評 論 集

 『虚子と「ホトトギス」−近代俳句のメディア』
  
本阿弥書店より平成18年11月24日刊行 \3,000

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共同通信配信記事「人物点描2007・俳人秋尾敏さん」


 「はじめに」より

 初期「ホトトギス」について考えてみたい。近代俳句の黎明期から俳句界の中心に位置し、創刊以来その名称を変えず、百年を経てなお二十一世紀の俳壇に機能し続けている。これは俳句に限らず、あらゆる文化のメディアの中でも、希有の事態というべきであろう。

 なぜ「ホトトギス」は存在し続けたのであろうか。そして今も存在し続けているのであろう。その要因を、高浜虚子という文学者の、メディア発信者としての側面に着目して考えていきたいと思う。

 メディアは、常にその時代の必要に応じて生み出される。そして、その時代状況というものは、刻々と変化し続ける。

 だとするならば、「ホトトギス」は変わり続けてきたメディアであるに違いない。変化した「今」を追って、刻々と自らの姿を変え続けてきたはずなのである。そうでなければ、きっとどこかで消滅していたことだろう。

 俳句界において「ホトトギス」は、良くも悪くも変わらぬものの代表のように言われることが多い。外部からばかりでなく、内部の認識としてもそうしたことが多いように見受けられる。だが、それは単なる思い込みであろう。「ホトトギス」は、近代俳誌の中で、もっとも変わり続けてきたメディアに違いないのである。

 初期「ホトトギス」の考察は、これからの俳句メディアのあり方について、さまざまな示唆を与えてくれるだろう。なぜなら、「開化」というキーワードを持った明治期は、「グローバリゼーション」という言葉が行き交う今日の状況と、少しく類似した面を持っているからだ。

 だが、現在、それらの問題に正面から取り組もうとする俳論は少ない。また、それらの課題を抱え込もうとするメディアもない。とするならば、私たちは、明治期の旧派の宗匠たちよりも狭い視野しか持っていないことになるのではないか。  明治期の虚子は、変化する状況の中で、「ホトトギス」の編集をめまぐるしく変え、近代文学として認められる作品を生み出そうとする。苦悩し、煩悶する若き虚子の、時代の変化との格闘を追っていきたい。


     − も く じ −

はじめに
第T章 松山の「ほとゝぎす」
 一 「ほとゝぎす」誕生
 二 創刊号
 三 東京と松山
 四 明治の俳句雑誌
 五 「ほとゝぎす」の虚子
第U章 東京版「ホトトギス」の誕生
 一 極堂の挫折
 二 『俳句入門』
 三 児童文学の思潮
 四 東京版「ほとゝぎす」の誕生
第V章 子規生前の「ホトトギス」
 一 子規の俳論を伝えるメディア
 二 言文一致体写生文への歩み
 三 子規最後の随筆
第W章 写生文の時代
 一 募集文章
 二 写生文の要素と本質
 三 虚子と連句
第X章 「ホトトギス」の周辺
 一 「ホトトギス」の広がり
 二 俳誌を支えた印刷技術
 三 文芸誌と俳句
第Y章 写生の変遷
 一 子規の写生
 二 虚子の写生
 三 客観写生
第Z章 「ホトトギス」の「雑詠」
 一 雑詠欄の設置
 二 雑詠欄への投句
 三 虚子の煩悶
 四 新人の登場
 五 村上鬼城
 六 飯田蛇笏
 七 渡辺水巴
第[章 大正四年という節目
 一 三つの価値観
 二 「層雲」
 三 「倦鳥」
第\章 近代の滑稽
 一 近代俳句の滑稽
 二 俳句における滑稽とは何か
おわりに
初出
参考文献
索引