糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
この三句は、子規の俳句の到達点であると同時に、俳句的態度
というものの到達点だということができます。死に望んでの、この極
度な自己対象化、これこそ俳句的態度のきわみというものだと思う
のです。
対象を見つめ、そこに人間存在の本質を描写して、巧まざる笑い
を引き起こすということが、俳句の究極のねらいであるように思わ
れます。この三句は、その域に見事に到達し、しかもその対象が自
分自身の死であるというすごみを持っています。
もともと俳諧という言葉は「滑稽」ということでありました。しかし芭蕉
は、それまでの五七五の言葉遊びに精神の奥行きを付け加え、この
短い詩型の中に、存在の深みを表現する手だてを示しまし
た。
以来、俳諧には「滑稽」を超えて、様々な精神の姿が描かれること
になりました。もとより芭蕉は「滑稽」を否定したのではなく、滑稽の
本質を押し進めて、ある深さに到達したのです。本来、滑稽と深さは
別のことではありません。滑稽というのは、常識的なものの見方を超
えて、ものごとの本質を深くえぐり出す行為なのです。
しかし一方で、滑稽を表面的にとらえて、言葉のおかしさがないとい
う意味で、滑稽でないものは俳諧とは言えないと言い張る人々もいた
のです。子規はそうした人々を『俳諧大要』の中で「濁酒を好む馬士の
清酒を飲んで酒に非ずとい
ひたらんが如し」と排斥しています。
明治以降、むしろ「深刻な問題意識」が文芸の主流となっていきま
す。そうしたものを持たない文芸は深さを認められないというような時
代がつい最近まで続きました。むろんそうした偏向に組しない作家も
多かったのですが、近代は「滑稽」にとっては不遇の時代であったと
いえるでしょう。
子規にしても、天保以来の月並み俳諧を排し、俳諧に文学として
の普遍的価値をもたせようとする中で、従来の型にはまった「滑稽」
を否定する気持ちは強かったのです。
しかし民間のジャーナリストとしての道を選んだ子規には終生柔
軟な目で社会を見つめる態度がありました。またその生い立ちから
くる士俗的で近世的な教養の内部には、「悟り」や「超俗」という
態度の取り方が根強くあって、それらの精神は、子規の文学の中に
世俗の価値観を超越した世界観を作り出していきます。それはやが
て彼の「客観」や「写生」という方法論とも結びついていくのです
が、そこに子規の俳句が、この「絶筆三句」に見られるような質の
高い「滑稽」にたどり着く必然性があったと言えるでしょう。
「滑稽」とは、硬直した意味の世界、つまり常識の世界を飛び越
えて、世界を別の見方で捕らえた時の感動なのです。共同体の常識
的見地を離れ、個人として世界の姿を捕らえ切り、そこに自らを同
化させた感動を得たとき、笑いの質は極みに達するように思われま
す。そうした意味では、質の高い「滑稽」は「悟り」とも通じるも
のを持っています。
また「客観」とは、視点を変えてもの事を見つめることです。堅
固な共同幻想の存在した近代日本では、主観というものは、個人の
ものの見方のことではなく、むしろ共同体の常識というようなもの
ではなかったかと思われます。子規はそれを超越し、柔軟な視点の
移動を基に、個の特異な世界観の確立に向かいました。それが彼の
「客観」であり「写生」ではなかったかと思うのです。そしてその
時の柔軟な視点の移動というものもまた、「滑稽」の大きな要素で
あるのです。
すべての「滑稽」が精神の深さを表現しているわけではありませ
んが、質の高い「滑稽」が、存在や精神の深みを魅力的に表現する
ものであることは疑う余地がありません。
悟りを開いた禅僧の高笑い、あるいは乳首を見出した赤子の微笑
みという辺りが、笑いというものの究極の姿なのでしょうが、文芸
の「滑稽」がその域に達することは至難のことです。なぜならそれ
ら究極の笑いは、言葉以前の、人間が世界を認識する出発点におけ
る笑いだからです。
しかし子規には、そのような認識への志向性があります。子規は
それまでの類型化された表現の体系をひっくり返し、改めて新しい
表現の体系を組み立て直そうとしました。そこには事象と言葉との
新しい接点を見いだそうとするたいへんラジカルな思想があります。
その発想が「悟り」の態度と結びつくとき、子規は硬直した常識の
世界を飛び越えて、世界を別の見方で捕らえることになるのです。
「俳諧連中」という古き共同体の常識見地を離れ、個人として世
界の姿を捕らえたところで、子規は新しい「滑稽」を創生したと言
えるのです。
さて、一句目「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」。
「糸瓜」は季語。この三句が契機となって、子規の忌を「糸瓜忌」
というようになるわけですが、これを句作の中で「糸瓜の忌」とい
ってよいかどうかということで論争がおきたことがあります。結論
的には「糸瓜の忌」はおかしいという意見が勝ったようですが、確
かに「糸瓜の忌」では糸瓜が死んだようです。糸瓜は子規のことな
のだ、だから糸瓜の忌は子規の忌ということなのだ、などといった
ら、故人にはちょっと失礼というものでしょう。
「糸瓜」というのは、たいへん庶民的な素材で、江戸時代から秋
の季語として使われています。けれどこの一句目では、その「糸瓜」
