠牲者を減らすことにも成功しました。 |