北ハイツの万葉植物、ユズリハ

酒井 均   

1 ユズリハとの出会い

4月のある日、管理事務所の西側に植えられた一本の木に思わず見とれてしまいました。枝の先端に新緑の葉が放射状に集まり、しかもその柄が長くて赤いのです。鮮やかな緑の葉と赤くて長い柄がとても印象的でした。
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写真1:管理組合事務所角のユズリハ(雄株)
赤い長い葉の柄は4月ほど目立たない。
 平成18年5月29日
それからも何回かその木を眺める機会がありました。その都度なんという木かな?と思いながらも他の事に紛れて忘れていました。

その木がユズリハである事を知ったのはそれから1ヶ月ほどしてからです。たまたま家内とその木を見る機会があり聞いてみました。彼女は「これはユズリハですよ!お正月に使うでしょう」と即座に答えてくれました。

早速植物辞典とインターネットで調べて見ました。ユズリハは常緑樹です。しかし毎年春さきになると、枝先に出た新しい葉が成長し始め、2年葉は夏から秋にかけてしおれて落ちていきます。子が育ったのを見て親が代を譲る様がハッキリしているため、代を譲るという意味でユズリハ(譲葉)と名づけられたとなっています。お正月にはうらじろや橙(ダイダイ)とともに縁起物として飾られたのです。

ユズリハは雌雄別株であり、雄花も雌花も新しい葉が出る4月ころ古い葉のすぐ上に咲くことも写真で知りました。雄花の写真を見て4月ころ新長島川親水公園を散歩していて同じような情景を見たことを思いだしました。早速パソコンに撮り溜めてあった写真を調べてみると確かにありました(写真2)。雄花です。この辺がデジカメの良いところです。
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写真2:ユズリハの雄花
新長島川親水公園 平成18年4月13日

しかし残念ながら雌花の写真らしいものは撮っていません。雌花はどうも雄花ほどには目立たないようです。こうして今年は雄花と雌花を自分で観察する機会を逃しましたが、6月の初めになるとユズリハの雄株と雌株の区別がはっきりして来ました。雌花から青い実が生まれて来たからです(写真3)。4月から6月までの間にユズリハはその姿をどんどん変えていきました。

 

2 万葉集に詠われたユズリハ

ユズリハが万葉集に歌われている事を知ったのもインターネットを通してでした。

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写真3:6月にはユズリハの実がなる
マルエツ裏 向こうは江戸川区球場 平成18年6月22日
天武天皇(第40代)の第6皇子、弓削皇子が持統天皇(41代)に従って吉野離宮に遊ばれたとき、父帝の妃の一人であった額田王(ぬかたのおおきみ)に贈った歌です。今から約1300年も前の事です。

「古(いにしへ)に戀(こ)ふる鳥かも弓弦葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡り行く」(弓削皇子、万葉集巻2−111)

ここで弓弦葉はユズリハの別名で、太くて曲がった葉の主脈を弓に例えたとされています。ユズリハの名はここから来たという説もあります。ともあれ歌の意味は

「ユズリハの茂る泉(御井)の上を鳴き渡る鳥がいます。昔の恋を懐かしんでいるのでしょうか?」

この歌の背景を知るためには天武天皇の兄であった天智天皇から話を始める必要があります。天智天皇は、私のように戦時中に日本史を学んだものにとっては、忘れられぬ天皇です。藤原鎌足とともに蘇我入鹿親子を倒し天皇親政を取り戻した「大化の改新」の立役者、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の即位後の贈り名です。

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写真4:我が家では百人一首というと坊主めくり。
天智天皇、持統天皇、光孝天皇の3枚が最強の札で手持ちの札を全部持っていかれた。
天智天皇は始め弟の大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)を後継者としますが、やがて実子の大友皇子に軸足を移していきます。この為天智天皇の死後、皇位継承をめぐって大海人皇子派と大友皇子派の間で武力衝突が起こります。これが日本古代史最大の内乱といわれる「壬申の乱」です。もっとも戦時中の歴史の授業ではこの話は一切触れられず、私も戦後初めて知りました。