が咲いたということなので、本来は夏の季題ということになります。
しかし難しいのは、ここでは三つの句が連作のように続いている
ということです。後の二つは「花」とはいっていませんから、もち
ろん秋の句です。実際「糸瓜忌」は九月十九日ですし、子規のこの
句は九月の十八日に示されたものです。そこでここは連作の中の一
つと見て、特別に季を秋とする考えが一般に行なわれています。
『俳句大観』(明治書院)は、ここを「咲き残った花」と解釈し
ています。うまく読んだという感じです。が、この解釈にも難はあ
ります。「咲いて」の「て」はどう読んでも咲き始めの感じなので
す。今まで咲いていなかった花が咲いたというのが「糸瓜咲いて」
の本来の意味でしょう。「残った」というのならむしろ「今まで咲
かずに残った最後のつぼみがついに咲いて」と取るべきです。が、
それにしてもそこまでこじつけて季を秋に揃える必要があるのでし
ょうか。
「咲き残った花」というような読みは、句の解釈を作者の実生活
に適合させようとする意識から生まれたもので、この句の語法から
言えばやはり無理な読みなのです。つまり作者論からは正しくとも、
作品論からは異論の出る読みに違いありません。
それではどう読めばいいのでしょうか。
季の約束に従って素直に読めば、この三句の連作は、一カ月ほど
の間の回想ということになります。つまり一句目と二句目の間に時
間的な隔たりを置くわけです。糸瓜の咲く季節に既に自分を佛と自
覚したことだったが、その後病はますます進行し、秋となると糸瓜
の水も間に合わなくなった、という風に読んでいくわけです。連作
として、季の約束に従って読むのならそれがいちばん正確でしょう。
むろんそれが作者の思いであったかどうかは分かりませんし、三句
を連作として読まねばならぬという決まりもありません。ですが、
三句一緒に作者が示したこれらの句を、語法にしたがって素直に読
むとすれば、そう読むしかないでしょう。
ここでもう少し「糸瓜」にこだわってみましょう。
まずこの句を、対比と類比という二つの概念で分析してみたいと
思います。比較の中でも、異なるもの同士の見比べが対比、同類の
ものとの見比べが類比です。
この句は「糸瓜咲いて」の「て」で切れています。ですからここ
は、単に喉に痰を絡ませている瀕死の主人公の背景に、糸瓜の花を
置けばそれでよいことなのです。
しかしいくらそう切っても、いや切れているからこそ、二つのイ
メージは関わりを主張し始めます。切れていなければ初めから一つ
のイメージしかありませんから、関わりなどというものは成り立ち
ません。
まず、ともかくも「糸瓜」は「咲て」いるわけで、「痰のつまり
し佛」の方は、もうあの世へ踏み出しているわけですから、陽の世
界と陰の世界の対比を考えることができます。そうするとここは
「糸瓜の咲く季節に」という平面的な意味の裏に「自然の営みは今
年もまた糸瓜に花を咲かせ、糸瓜はまた自然の恵みを受けて花を付
けているのに対し、私の方はといえば」ということになって、だい
ぶ悲観的なニュアンスが強くなることになります。あるいはまたも
う少し卑近な読みをして、「痰を切るのに効くという糸瓜が咲いて
いるというのに、その前で痰を詰まらせて佛になっていくことよ」
とすると、ひどく滑稽で、しかもシニカルな解釈になります。これ
らは対比を全面に立てた読み方です。
けれどもう一歩踏み込んで別の側面から考えてみると、この二つ
の世界が類比的に書かれているというふうにも読めるのです。つま
り「糸瓜」というものを子規自身に重ね合わせるのです。するとそ
こには「一応の仕事を成し遂げた」と自覚している子規の姿が浮か
び上がってきます。むろん「糸瓜咲いて」という表現に対して、作
者がどれほど自覚的に「仕事の成就」という思いを込めたかという
ことは誰にも分かりません。全くそのつもりだったかも知れないし、
無意識だったかもしれない。あるいは作者自身が、そういう思い入
れも現れているなあと、この作品を書き終えた後で気づいたのかも
知れない、というようなあいまいなことなのです。
ですからこれは、どちらが正しい読みかという問題ではありませ
ん。おそらく子規自身にもその二つの思いが交錯していたに違いな
いのです。この二つの意味のどちらをどのくらい感じ取るかは、す
でに読者の問題です。ある読者は百パーセント対比的に感じ取るか
も知れませんし、別の読者は両方に揺れる作者の心を読み取るかも
しれません。事実は、この表現をそれぞれに受け取る読者がいると
いうことで、そこにこの作品の深さがあります。しかもその二つの
意味は、どうも重なった形で同時に認識することが可能なようなの
です。
さまざまに読めるということは、ある一つの読み方をしても、ま
だ別の解釈の余地が残されているということです。いや、漠然と作
品の意味を感じ取っているうちはいいのですが、言葉ではっきりと
どちらかに解釈してしまうと、とたんにもう片方の読みが懐かしく
なってしまうのです。ですから読者は、なかなか読み切れたという
感じに到達しません。同じ読者が一年後には全く違った読みをする
かも知れないし、いや数日後に違った感情で読めば、また違った意
味が引き出されるかも知れないのです。そのことが、作品の意味世
界に奥行きや膨らみを与えていきます。
作者の人生観に奥行きがあって初めてこうした複雑な味わいの深
い表現の相が組み立てられていくものなのでしょう。むろんその言
