グッドマン・インタビュー

その43回

鎌田雄一


小川圭一(アルトサックス)
1953年3月26日
  埼玉県大宮市生まれ
中学1年生の時に栃木県佐野市に転校。
足利工業高校、化学科、卒。グッドマンには96年9月より出演。


■楽器を始めたのはいつから?

●中学時代にギターを少々、高校の一年生からブラスバンド部に入部して、初めてアルトサックスを吹き始めました。

■その頃からジャズは聴いていたの?

●ジャズに興味を持ち始めた頃に足利に「オーネット」と言うジャズ喫茶がオープンして、ほとんどそこに入り浸りでした。そこのママのキーちゃんが、とてもフリージャズ好きな人で色々オーネットコールマンやアルバートアイラーなど、フリー系のジャズを聴かされ、すっかりハマッテしまいました。

■グッドマンでCOMMEZAUXをやり始めるまで、けっこう長い期間ですけどどんな活動をしていたの?

●高校を卒業してからは、新宿歌舞伎町にあった。JAZZ CLUB「タロー」でアルバイトをし、マスターの太郎さんにコルトレーンのヴィレッジバンガードアゲインを聴かされたり、国内の色々なミュージシャンの生演奏を毎日聴いていました。そこでピアノの本田竹廣さんがビータ(生演奏旅行)のボーヤ(楽器を運んだり,セッティングしたり,雑用をする人)を募集していて、本田さんの人間性と旅が出きるという魅力にひかれてしばらくやりやりました。でも、その頃テナーサックスの高木元輝さんと知り合い、なんといってもその頃の高木さんの演奏と生きざまに強く惹かれ、大変影響を受けたと思います。その後、プロのミュジシャンとしてクラブ、キャバレー、ディスコなどで、いわゆるハコバン(その店のレギュラーバンド)で10年ぐらい演奏し、その合間にジャズ喫茶などで、演奏していました。

■フリージャズにハマッタ人がハコバンとかって矛盾で苦しんだりしませんでしたか俺も一度キャバレーのビッグコンボにさそわれて立ちんぼで入ったことがあるんだけどチェンジバンドの人達が歌謡曲をコルトレーンスタイルで演奏していてたいへんな世界だ自分には出来ないなぁと思ったことがあるけど。

●僕はその点ではまだ恵まれていて早い時間の2ステージ目までぐらいは、スタンダードジャズは、出かなっかったけれど)バンマスも浅倉功一というスバラシイトランペッターで色々と教えてくれた。……でも、やはりストレスたまり、ある日ショーの最中にプッツンしてしまい、フリーのソロを吹きまくり、クビになった。それ以外ハコバンはやっていません。その後高木さんに勧められ、福井に移り住んでフリー一色の強いオリジナルバンドに入り、5年ぐらい演奏しました。その後、わけがあて福井を離れ、日本国内ですが、放浪の旅に出て、レゲバンドなどで演奏」していましたがやはり煮詰まってきて……。その頃、ニュージャズシンジケートのトランペッター庄田次郎さんと出会ってそのシンジケートのセッションでピアノの斉藤浩君やドラムの難波博充さんと知り合ってCOMMEGAUXを結成しあした。(注、3月4月はメンバー増えてサークルの名前で) ■じゃあ苦節25年でやっと念願のフリージャズのバンドが結成出来たことになるわけですが、今の時代にフリージャズを演奏するということに何か抵抗みたいな ものを感じませんか?

●抵抗というよりもむしろ僕は必然性を感じます。……というのは、今まで僕達は西洋音楽や黒人の音楽の影響を受けてなおかつ、模倣してきたわけです。今でもそういうやり方で音楽をしている人達が沢山いると思います。それはそれで日本人のジャズということで大変結構なことだと思いますし、今まさに日本のジャズが確立している時だと思いますが、でも僕自身の魂の中には、どうしても黒人ブルースのペンタトニックスケールを見つけることが出来ませんでした。今、僕が西洋音楽や黒人のジャズをやるとしたらそこには学習して覚えた音楽理論にのっとって演奏するというやりかたしかないように思えるのです。むしろそpっちの方に抵抗を覚えるのです。今は西洋音楽や黒人音楽んび影響を受けた日本人として、すなおに自分自身の内側から出てくる音を素直に演奏したいと思っています。それと今は目に見えない力にというものに、すごくひかれています。いわゆる「気」というものでしようか、音のパワーも目には見えない、ひとつのエネルギーだと思います。……それを聞き手になんとかしてつたえていきたいと思いますがそれを正しく人間にとって良いエネルギーとして伝えるには演奏者自身が修業をして(楽器の練習など)より霊的に向上することが必要だと考えています。

■なるほど……。今年からcommezaux以外に、ソロのライブも始めるようになりましたがバンドの時とソロの時で、どのように意識の切り替えがありますか

●バンドの時には、聞き手よりも、まず共演者のエネルギーを中心とする。その場のエネルギーを感じとり、ソロの時にはその場の雰囲気その物を自分なりに感じとって演奏するようにしています。

■じゃあ最後に水野さんからの質問で「音楽以外の表現でこだわっているっものはなんですか?(受けてとしてでも送り手としてでも)」

●全ての芸術と普段の日常生活の中での草木や花、動物などの自然、そして人々とのかかわりに、感応すること。なんだかすごく格好いいけれどもでも本当に今、そういう事を考え実行しようと思っています。総ての人や物に対し愛や思いやりを持って接することが出きるようになれば自然と自分の楽器もそういう音が出るようになると思います。


編集後記

小川さんちは、新宿と新大久保の中間、明治通り沿いのマンション5階。(もうじき庭のある家に引っ越すと言っていました。)ニュージャズシンジケートのセッションが毎月行われている「ライブインピア」はすぐ近所。地元だったんですね。前回スペースがなくて書けなかったんですが、予定していた玉井さんにことわられたので(パーカッションの村山さん、中尾さんに続いて3人目)水野さんに急遽バトンタッチしてもらいました。昔の話がいやなら雑談でもいいんですがね。

次回はcommezauxメンバーの斉藤さんの予定です。


jazz club グッドマン[TOP]へ戻ります