伊藤良一(その節は直ぐに火曜会の多くの方々からお見舞いの電話やお手紙などを頂戴し、有り難うございました。あらためてお礼を申し上げます。あれから3年5か月余り経ちました。当時のメモ帳と記憶を便りに寄稿します。)
それは1995年1月17日午前5時46分、淡路島北端付近の海中で最初に始まった。M 7.2、神戸・三宮の震度7である。あとから発表された第一震源地の位置を地図で見ると、そこから拙宅は北西に約10km、しばしば報道される野島断層露出地点は西南西へやはり10km、被害が激しかった三宮・灘は北東へ20km前後、芦屋も同方向へ30kmにある。
拙宅と震源地の丁度中間の辺りを明石海峡大橋が架かっているが、この橋はアンカーレイジ(両端にあってケーブルを固定しているコンクリートの塊 アラスカの港町名と同じスペル)間の距離が設計時点では3,910mだったのに、地震のために1mも長くなった。工事に10年かけたこの橋は今年の4月5日に完成・開通したが、この工事で地盤をいじくったために今回の地震が起こったという話は無根で、エネルギーが全く桁違いの由。
この至近距離にあった拙宅の被害が最小限で済んだことに対しては何とも感謝のしようがない。屋内は別にして、建物は外壁にごく僅かのひびが入った程度のことで済んだ。 200軒程のこの小林住宅は概ね軽量鉄骨・セメント瓦葺きで、築後丁度20年。道路の何mかおきに亀裂が入ったほか、瓦や塀がずれたり、壁にかなりのひびを生じたりした家が半ば以上であった。この際にということもあってか、1割以上は建て直しをした模様である。
話をその時点に戻す。何時もの通り二階でまだ眠っていたところを突然突き上げられ、飛び起きた、──のではなく布団ごと飛び上がり(自動詞ではない 他律的・他動的に)、叩き起こされたのである。「ワーッ」と叫んだと思う。引き続いて縦揺れか横揺れかその両方か、もう無茶苦茶である。傾いて来た箪笥が家内の上に倒れないように支えるのが精一杯。幾らか納まるまでが長い時間に思われた。
余震が続くなかで、枕元付近に置いてあった筈の懐中電灯を漸く捜し出した。本当の“枕元”と“枕元付近”では大変な違いである。各部屋の状況を調べて回る。
本棚は殆どどれも傾いている。そのために部屋のドアがなかなか開かない所もあった。倒れてしまうまでに机とか石油ストーブ(それ以来制御機能が些かボケている)とかがあって、それが支えて止まっている。
食器棚もほぼ同様。中の食器類も7割方壊れ、あとで集めたらダンボール箱に3箱分の割れ物が出来た。重いTVも途んでもないところにすっ飛んでいた。寝床をもう少し南に寄せて引いていたら、本やその上に載せてあった物の雨に叩かれて顔にたんこぶの一つも出来たであろう。物探しの途中、ガラスの破片で手足に怪我をしなかったのも不思議である。
この大震災が起こったのが間もなく明るくなるこの時刻であったのは天のせめてもの慈悲であった様に思える。もっと早かったなら物探しが大変、そのために余計な怪我もするであろうし、暗いための不安も大きく、やっと捜し出したマッチで火を点けて、火事になることも多かったであろう。逆にもう一寸遅かったなら起き出して炊事を始めていた筈。あの場合、火元から一寸離れていたら消しに行くことすら容易でない。新幹線も動き始める寸前であった。拙宅の付近でも新幹線の高架が大きくずれた。身の毛がよだつ。
電気は来ないので携帯ラジオをつける。これは大変なことになった。6時半頃であったか、きっと電話がパンクするであろうことに気がついて、千葉と水島にいる愚息2人と親戚の拠点に電話をした−−「かくかくしかじかで、今にTVが言うであろうが、当方はこのような最小限の被害で済んでいる。安心あれ。」と。いずれも寝耳に水の様子。その後の電話のパンクは予想どおりであり、間もなくこちらかけても通じなくなった。
電気はじきに通じた。水道の水も当初は普段と変わりなく出ていたが、そのうち水圧が下って来たことに家内が気付いて、慌ててあらゆる容器に水を一杯入れた。風呂に入れた水がトイレの水洗などのために貴重品となることがじきに分かった。用足し後、反射的に手がカランにかかるのに苦笑することがなくなるのにかなりの日数を要した。18lの石油ポリタンクや大きなポリバケツをスーパーで買い求め、何回か水の出る所へ行って並んだり、市の浄水配給車を待ったりもした。やがて近くの学校の水道が出ているのを見つけた。そこはそれほど順番待ちをする必要のない穴場であった。
ガスもじきに止まってしまった。プロパンボンベの卓上ガスこんろには重宝した。暖房は石油ストーブで。旧式のものはその上で少々の煮炊きも出来る。新式のものは安全のために天板上でも火傷しない様になっているのでそういうことは出来ない。幸い電気が来ているので米は炊けるが、惣菜や、インスタント食品をスーパーでよく買ったことが家内の家計簿に記録されている。