語感覚の深さが、読者にも要求されることはいうまでもありません。
さて、もう少し「糸瓜咲いて」の問題を考えてみましょう。
糸瓜の花を御存知でしょうか。蔓全体がたいへん大きく伸びるの
に比べれば、いかにも可憐な花で、そこからあの大きな実が成るか
と考えると滑稽なくらいです。
糸瓜自体は、影を作り実を供して実用になり、大きく蔓と葉をの
ばす庶民的な伸びやかさを持った植物ですが、その中で花は可憐に、
次に実を結ばせることを予感させながら、つつましく咲いています。
そこにこの糸瓜が、作者の状況をにじませているという面白さがあ
ります。
子規の俳諧は既に新聞『日本』』や雑誌『ホトトギス』をとおし
て全国に読者を増やし、さらに短歌の革新も良き後継者に恵まれ、
新しい韻文の流れは子規派を中軸に置こうとしています。その仕事
は、子規自身の大きな野心にとっては、まだ不足であったのでしょ
うが、一方、良くここまで来たという思いもあったことでしょう。
そうした子規自身の状況は、糸瓜が葉をいっぱい広げたなかに、
小さな花を咲かせている「糸瓜咲いて」のイメージと一致していく
ところがあります。
むろん、文学作品の独立性ということから考えれば、この句から
そんな具体的な状況まで読み取れるわけがありません。作家につい
てのつまらぬ知識を振り回して、そこまで分かろうとする態度は、
むしろ不純な読みというべきでしょう。
けれど、「糸瓜咲いて」という語句から、この作者が可憐に小さ
く咲いた糸瓜に共感していることぐらいは読み取ってもよいわけで
しょうから、なぜ作者がそんなものに共感し、思い入れをして作品
に登場させたのかと考えれば、作者の状況はおおよそ推測されるの
です。この作品の言葉を純粋に読みとる中から、何か大きく広がっ
たもの中に、一つの結実を見ようとしている作者の心情が浮かび上
がってきます。
このように、作品の中に登場したある「もの」が、特定の意味、
つまり記号性をもってその作品の存在価値を支えているとき、その
「もの」を文学形象と呼びます。
この作品の糸瓜の花は、まさしくりっぱな文学形象性を有してい
るわけです。作品の一部分として、立派に全体の意味を支えている
のです。糸瓜という植物と、作品世界とが、抜き差しならない関係
を持っていることを見ることができます。
心理学では、こうした部分と全体の関係をゲシュタルトといいま
す。一つ一つの音に対するメロディーの全体のように、分解して元
に戻すと、まったく意味を成さなくなるような形態がゲシュタルト
なのです。ちょっと音楽とは違うところもあるのですが、作品の一
つ一つの言葉に対して、その作品の全体が表している世界もまたゲ
シュタルトです。ですから文学作品を下手に分析し、どこが比喩だ
とか、何が対比だとか言ってみても、それだけでは、作品の全体を
説明したことにはなりません。大切なことは、それぞれの部分の言
葉が、全体性をどう形作っているのかを読むことでしょう。先ほど
述べた構造分析も、つまるところ部分的な表現要素と作品の全体性
との関係を把握しようとする試みにほかなりません。
糸瓜の花は、この作品を構成する一つの文学形象となって、作者
の状況を暗示しています。「糸瓜咲いて」は、情景であり背景では
あるけれども、それは、作者の状況の隠喩ともなっているというこ
とができます。
しかしどうもこうやって言葉ではっきり説明してしまうと面白く
ありません。自分でやっておいて恐縮ですが、この辺りのことは、
はっきりさせてしまうといけないことのようです。世の中には、何
となくのままがいいということもあるのです。まったく人の心は面
白いものです。
二句目、「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」
「間に合はず」に注意して下さい。この「間に合はず」という意
味を抽象し、広げていってみましょう。すると作者の心情に突き当
たります。「間に合はず」という言葉を選び取るしかなかった作者
の心情です。
このときの状況を表現する述語は、他にいくらでも考えられます。
「まだ足りぬ」と言っても良いし「効かぬなり」と言っても良い。
そうした多くの語句の中から、なぜ作者は「間に合はず」と言った
のか それは作者の心の中に「間に合はず」とい
う語が浮かんだからに違いないのです。そしてその言葉の選択が、
この作品に、緊迫感と客観性という二つの矛盾した要素を同時に与
えるという快挙を成し遂げています。「まだ足りぬ」や「効かぬな
り」では文学にならぬものが、「間に合はず」だと文学になる。そ
の表現の文学としての価値を保証しているものは何なのでしょう。
それこそが、作者の心情というものなのです。
子規は、「間に合はず」という観念を、日常的に宿していたので
す。そうした心理的背景があって、「糸瓜の水」という対象に接し
たときにも、「間に合はず」という言葉の選択が行なわれることに
なるのです。
このとき子規に取って「間に合う」とはどのようなことであった
のでしょうか。子規のやりたいことが自分の死までにやり遂げられ
るかということが問題だったに違いありません。しかもそれは、こ
れだけやったら死んでもいいというような性質のものではなかった
はずです。いくらでも後から後から、彼の野心は間に合わぬことを
作りだしていきます。「間」とは死ぬまでの「間」であり、その距
