4.(相生橋〜)

15.相生橋
隅田川は永代橋付近で川はふた手に分かれ、本流は中央大橋の方へ、 もう一方は相生橋の方へ分かれます。この橋は明治36年、中の島を挟んで月島側のと深川側のの二橋からなる橋として架けられました。大正12年の関東大震災で焼失しましたが、震災復興事業として大正15年に復旧し、現在はトラス橋に架け替えられました。この橋の真下にその小さな島、中の島があって、公園になっています。 東側を見ても、西側をみても眺めがいいきれいな公園です。 中の島へは、相生橋の途中から下りられます。 この付近の遊歩道は 広々としてきれいに整備されています。
16.中央大橋
大川端リバータウン21と中央区新川を結ぶ橋として平成5年に完成した新しい橋です。隅田川に架けられてた橋の中では一番新しい橋です。地域のシンボルとなるように、タワーを有した斜張橋が採用されました。周辺は大変景色のいいところで、オフイスも充実、こんなところで仕事できる方は幸せだなと思ったりします。傍らには隅田川とパリのセーヌ川の友好河川提携を記念して、フランスから送られた「メッセンジャー」という像が設置されています。
17.佃大橋
隅田川の新名所、聖路加ガーデンの近くにある、今時の橋です。江戸時代に摂津佃村の漁民が佃島に住むようになってまもなく「佃の渡し」が設けられ、昭和39年に佃大橋が完成するまで、300年以上渡船場として長い間親しまれていました。
18.勝鬨橋
勝鬨橋は最下流にあり、東京湾へとつなぐ隅田川の玄関口で、築地と月島を結んでいます。月島は明治25年に築島され急速に発展していきましたが、交通手段としては明治36年に開通した深川方面の相生橋しかなく、京橋方面からは渡船に頼っていました。そのうちの一つである「勝鬨の渡し」は、明治38年に日露戦争の戦勝(勝ち鬨)を記念して名付けられたものですが、昭和15年に完成した橋にその名前が引き継がれました。勝鬨橋は、大型船を通過させるため、時間を決めて中央部が 2つに分断されて跳ね上がるという開閉式で有名でした。開通当初は一日5回開きましたが、戦後は一日3回となり、橋上の交通量が多くなり、また大型船が通過することもなくなったので開閉はされなくなり、 昭和45年の11月29日を最後に、開くことはなくなりました。 両サイドの遊歩道はきれいに舗装され、春にはつつじがきれいです。また、欄干部のグリーンの間接照明灯と、直線のブルーの照明が、夏の夜に涼しさを運んでくれるとても美しい橋です。ライトアップは日没から22:00迄です。
隅田川を下って東京湾までやってきました。江戸と東京をつなぐ隅田川の小さな旅、いかがでしたか。 天気のいい日にのんびりと出かけてみてください。もっと東京が好きになるかもしれません。
隅田川18橋めぐり
東京小さな旅