震災以来馴染みになったこれらいわゆるライフラインの有り難さをつくずく思い知らされた。ガスと水道は結局2週間程して相次いで通じた。この間1度だけ知り合いの家で風呂に入れて貰った−−廣田榮治君に頼まれて、彼の弟子に嫁さんを世話して出来上がった家庭で。それまで痩せ我慢を張って、「風呂に入ったために死んだ者は多いが、入らなかったために死んだ者はいない」とうそぶいていたが、10日ぶりに肩まで湯に浸った時には流石にいい気持ちであった。日本人だからだナーと変な感慨にも浸った。
拙宅は交通網が寸断された阪神地区の西にある。幸い(かどうか)、その頃は雇用保険を貰いながら、例の切手の本の執筆に没頭していた。(電話が通じて間もなく、裳華房から「切手は大丈夫ですか」と問い合わせて来た。本棚から半分飛び出したり落下した切手アルバムの中で無傷であった。)つまり何処かへ出勤する必要はなかったので、そのための苦労は全くしなくて済んだ。家内は民生委員やら何やらのため何時も以上に忙しく、車で走り回っていた。
雇用保険を貰うためにハローワークへ行く日を忘れていて、翌日気がついて行ったら、普段はとてもうるさい窓口の様だが、非常時とて全くとがめられなかった。数カ月後のことであるが、通常の雇用保険給付が切れる日を越えて60日分も余計に頂けたのは有り難かった。ある程度以上の被災地域に住む受給者は全員に適用された模様である。
一寸だけ残念であったのは、1月27日に東京で日本知的財産協会の総会があり、私は長年この協会の役員(副理事長とか常務理事−−と言っても常勤したわけではない)をしていたとして招待され、感謝されることになっていたのに、行かなかったことである。神戸・三宮を通らず、六甲山脈の北を大回りすれば行けないことはなかったのであるが、とてもそのような気になれなかった。後日感謝状と記念品が送られて来た。
この家を買った時、400m北を通る新幹線の音の影響は考慮したが、地震のことは全く念頭になかった。震災直後からマスコミに登場する活断層なる言葉も全く知らなかった。しかしこのワープロで打って見ると、変換で直ぐに出てくるのを知った。地震保険には入っていないだろうなと思いながら調べたが、やはり入っていなかった。
大きな余震が来るかも知れないという話も出てきたので、慌てて短期間の地震保険に入った−−無駄に終わってよかったが。そのとき分かったことであるが、日本では地震保険料は地域により、4区分されていて、静岡、神奈川辺りが最も保険料の高い地域、兵庫県を含む関西一円は何とこれに次ぐ地域に入っているではないか。つまり専門家の間ではこの辺りに地震が起きる可能性は結構あることになっているのである。
地震学者からは、「その様に警告していたではないか」と後になって言われることが何度かあったが、聞いたような気がせず、それこそ後の祭りである。阪神地方に住む多くの我々は地震は伊豆地方・東海地方に起こるもの、この辺りには来ないものと安心していた。地震保険を掛けていて、この度貰ったと言う人を1人だけ知っている。長年掛けたことを考えても得をしたかどうか迄は聞きそびれた−−折角喜んでいるのだから。
地震学者は声を大にして「君達の安心は間違いである」と言うべきであったのではないか。尤も彼らは100年単位で物事を考える人種だし−−自信がないので?(失礼)−−あまり大きな声では言わなかったのかも知れない。でも少なくともマスコミは我々の無知・誤解に対して警鐘を鳴らすべきであった。
このことに限らずマスコミは世論・社会に大きな影響力を持っている。新聞に書いてあることはすべて本当だと多くの日本人は(誤)解する。新聞は自分の影響力の大きさに恐れおののき、その責任を感じて行動をしてほしい。誤りがないとして殆ど謝らない新聞の、しかも朝日の社説で、流石に「───警鐘を鳴らさなかったことには忸怩たるものがある──」と言うようなことが大分後になって書いてあるのを読んだ。地震の心配を喧伝するとその地域の地価に影響するかも知れない。地方の牽制もあるいはあって、声を大にしなかったのではと、痛くもないかも知れない腹を探りたくもなる。
あれから3年4か月。拙宅でもそろそろあの時のことは風化しかけている。あの直後、本棚が倒れない様に針金で止めたり、本が落ちない様に本棚の一部に鎖を横に渡したりしたのはそのままになっているが、非常持ち出し袋の中身はかなり乃至殆ど流用されている。風呂の水を入替え直前まで流さないのは大震災以前から実施している−−万一火事のときに役立つからと言われているので。
火事に逢ったこと、出したことは未だないが、空き巣に入られて、主に預かっているかなりの金を盗まれたことはある−−大震災の翌年であった。もし忘れた頃に再び大地震が起こった時、また同じようなうろたえをしたら、「何と懲りもしないで」と顰蹙を買うだろうと思いながらである。まさかあんな大きな地震はそうそう来ないだろうと思ってしまう。空き巣対策すら風化しかけていて、この方はときどき家内とお互いにネジを巻き合っている−−空き巣の危険性は地震よりも格段高いであろうから。