離に合わぬほど大きいものは子規の野心なのです。
そうした子規であればこそ、「足りぬなり」でも「効かぬなり」
でもなく、「間に合はず」という表現が可能になったのです。そし
て、この切迫感と客観性が、多くの読者の共感を得ることになった
のです。
今、共感と言いましたが、この言葉についても、すこし詳しく考
えておく必要があります。文学を文学として成立させているのは、
何も作者ばかりではないからです。文学を文学として理解する読者
がいて、初めて作品は価値を持ち、後世に残されていくのです。
書き手と読み手の間に、共有し合える意味の空間というものがあ
って、さらにその中に、経験に基づいた同意を形成し得る空間がな
い限り文学は成立しないのです。
経験に基づいた同意とは、読者が、自分は世界はこのようにある
はずだとか、このようにあってほしいと思っている部分が、作品の
中で言語化されているということです。つまり読み手の世界観の当
為性が、作品の中に具現化されていなければなりません。
読者が常日頃こだわっている部分が、そのように言葉になってい
れば、読み手は共感するのです。この読者のこだわりということを、
コンプレックスと言い換えてもよいと思います。優越感とか劣等感
とかいうものは、あることへのこだわりから生まれるものなのです。
文学が、現実の世界で思いどおりにいかなかった部分を扱ってい
るように見えるのはそれが原因です。
ひと昔前は、読むと言えば、書き手と同じ土俵の上に立って、同
じ地平の上で理解を進めるという感覚が強かったのに、現在では、
たとえ同時代の書き手に対する場合でさえも、そこに共通の文化を
前提とするのはむしろナンセンスというわけで、異文化に接し、そ
れを吸収するような感覚が強まっているようなのです。
このことは、二十世紀後半になって突然そうなったというわけで
はありません。構造としては昔からあったはずの現象なのです。少
し遡って考えてみましょう。
おそらく、飛鳥以前の日本の中央部では、古代朝鮮の各地方の方
言や、当時の中国の各地方の言語、そして南方の言語の影響を強く
受けた言語や、あるいは北方系の蝦夷と呼ばれる人々の言語、それ
らが入り交じり、飛び交っていたに違いありません。
そこでは、互いのよって立つ文化の地平が異なっているのは当然
のことで、かつ言葉が異なるのも当然、その中で、媒介となる人を
立てたり、互いの本心を探りあったりする中で、文化の交流が進ん
でいったものと予想されます。
しかし、しばらくそうした状態が続く内に、共通語としての近畿
語が定着し、日本語が単一言語だという認識が生まれ始めました。
まあそれは自然にそうなったということもあるでしょうが、為政者
の意図という側面もあるでしょう。ともかく、言葉は通じるものだ
という認識が強まり、同じ土台の上に立っているという、言うなれ
ば錯覚が生じたわけです。
このことは、正統と異端とが発生したことも意味します。朝廷の
存在する地方の近畿語が正統であり、その言語と共通性を持ちにく
い言語ほど異端となるのです。
ですが、面白いことに文化というものは、全く違ったものは他の
正統として認めてしまうという傾向があるようです。ここに、中国
語と朝鮮語との扱われ方の違いが発生した秘密が隠されています。
朝鮮語は、大和の言葉と非常に似かよっていたため、異端となって
いくのです。つまり近畿語と同じ文法を持つ言葉の中では、蝦夷の
言葉と共に遠い存在であった朝鮮語は、異端の最たるものとなって
しまうわけです。
それに対し中国語は、構造的に全く別の言語体系ですから、異系
の正統として認められていくのです。もちろんそこには政治的な権
力の強弱の問題も強く関わっていたでしょうが。まあ、兄弟は他人
の始まり、というところでしょうか。
もっとも、今、近畿語とか、朝鮮語とかいうカテゴリーを当り前
のように使ってきてしまいましたが、それ自体おかしなことです。
一人一人の言葉の使い手にとっては、語彙の選択という問題は、
何語を使うことを原則とするかというような問題ではなく、分脈の
中
でどう語るかという言語感覚の問題なのです。
例えば現在でも、家庭用のコンピュータを、電算機というか端末
というか電脳というか、またパーソナルコンピュータというかパソ
コンというかマイコン(死語ですね)というかなどの問題は、話し手
の趣味と見識と感覚との問題なのであって、何語を使うかという問
題とは少し離
れた問題です。
つまり、異文化が混在する時代の言葉というものは、究極的には
個別のものなのです。一人一人の因って立つ地平というものは、そ
れぞれのものです。それぞれの個は、それぞれのバランスで、いく
つかの文化を内包しているのです。
ですから現在では、読むという行為は、書き手の言葉を通して、
その因って立つ地平そのものを読んでいくという作業になってきて
います。
さらに、読み手の方も個別の文化を内在させているわけですから、
その因って立つ地平というものも個別に存在します。そこで、読む
ということは、読み手自身の地平を明らかにしていく作業ともなる
わけです。なぜ自分にはそう読めるのか、そのことを明らかにする
ことによって、自分自身を発見していくわけです。
読者一人一人の個性もまた文学を文学たらしめている要素の一つ
だということなのです。どんなに優れた、あるいは凝った表現でも、
それを理解する読者がいなければ、文学は成立しません。しかもそ
