近江の城
近江では、小谷城、安土城、坂本城、佐和山城などの名城が、次々と落城してしまう激変の時代を、戦国時代末期に迎えることになります。
琵琶湖があることと、比良山脈、鈴鹿山脈もあるため、琵琶湖周辺に限られた場所ですが、近江ではたくさんの城が淘汰されました。
初めての天守閣築城(安土城)や、穴太衆(安土城以降に活躍する石垣積みの専門家)の出現など、近世城郭の黎明期は近江抜きでは語れません。(うおぉ)
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大溝城 |
所 在:滋賀県 高島郡 高島町
地図[MapFanWeb] 交 通:JR湖西線 近江高島駅下車 東へ徒歩5分 種 別:近世 平城 この付近は穀倉地帯に加え、北陸に通じる西近江路があり、軍事的にも重要な拠点です。 大溝城は、信長の安土城築城にあわせ、1578年に信長の甥信澄が、築城したのが始まりで、その後城主は丹羽長秀以下次々と代わり、1619年、伊勢上野より分部信光が移封となり城下が形成され、大溝藩は維新まで十三代に渡り、分部氏が支配します。 上写真は田んぼの中にある天守台の遺構で、野面積みの石垣が見られます。(写真の向こう側は半壊していました。) すぐ近くには、乙女ケ池という池があるので、かつての本丸は水堀になっていたのでしょう。 分部氏の入封後は陣屋が営まれたため、この天守台が機能していたかどうかは疑問です。 この本丸跡からは少し離れて、国道161号を北へ行くと、左手側に旧城下がありました。今でもこの付近には、城下の町並みが十分に残っています。 下写真はその城下にある惣門と呼ばれる、出入口の両側に部屋を持つ門です。 大溝城関係の唯一の遺構で、今は人家になっています。見学の際は迷惑をかけないようにしましょう。 |
壷坂山城 |
所 在:滋賀県 大津市 坂本
地図[MapFanWeb] 交 通:京阪石山坂本線 穴太駅下車 すぐ登山口 種 別:中世 山城 南北朝時代に脇屋義助なるものが、後醍醐天皇が比叡山に籠った時に、尊氏らの北朝軍から防衛するために築いたとのことです。 その後は、明智光秀が坂本城を築城した時に、坂本城の砦として改築して、坂本城落城と同時に廃城となります。 明智光秀の坂本城跡の北には、光秀の墓がある盛安寺があります。 さらに少し北へ京阪電車の線路を越えると、登山道入口に出ます。(たしか3時間くらいで比叡山まで行けるみたいです。) その道を、墓場や古墳跡を左手に見ながら、小一時間登山して、橋を渡ってしばらくすると三叉路に出ますので左に行くと、壷坂山の方向を示す小さい看板に出ます。 上写真は壷坂山頂上付近の写真です。 整備はぜんぜんされておらず、道はあってないようなもので、足場も悪く非常に危険です。(97年6月現在は、この付近ダム建設中なので、通行止めになっています。) 下写真は山頂付近にあった石段の遺構と思われます。 以後、私はこの城の遺構を苦労して見つけた快感が忘れられず、中世山城好きとなってしまいました。 |
観音寺城 |
所 在:滋賀県 蒲生郡 安土町
地図[MapFanWeb] 交 通:JRびわこ線 安土駅南口 東に徒歩30分で登山口 種 別:中世 山城 観音寺城は室町時代の初期に、近江の守護大名である佐々木六角氏の本城として築城されます。以後改築を繰りかえし、戦国期初期の頃には壮大な山城が完成しました。 信長の上洛で一度落城し、安土城築城後は再び佐々木六角氏が守りましたが、本能寺変後の安土城落城とともに落城しました。 上写真が観音寺城のある繖山(きぬがさやま)の全容で、標高432mの頂上付近に、石塁による保存状態が良い、本丸や家臣団邸宅跡の曲輪の遺構がゴロゴロあります。 下写真は本丸にある石塁の遺構で、北隣の山の安土城の石垣と比べると、石が小ぶりで乱雑に積まれており、時代が安土城より古いことが理解できます。 観音寺城へは駅の観光案内所で地図をもらい、桑実寺経由で山頂に行き、遺構を見学した後、観音正寺経由、南側麓の日吉神社に出るのが良いでしょう。石段がかなりきついですが、苦労する価値はあると思います。 |