グッドマン・インタビュー

その32回

鎌田雄一


三浦陽子(P)
1952年1月28日荻窪生まれ
10才から20才まで福岡で育つ。
福岡県立福岡高校卒。
グッドマンには1995年10月から出演。


●大学へ行かなかったのは何か理由が?
◯過程の事情で行かれなかったのですが、最近考えると、行かなくてよかったかなと思っています。

●ピアノは子供の頃から?
◯小学校2年生の頃から、クラシックを始めました。

●ジャズを聴き始めたのは?
◯20才前後。-----実をいうと、jazzだと思って聴いていたのはあとで考えると、ジルバなどのダンシングミュージックだったりしたので、本当にジャズを聴き始めたのはいつなのか、ちょっとはっきりしないのですが---。22才で上京してjazz Schoolに行くようになってから自覚的に聽ようになりました。

●上京してjazzを習おうとしたきっかけは?
○その頃、ピアノでは、あまり仕事がないので、エレクトーンをやっていて、いろいろなポピュラー曲を弾いていたのですが、どれも何かもうひとつしっくりこなくて自分が夢中になれるアーチストを探しているときに、フランスの歌手、バルバラに出会いました。---そのレコードのライナーノートに、彼女がjazzの影響を受けている。とか書いてあるのを見てなんとなくjazzに興味をもち始めたのです。それで福岡でも何度かjazz 喫茶へ行ってみたりしたのですが、その頃は、jazzそのものの迫力に圧倒されてしまい、じっと我慢して座っていたような気がいたような記憶があります。---それでも、バルバラの音楽の要素に大きな役割を占めるjazzに強い興味を持つようになったのです。

●Jazz Schoolへ行ってみてどうでした?
○そこで佐藤允彦さんのクラスを受けたのですが、その価値観はとても新鮮でした。先入観にとらわれず自由にアプローチしていいというのは、頭の上の天井が取りはら和れたっような、とても自由な気分でした。

●具体的にどんな教え方をするの?
○コードネームから入るのでなく、そのメロディーを自由に解釈するというのでしょうか、-----こういう風にもできる----こういう風にも---と、まるで手品みたいに一つ野曲がちがったイメージになるのが、とても印象的でした。

●Jazz Schoolを出てからの音楽活動は?
○お店で弾くような音楽の仕事をすると、ピアノが上手になる、と勧められ始めたのですが、Jazz Schoolでつかんだあの自由さは何だったんだろうと思うほど、自分のテクニックのなさ、お店の要求することetc出、不自由感を思い知らされました。

●それを克服するのにどんな方法を?
○音楽を10年間やめたのです。----具体的にいうとお、ある晩、お客さんに「君の音貧しい音だね」と言われ、実際、その頃、自分でも自分の音が好きでなくなっていましたので、次の日、ピアノを売り払い、音楽と関係のない生活を始めたのです。---皮肉なことに、やめてから音楽の聞こえ方が変わってきました。それまでついテクニックや理論というフィルターを通して聞いていたものが、もっと音楽そのものを味わえるようになったのです。---やめてよかったと暫くは思っていました。ところが4〜5年経つと、メロディーが次々と浮かぶようになり、困ったことに、また弾きたいという気持がむずむずと頭を持ち上げてきたのです。

●5〜6年もむずむずしていたということは、演奏再開するのに、何かキッカケが必要だったの?
○演奏再開するというより、逆にすっぱり音楽と縁を切ろうと---たまたまジャズライフで見た、鈴木良雄さんの教室に通ってJazz理論のレッスンを何度か受ければ自分とジャズの世界のギャップをしっかり見極められるきれいに辞められるだろうと思ったのです。----ところが、そこで何か弾いてみてといわれ弾いた自分のオリジナルが評価され、やめるキッカケを失ったままいつのまにか、音楽の方へ向かうようになってきたのです。---3年前に、六本木でベースとDuo(スタンダードとオリジナル)を始めました。

●グッドマンにくるようになったのは、当時ebソロをやっていた山本圭一さんのライブのゲストでしたね。その山本さんとは佐藤さんとのランドゥーガ道場で知り合ったって聞いたけど、ランドゥーガ道場の印象は?
○佐藤允彦さん楽しんでるな、という感じ。---以前知っていた佐藤さんの音楽とは違った印象だったけれど、こういう風に肩の力を抜いて、友達にでも会いに行く感じdやる音楽もいいな、と思いました。

●Duoの仕事とは別に、グッドマンでソロを始めるに当たって、何か考えるところがあって?
○最初は自分のオリジナル曲を、何の制約もなしに演奏し、発展させる場が欲しいという動機でした。でも一年ぐらいやっているうちに、もっといろいろ面白いものが見えてきたような感じがします。---場から自分が影響を受けるというのでしょうか。もっと自由になりたいという願望が出て きたような気がします。

●最近映画学校の卒業制作の16m/mフィルムに音楽をつけたんですよね。どうでした?
○失敗も含めて、とてもいい体験でした。---純粋に音楽だけで空間をつくっていくのと違って、他の媒介とハーモナイズするのは、とっても難しいと思いましたが、ひとつのものをつくるのにいろんな方向からエネルギーが注がれるのは、とても刺激的でした。自分の音楽のアプローチに、もう一つ回路が出来た気がします。

●では最後に、前回インタビューの木下さんからの質問で「ピアノを打鍵する瞬間に考えることとかありますか?」
○出来るだけ何も考えないようにしています。


編集後記

三浦さんちは、井の頭線の永福町から和田掘り公園の方に歩いて7〜8分のマンションの5F。エレベーターがないので忘れ物をすると取りに変えるのが大変だと行っていました。でも、眺めは最高。駅で待ち合わせたのですが、少し早目に着いたのでブラブラ散歩をしていると、ディスカウントショップから何故かジャズがながれてくる。つい誘われて入ると、ラジカセやビデオデッキに混じって、レコードが1枚200円。ほとんどサントラとかポップスでしたが、タルファーロウ2枚、バーニーケッセル1枚、きわめつけは中村誠一のマイナスワンレコード、計4枚800円で買ってしまった。あと、帰りに、例の16m/mフィルムをビデオに移した、ものを借りてきました。「IZUMI」というタイトルでスタッフはグッドマンにも来てくれたことがあるんです。しかし、映画好きの私に見せたのが運の付き、ウヒヒヒ、批評しますよ。47分の長編でっっっすが、よくまとまっていました。しかし、やっぱりあまりにも優等生的。卒業してからテレビ局の仕事はそつなくこなすんでしょうが、ドッキンとさせてくれる映像が、ワンシーンもなかった。シナリオも4人がかりでやったにしては底が浅い。頑張れ!未来の映画マン。

次回のインタビューはパーカッションの沢田さんの予定です。


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