の理解ということには、読み手の地平、すなわち個性というような
ものが深く関与しています。
しかし、個性とは何なのでしょうか。これもまた、考えてみなけ
ればならない問題です。
ユングのタイプ論をヒントにして、私は人の心を「理性」「感性」
「感情」「直観」の四つに分けて考えることにしています。さまざ
まな読者の文学の読み方を類型的に考えるのにとても便利だからで
す。
「理性」は論理の正しさを行動の基準にしようとする心です。
「感性」は美醜好悪の感じによる判断、「感情」は言葉通り感情の
動きで、「直観」はそれまでの経験の蓄積を基に行なわれる総合的
な判断です。
人によってこの四者には強弱があるようで、最終的にその人が何
によって行動を決める人かを見分けられれば、最強のセールスマン
になれる、と言った人もいます。確かに、理性を貴ぶ人にいくらお
世辞を言っても無駄でしょうし、感情を優先する人に理詰めで説得
しても、よい結果が得られるはずも有りません。
何やら話が少し生臭くなってしまいましたが、文学を読むという
場合も、どうもその内実は人によって相当な開きがあるようなので
す。理詰めで時間をかけて分析的に読まなければ気が済まない人、
逆に直観的に全体を把握し、細部の分析的な説明を聞くと興をそが
れてしまう人などいろいろです。
こんな風に読者側の問題も考えておく必要があります。自分が読
者として、どのような読みの傾向にあるのかを知っておけば、自分
の文学への接し方を、幾分なりとも広げることができようというも
のです。
「読者論」などという分野もあるのですが、そう難しく構えずと
も、「理性」「感性」「感情」「直観」それぞれの側面から文学に
接することができるようになれば、読書もまたいっそう豊かなもの
となることでしょう。読者それぞれが、自分の個性を生かしつつ、
その読みを深め、また幅を広げていくことが文学の存在価値をいっ
そう高いものにしていくはずです。
むろんそうした心理の問題は、作品の読みの分析に用いることも
できます。
読者の共感と一口に言っても、やはりそこにはさまざまな共感の
仕方というものがあります。それは、前に述べたように、それぞれ
の読者の心理に「理性」「感性」「感情」「直観」というような側
面があって、どの側面から強く作品に共感するかということが、一
人一人の読者の個性によって違ってくるからです。
理性的な共感というものには、例えば「痰一斗」という中国的な
誇張が子規らしくて面白い、というような、いうなれば文学史的な
予備知識に基づいたものや、あるいは自分の死に対してのこの客観
性と余裕は素晴らしい、というようなモラルに関わる共感などがあ
るでしょう。
感情的な共感はさまざま考えられますが、例えば子規の伝記を読
んでその状況に同情し、この句に深い思い入れをするようになった
とすれば、それは感情レベルの共感と言えるでしょう。また実生活
の中で、何か思い通りにいかないことがあって、半ばやけになり、
どうせ間に合わない、などとふてくされているところにこの句を見
て共感したのだとしたら、それはもう純粋に感情レベルの共感とい
えます。
感性的な共感とは、例えば、そもそも「糸瓜」というものが昔か
ら好きなのだとか、あるいはその存在感と子規の存在とが、心の中
で感覚的にうまく重なって感動したとか、また「間に合わず」とい
う叙述に心理的に自分と重なり合うものを感じたとかいうものがあ
るでしょう。「似合う・似合わない」「美しい・醜い」「好き・嫌
い」などを感じ分けていくのが感性の働きです。
直観的共感というのは、句の意味を、はっきり言葉にならない段
階で、一挙に人間の存在論、あるいは哲学というようなものに結び
つけてしまう共感の仕方です。例えばこの句を読んで、「たしかに
自分の内部にも、一斗ほどの痰のようなものがある」とか「なるほ
ど人間は一斗の痰を吐いて死んでいく生き物だ」などと悟ってしま
う人が必ずいます。突然隣でそんな読み方をされたら、こちらはう
ろたえるしかありません。まして「君は糸瓜の水を持っているか」
などという禅問答でも仕掛けてこられたら、もう逃げ出すしかない
でしょう。
しかし、これも一つの共感の仕方には違いありません。そこには
まだ論理の筋道が有りませんから、でたらめやはったりに聞こえる
こともあるのですが、その読者の、それまでの人生経験のすべてを
背景とした共感といえますから、鋭い理解である場合も多いのです。
宗教家に多いタイプかもしれません。
しかしこの四つの読み方の中で、何が一番嫌われるかと言えば、
これは直観ではなく、理性的な共感の方でしょう。実際、文学を理
性的に共感してしまうことに関しては、昔から相当の抵抗があって、
そんな感心の仕方ばかりしていると、周りの人からは「文学の分か
らないやつだ」と疎んじられるのがおちでなのです。
いままで私たちが試みてきた「分析的」な読みというものも、や
はり理性的な共感の部類に入ります。ですから、あまりしつこく続
けていると、せっかくの作品の良さを壊すと言われかねません。
子規は天保から明治中期までの俳諧の型にはまった表現を「月並」
という概念によって排斥しました。その月並を批判するとき、必ず
といってよいほど出てくるのが、「理屈」に頼っているからだめな
のだという考え方です。
この考え方は、その後の俳句作家達にもよほど強く影響したよう