壬申の乱で激戦を制した大海人皇子は明日香に都を遷し即位して天武天皇となります。天武天皇は10指に余る女性を娶り、多くの子女をもうけましたが、弓削皇子もその一人でした。額田王は弓削皇子にとっては亡き父君の恋人です。しかし彼女はまた天智天皇の寵愛も受けたとも言われています。壬申の乱の原因は様々に言われていますが、額田王をめぐる兄弟間の恋のもつれをその一つに数える人もいます。

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北ハイツにある万葉植物
朝顔、秋の七草など草花は数えていません。
この歌が詠われた当時、額田王は恐らく60代半ば,当時としては高齢者です。過ぎし日の天武時代を懐かしむ心を周囲に漏らしていたとしても不思議ではありません。

弓削皇子は、父天武天皇に対する想いを忘れられぬ額田王の心情を「弓弦葉の御井」の上を飛ぶ鳥のさえずりに重ねたのでしょう。当時若干20代の若者とは思えない優しい心根です。

この時代、宮廷内の人間関係は今の我々には想像もつかないほど入り組んでいます。額田王と持統天皇は共に天武天皇を愛し、額田王は持統天皇の父とも関係があった訳です。弓削皇子は父を愛した2人の女性をどのように見ていたのでしょうか?

持統天皇も万葉歌人として知られています。その一首は小倉百人一首に「春すぎて 夏來にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山」として納められています。持統天皇は天智天皇の娘ですが、叔父の大海人皇子に嫁し、壬申の乱が始まる前から皇子とともに吉野に移り住んでいました。吉野は彼女にとっても天武天皇との思い出の地です。弓削皇子は持統天皇にも歌を献じたのでしょうか?

 この辺の詮索はその道の好事家に任せるとして、歌の詠われた季節は何時頃でしょうか? ユズリハは写真1から3が示すように、4月には新芽が現れ雄花、雌花が咲きます。しかし5月には花がちり、6月には雌花は実を結びます。弓削皇子と額田王が見たユズリハはどんな様子だったのでしょうか?

額田王が弓削皇子に和した返歌を見ると御井の上を鳴き渡った鳥はホトトギスだと分かります:

「古に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし吾が思へるごと」

ホトトギスは大友家持を始め万葉歌人の好きな鳥だったらしく、万葉集に153首も読まれているそうですが、渡り鳥で日本に現れるのは5月です。万葉の歌の多くがホトトギスを橘の花や卯の花と対で詠んでいることからも分かります。江戸時代の俳人、山口素堂の有名な句にも「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」とあります。

これらのことから、どうも歌の時期は5月から6月の初夏と分かります。弓削皇子と額田王が目にした弓弦葉は、既に雄花は散り、雌花が青い実を結んでいたのでしょう。もちろん私の勝手な想像ですが。

3 北ハイツとその周辺のユズリハ

ユズリハの特徴を知ってから北ハイツ内を歩くと意外とユズリハが多い事に気づきました。例えば、管理組合事務所の角には3本のユズリハがあり、写真1を含めて2本が雄株、1本が雌株と分かりました。

念のために平成18年作成の植栽リストを見ると42本もあります。そこで植栽平面図を片手に北ハイツ内のユズリハの位置を調べ、例によってグーグルマップに落としてみました。ついでに北ハイツ周辺のユズリハに付いても気がついた限りですが、マップに落としてみました。

このページを開いたときマップは「北ハイツ全景」を「地図+航空写真」モードで示しています。マップ下のボタンをクリックすれば北ハイツ内を更に拡大して見たり、周辺のユズリハの位置を見ることが出来ます。左上のスケールバーを操作することによっても拡大率を変えることが出来ます。また地図の標識が邪魔な場合は右上の「航空写真」をクリックして下さい。

北ハイツ内で見つけたユズリハは今の所34本で植栽リストより8本も足りません。専門の植栽業者には見えても私には見えないユズリハがまだあるようです。これから先も見つけしだいマップに入れていきます。

