小説「野菊の墓」の周辺  

小説のモデルとなった旧齋藤家に現在も残る椎の木

作品の冒頭の部分に
「僕の家(イエ)というのは、松戸から二里許(バカ)り下(サガ)って、矢切(ヤギリ)の渡(ワタシ)を東へ渡り、小高い岡の上で矢張り矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、此(コ
ノ)界隈(カイワイ)での旧家で、里見の崩れが二三人茲(ココ)へ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎(シイ)の樹が四五本重なり合って立って居る。」と紹介する一文がある。

この文面のなかで、疑問点が2点ある。
一点目 「僕の家」の松戸からの距離
「松戸から二里許り下って、とあるが、市川松戸間が2里程度で、矢切はその中間地点なので、「松戸から二里許り下って」というのは疑問
2点目 「僕の家」の位置関係
矢切は、東京からいうと、江戸川の東側に位置する。従って文面どおりだとすれば、松戸から下って、矢切の渡しを渡ると寅さんで有名な帝釈天のある葛飾柴又となってしまい、松戸を起点にしていると、矢切の渡しを渡る必要がない 。

 

 

矢切の斜面緑地帯に残る「けもの道」