で、例えば大正六年に出た「月並研究」という本では、虚子、鳴雪、
碧梧桐こぞってまずこの論理で月並を葬り去り、子規自身の初期の
俳句にまでその批判の目を向けていますし、また昭和三十年代に書
かれた加藤秋邨の『俳句往来』あたりでも、この、理屈が立ってい
るから月並みはよくない、という論法がそこここに散在しています。
むろんこれらは、俳句の作り方についての考えなのですが、よく
読んでみると、俳句の読み方の問題である場合も多いのです。『俳
句往来』で楸邨は、子規の「 あげてきらんとすれば木の芽かな」
を取り上げ、次のように評しています。
こういう句は、案外ひとに好かれるものである。それは、木の
芽に気がついたのでためらうというところが、世俗な人情に媚び
てくるからである。「むつとしてい づれば門の柳かな」「みのる
ほど頭を垂るる稲穂かな」の類が昔から人口に膾炙しているのも、
世俗の人情に媚びたところがあるからで、子規のこの句はそれに比
較すれば、まだましであるが、発想の性格からいえば、感動に俗
倫理の垢がまぎれこ んでいることはあらそえない。「どちらとも
つかぬ柳や村境」「伽羅くさき風がふ くなり京の花」「目隠しの
女あぶなし山桜」「十三の年より咲きて姥桜」など、ど れも理の
絡んだところが見られる。後の二句には、明らかに秋色桜の故事が
ちらつ いている。
ここには、俗な人情や倫理は「理」なのであって、純粋な感動で
はないという考えが貫かれています。しかしこれなども、「理」を
からませて読むその読み方の問題を内在させていると言えます。
しかしここで一番問題なのは、その「理」とは何か、あるいはま
た理屈ではなぜ駄目なのかという辺りの分析が、結局なされなかっ
たことでしょう。
子規が考えていた理屈に対立するものは感情です。しかもそれは、
実際の生活で立ち現れてくる素直でリアルな感動なのです。それは
理屈の世界の創造とはまた異なったものなのでした。
ちょっと寄り道をして、『俳諧大要』を読んでみましょう。
理屈は理屈にして文学に非ず去れども理屈の上に文学の皮を被
せて十七字の理屈をものするも亦文学の応用なれば時にこれを没
却せらるゝこと莫れ理屈に合わせんとすれば文学に遠く文学に適
せんとすれば理屈を離るゝこと素と両者其性を異にするより来
るもの故是非も無き事なり両者を合して調和したる者をものする
は非常の辛苦を要しながら存外に喝采を博すこと能はざれば其の
覚悟なかるべからず蓋 し普通文学者は辛苦のを察せず単に其理
屈的なるの点に於て之を斥す又俗人はそれよりも猶卑俗に暴
露的にものせざれば承知せざるべし。
何ともシニカルな現実把握です。月並みの横行する「俗」の世界
と、深い感動のある文学とのはざまを、二十代の青年がこれほど明
確にとらえきったということにまず驚くわけですが、しかしここに
も、「理」ではなぜ俗になるかという理由が把握されていないので
す。ここにも書かれているように、子規自身、うまくすれば感動と
理性とは「調和」する場合もあるということを認めているにも関わ
らず、です。
さらに子規は、「理想」もまた頭で考えたものであり、理屈の一
種であるとして排斥しようとします。
まあこれなどいかにも二つの対立概念を立ててものを考えること
が好きだった明治の人間らしいものの見方です。
しかし、どうも物事をそうして二つに分けて考えるという方法に
は、問題点もあるようなのです。確かに物を考えるとき、まず二つ
に分けるということは基本の中の基本です。すべての情報が二者択
一にできるということは、数学的にも証明されていて、コンピュー
ターの世界では常識なのです。ですが、それは量的に物事を分析す
る場合の事であって、物事の質を考える場合はまた別ではないかと
思うのです。というのは、二つの対立概念が、ほんとうに世界を二
分して対立しているものであるかどうかという問題があるからなの
です。
理想主義と写実主義の対立も、文学を二分する概念とはいえない
ものなのです。たしかにそれは文学のある側面をとらえる力はある
ものなのですが、しかしそれが文学のすべてを二分するものだとい
う保証はどこにもありません。
この対立は、むろん俳句の分野に限った問題ではなく、今でも、
例えば少女漫画と、劇画との間に、その違いをはっきりと見いだす
ことができます。どちらも漫画という虚構の世界でありながら、そ
の中に理想主義と写実主義の二つの流れを認めることができるので
す。
ただ漫画の読者の優れているところは、そのどちらを好きとはい
っても、どちらの方が方法的に優れているなどという馬鹿げた比較
をしないことでしょう。いうまでもなくそれぞれの書き方なのであ
り、それぞれに存在価値を持っているわけですから、それぞれに楽
しめば良いということなのです。
さて話をもとに戻しますが、理屈と感動の二つで、文学の表現を
覆い尽くそうとした子規の方法にはおおいに問題があったと思われ
ます。またさらに理屈に偏した表現に価値を見いださなかったその
考え方にもおかしな所があるのです。
ただその考え方は、月並みが横行し、一般受けする言い回しばか
りがもてはやされていた時代に、さらに深い感動を生み出す表現を
創造する力は持っていたのです。
ここで、三句目を読んでみましょう。
をとゝひのへちまの水も取らざりき 子規
この句を病床の子規が書いたのが九月十七日ですから、「をとと
ひの糸瓜の水」というのは、九月十五日、つまり新暦の十五夜とい
