The Tokyo Heritage

銀座







○○銀座というのはいったい全国にいくつあるのでしょうか?
ご存じのようにその名は1612年に徳川幕府がこの地に銀貨鋳造の役所を置いたことに始まります。
その後明治2年に正式な町名になりました。明治5年、銀座を大火が襲いました。
その後銀座はロンドンをモデルとした、火に強い煉瓦造りの町へと再生されました。これが今の銀座の始まりです。

服部時計店(和光)・フル−ツパ−ラ−の祖、千疋屋、あんパンの木村屋など数多くのものがこの町から生まれました。
しかし、このガス灯が点る日本初の欧米風商店街も関東大震災で全てなくなってしまいました。
その当時の名残は今は、「煉瓦銀座の碑」(銀座1丁目)として残っているだけです。

しかしその後の昭和初期の建物は今でも見ることができます。
再建された服部時計店、現在の和光(昭和7年)、泰明小学校(昭和4年)、交詢社ビル(昭和4年)などです。
しかしながら交詢社ビルはもうすぐ建て替えのため取り壊されてしまいます。(2001年夏)
また有名だった香蘭社ビル(大正15年)は、今はありません。
その後も銀座は、「君の名は」・「銀座の恋の物語」と時代を綴り、現在に至っています。
たまには、いつもと違ったもう一つの銀座を探されてはいかがですか。


       

    
和光                     泰明小学校                   交詢社ビル


地下鉄銀座駅下車





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