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写真5 サクラの木越に見た12号棟中央の
2本のユズリハ(雌株)。左端はヤマモモ。(10月13日)
北ハイツ内のユズリハの雌雄を、実がなっているかどうかで区別すると、雄27株に対して雌7株で圧倒的に男性社会です。雌株の内3株は12号棟の中央部に、他の4株は1、10、11号棟および管理事務所に1株ずつ分散しています。雌雄でマーカーの色や形を変えれば、マップ上で容易に性別を認識できるのですが、今のところ私の力不足のため出来ません。目下必要なプログラムを勉強中です。どうしても雌雄の別を知りたい方は各マーカーをクリックして下さい。

北ハイツのユズリハの中でも上に触れた12号棟中央の4株は、日当たりもよくもっとも元気があります(写真5)。3株の雌株はいずれも子沢山で殆どの枝に実がなっています(写真6)。11号棟と12号棟の間の広場には2本のサクラがあります。来年のサクラの季節にはユズリハも雄花と雌花を咲かせているかも知れません。期待しています。

サンゴの遊歩道(緑道)から新長島川親水公園にかけてもユズリハが点在します。これらの中でもお勧めはマッップ下のボタン「新長島川親水公園」をクリックして現れるマーカーの内、下から2番目のユズリハです。写真2は4月にたまたまその前を通ったとき、雄花が満開で素晴らしく、ユズリハの名も知らぬまま、思わず写真をとったものです。
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写真6 12号棟中央のユズリハ(写真5)には
殆どの枝に実がたわわになっている。(10月13日)
このマーカーをクリックすると木の全景の写真にリンクできます。この近くにもサクラがあります。来年の4月が楽しみなユズリハです。

ところで、万葉集にはもう一首ユズリハを詠った歌があります。作者不詳ですが:

「何ど思へか 阿自久麻山の弓絃葉の ふふまる時に 風吹かずかも」

「ふふまる」は若芽が開かないでいる様を表す言葉だそうです。「ユズリハの若芽のような彼女!、早くしないと誰かに取られてしまうぞ!」 親水公園を散策する若者にぴったりの歌です。

4 北ハイツの万葉植物

万葉集には沢山の植物が登場します。万葉植物を調べた手頃なホームページを探すと150種を挙げたサイト1 と100種を挙げたサイト2 が見つかりました。しかし、サイト1も総てを網羅している訳ではなさそうです。恐らく200種類近い植物が登場するのではないでしょうか? 

これら2つのサイトから、北ハイツにはユズリハを含めて18種の万葉植物があることが分かります。上の表に名前と本数をまとめました。これらの植物に付いてどんな人がどんな歌を詠んでいるかも上の2つのサイトから知ることが出来ます。例えば北ハイツの万葉植物でもっとも多いツバキについては、春日老(かすがのおゆ)の面白い歌が載せられています

「河の上(へ)のつらつら椿つらつらに、見れども飽かず巨勢の春野は」
巨勢の地は古から椿の名所で、椿が「つらつら」と連なっている様を読んだのだそうです。

200種の万葉植物のうち北ハイツにあるのは18種です。北ハイツを万葉植物園に模するのは流石にはばかられます。しかし万葉植物は万葉植物園に行かなければ見れないと思っていた私にとってはこれでも大発見です。しかも北ハイツに植えられた約60種の樹木(「森の中の北ハイツ」参照))のうち18種が万葉植物ですから、種で見れば3割が万葉植物ということになります。

今は11月半ば、紅葉の季節です。万葉集には"紅葉"を詠った歌が150首もあるそうです。北ハイツの秋はケヤキやユリノキが多いため紅葉というより黄葉から褐葉が優勢で紅葉はあまり目立ちません。しかしがっかりすることはありません。上の150首のうち真の紅葉を詠ったものは5首だけで残りは黄葉だそうです。

「 手折(たを)らずて、散りなば惜しと、我が思ひし、秋の黄葉(もみち)を、かざしつるかも」(橘奈良麻呂)

万葉歌人たちが遊んだ秋の森は北ハイツの森に似ていたようです。

こうして見ると、北ハイツの森には万葉歌人たちが愛した自然が、一杯にとは言わないまでも、程よくつまっているようです。万葉歌人たちも、北ハイツの森を訪れることがあれば、あちこちで歌合わせに興じるのではないでしょうか?