うわけで、水原秋桜子編「俳句鑑賞辞典」(昭和四十六年・東京堂)
は、
この夜に採取した糸瓜の水は特に効力を発すると言い伝えられ
ていた。しかし病が重く、とうとうその糸瓜の水も取らずにすま
せてしまったのである。子規の心中にその『をととひ』という日
が過ぎて還らぬ日として強く刻みつけられている。そのおととい
の糸瓜の水さえあったらと、子規はかすかな悔恨を持って思い返す
のである
としています。しかし果してそうなのでしょうか。
尾形仂編「俳句の解釈と鑑賞辞典」(昭和五十四年・旺文社)は、
「糸瓜の水さえあったならばと、還らない〈をととひ〉の命の水を
乞う子規は、決して悟り得た人ではなかった。」としながらも、前
二句との関連を捕らえ、「〈糸瓜の水〉への拘泥も、それほどこの
世への未練や悔恨を残したものとみることはできない。」とまとめ
ています。
この解釈には秋桜子の「俳句鑑賞辞典」を参照したフシがあり、
その先達の解釈に敬意を払いながらも、若干の疑義を差し挟んだと
いう風なのですが、この解釈でも、まだ釈然としないものが残るの
です。一句目、二句目であれほどの自己対象化を果たした子規が、
最後にそういう形で生への執着を語るというのは、少し考えている
ことのレベルが違ってしまうようにも感じます。確かにここで、生
への執着を見せるというのも、人間的でなかなか面白いのです。悟
りきれない子規の人間臭さを嗅ぎ取るのもよいでしょう。けれども
何か不自然さを感じます。それは「水も」の「も」に原因があるの
です。
この「も」は何なのでしょう。なぜ「を」ではないのでしょうか。
「も」というのは、既に糸瓜の水を取ることなど止めたという意
味にとれます。既に十五夜の水さえも採ろうとしなかった、という
意味にもなるのです。たしかにこの「も」は、悔恨と諦念の両方の
意味を持ちそうです。しかし、これを「を」とした場合と対比する
と、明らかに「も」の方が諦観、あるいは悟りといった要素が強く
立ち現れてくると感じるのですがどうでしょう。
をとゝひのへちまの水を取らざりき
をとゝひのへちまの水も取らざりき
また「き」という言い切りからも、生への湿った感慨は感じ取り
にくいようです。
「き」というのは言うまでもなく回想の助動詞です。同じ回想の
助動詞「けり」が、韻文の中ではほとんど詠嘆そのものになってし
まうのに対し、「き」の方はもっと即物的にその事象が過去の出来
事であったことを表します。散文の中で、「けり」が伝聞回想とし
て、人から伝え聞いた話題を語る場合に使われるのに対し、「き」
が自分で経験した事象を語る場合に使われることからも、「き」が
直接的で率直なニュアンスを持つ助詞であることが分かります。
このように、作品を読む場合、助詞・助動詞などのいわゆる付属
語にも、細かな注意を払っていく必要があります。むろん細部にこ
だわりすぎ、木を見て森を顧みないとようなことになっては困るの
ですが、日本語の場合、付属語のニュアンスがその大きな特徴にな
っているのですから、そこをいいかげんにしたら、深い読みなど成
り立つわけがありません。特に文語では、付属語の語彙は豊富で、
それと比べると現代の口語などは文末のパターンを変えるのさえ苦
労するほどです。付属語のニュアンスをこそまず読むべきでありま
しょう。
さて、三句を読みながら、まず私たちがどのような方法でこれか
ら子規を読んでいくかということの確認をしてきました。既にいく
つかの方法を考えてきましたが、それらに共通することは、ともか
くも作品自体の言葉に突き当り、その言葉が表している世界を読み
深めていこうとするものです。つまり俳句作品の独立性を前提とし、
まずは背景的な知識を借りずに、純粋にその作品世界を読んでいこ
うというのです。
むろん作品が成立した背景を知りつつ読む楽しさというものもあ
るわけで、そう杓子定規に「作品の言葉」にこだわる気もありませ
んが、無意識に背景的知識を利用しつつ言葉を読んだ気になってし
まうような事態は避けたいと考えます。
ただここでもうひとつ、どうしても考えておかなければならない
問題があります。 それは、なぜこういろいろな読みが出現するの
かという問題です。
みなさんの中には、俳句をどう読むのが正しいのかとすぐ考えて
しまう方もいらっしゃるかと思いますが、それは学生時代の国語の
テストの悪影響というものです。正しい読みというものは存在しな
いのです。それは正しい作品というものが存在しないのと同じこと
です。読むという行為が作るという行為と同じように創造的な作業
である以上、より深く読みを練り直し、語り直すということはあっ
ても、究極的に正しいひとつの答えを出すということはあり得えま
せん。存在するのは、より深い読みでありまた美しい読みなのです。
作品に推敲があるように、読みにもまた推敲があります。自分の
読みを練り上げて、より深く美しい読みに仕上げていくことが「批
評」という創造活動になるのです。それは正しい正しくないという
問題とつながってはいるものの、同じレベルではありません。ただ、
正しくないものには美しくないものが多いというほどのことなので
す。
例えば先ほどの秋桜子の読みを、正しくないと批判することは簡
単です。しかしよく考えてみれば、秋桜子には秋桜子なりの必然性
というものがあって、あのような読みが現れてきているわけですし、
そのすべてを誤りだとすることは誰にもできないはずなのです。そ
こで考えるべき事は、なぜ秋桜子はそのように読んだのか、という
事なのです。だいいち秋桜子の読みを参考にして、それを手がかり
にこちらの読みを成立させているわけですから、その恩を忘れたよ
うに批判するのは考えものです。
秋桜子のこの読み方は、少しくこの俳人を知る人にとっては実に
秋桜子らしい読み、ということになりましょう。水原秋桜子という
人は、短歌的叙情を俳句の世界に持ち込むことによって俳句表現の
幅を拡充しようとした人です。虚子が俳句を「大自然の一行を忠実
に写生」する「客観写生」の文学とし、やがて「人事の纏綿、人情
の葛藤」を扱わない「花鳥を諷詠する文学」としたのに対し、秋桜
子は「感情」を尊び、浪漫的・叙情的世界を切り拓いていきました。
冬の雁鳴きすぎ轆轤とゞまらず
秋桜子
昭和十五年、手賀沼での作です。このような叙情性、物語性がこ
の作家の生命なのです。
そうした秋桜子であればこそ、「とうとうその糸瓜の水も取らず
にすませてしまったのである。子規の心中にその『をととひ』とい
う日が過ぎて還らぬ日として強く刻みつけられている。そのおとと
いの糸瓜の水さえあったらと、子規はかすかな悔恨を持って思い返
す」ということになるわけです。
一句の中に「感情」を歌い、「人情の葛藤」を詠もうとする秋桜
子は、読みにおいても、一句の中に「感情」を読み、「人情の葛藤」
を読もうとします。それは彼の気質であるのかも知れないし、また
理念であるのかもしれません。
さて、こうして考えてみれば、これほどにさまざまな読みが出て
くるわけも分かろうというものです。人それぞれに個性があるかぎ
り、同じ読みというものは出現しないでしょう。たった十七文字の
世界でありながら、同じ俳句がほとんど現れないのと同じ理由で、
同じ読みというものも出現しようがないというわけです。
最後に、少し毛色の変わった読み方を紹介しておきましょう。も
う一度「絶筆三句」を見て下さい。
糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
例えばこの三句の末尾に注目して、「な」「ず」「き」という三
文字を読み取り、子規はここで「きずな」という言葉を隠し示し、
『ホトトギス』の連中の結束を枕元の側近に頼んだのだ、と言った
らあなたは信じるでしょうか。
むろんこんなことを書いている私自身信じているはずもないので
すが、世の中には、こういうことに感動してしまう人も結構いるの
です。
こういうのは暗号読みとでも言うのでしょうが、かつてベストセ
ラーになった『人麿の暗号』などの方法も、多分にこの傾向があり
ます。言葉を「記号」として読むことに慣れた時代の現象と言えま
しょう。
この本では、人麿を初めとする万葉の多くの歌人達の歌が、和語
と古代朝鮮語と中国語の複数の言語によって読み解かれ、それぞれ
の歌の意味が、その三つの言語を頂点とする三角形の上にそびえ立
つピラミッドとして立ち現れるしくみになっています。そこには、
人麿ら古代日本の知識階級の人々が、多言語を操る人達であったと
いう仮説がまずあるわけですが、たとえそこを認めたとしても、読
み取られたすべてを、作者の意図であるとすることにはいささか抵
抗があります。そこには「偶然」という要素と「無意識」という要
素が入り込む余地が大いにあるからです。
ただ難しいのは、多少胡散臭く見えたとしても、こうした読み方
がまったく的外れだとは言えないことです。言葉の世界というもの
は、決して一面的なものではありません。それは、言葉の背景にあ
る人の心というものが、まさに混沌であり、すべての概念を包括し
たものであるからです。普通私たちが考えるより、はるかに巨大な
無意識が私たちの行為に関わっています。子規はここで「悟り」と
「滑稽」の究極の姿を私たちに示してくれていますが、しかしその
子規の精神の内部に、秋桜子の言うような悔恨や無念さが無かった
のかといえば、決してそんなこともないのです。
どだい人間の心は、強いか弱いかとというようなものではありま
せん。その二つの概念の間を振れ続ける振子なのです。
しかし私たちは、子規の俳句からは、「悟り」に至る「滑稽」が
立ち現れてくるように読んできました。それは、そう読んだ方が、
子規俳句の世界がより美しくなると信じたからです。作者の人生観
の奥行きと、作品の複雑な味わいを精一杯味わうための読者として
の工夫としてそう読んだのです。
実際、悟りを開いた禅僧の高笑い、あるいは乳首を見いだした赤
子の微笑みという辺りが、笑いというものの究極の姿なのでしょう
が、文芸の「滑稽」がその域に達することは至難のことです。なぜ
ならそれら究極の笑いは、言葉以前の、人間が世界を認識する出発
点における笑いだからです。
しかし子規のこの三句には、そのような認識との接点があります。
子規はそれまでの類型化した表現の体系をひっくり返し、改めて新
しい表現の体系を組み立て直そうとしました。そこには事象と言葉
との新しい接点を見いだそうとする根元的な努力があります。その
努力はやがて実を結び、子規は硬直した当時の常識の世界を飛び越
えて、別の見方で世界を捕らえることに成功しました。俳諧という
古い共同体に通ずる言語を離れ、個人として世界の姿を捕らえ直し
たとき、子規は根元的な「悟りの笑い」を獲得したのでしょう。そ
こに子規の「近代」があるのです。