グッドマン・インタビュー

その31回

鎌田雄一


木下正道
1969年2月4日
福井県大野市に生まれ、育つ。
高校卒業後上京、職を転々とした後東京学芸大学音楽科にて
作曲、ピアノ、声楽などを学。
グッドマンには去年の11月より日置寿土gとデュオで出演。


●音楽に道に進もうと決めたのはいつ頃?
◯中学生のころ、ブラスバンドでホルンを、また同時期にハードロックバンドでキーボードを弾くようになったのが音楽を始めるきっかけでした。ただ、意識的に音楽をやっていこうと決めたのは、上京して三年ほどしてからで、当時、某大学に入学したもののそこを除籍になったのがきっかけといえると思います。

●音楽を大学で学ぶということにある種のイメージを持っていましたか?実際との地がいとかありましたか?
◯学芸大の場合は、音楽科といっても教育学部のうちの一の科なので、専門に音楽だけやるのではなく、出来るだけ幅広い教養を身につけられればよいと思っていました。ただ実際は、自分の音楽的素養のなさを痛感して、他の日とのレベルについていくのに多大な労力を要してしまい、のどかに他の領域を覗く余裕はありませんでした。

●音楽的素養というのは、具体的にどうゆうものでしょうか?
◯ピアノ、声楽、ソルフェージュ(楽譜を読んだり、リズム感を養ったりすること)といった、クラシック系の日とには基礎的能力というべきものです。

●小中学校の先生になることを選ばずに創作の方を選んだきっかけは?
◯先生になることは、私がやらなくても誰かうやりたい人がいるだろうし(いま教師になるのはとても難関です)、自分が本当に聴きたい音楽というものをやはり追及してみたかったからです。

●自分が本当に聴きたい音楽に近いものにであったのですか?
◯というかそれに巡り会うこと、それに近づいていくことが自分にとっての創作や演奏を行う上での最初の欲求であるわけです。ただ、2〜3年前、武満徹の「夢の引用」という作品を聴いた時、その理想にかぎりなく近い世界をかいま見た気がします。
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●作曲するということは、イデオロギーというか、アイディアというか、ある世界を、これだという形で提出することですよね。先生とは、そういうことで議論はあるんですか?
◯単に、作曲とは何か、というような観念のみを前にしてあれこれ語るということはあまりなく、個々の学生の作品やその他の作曲家にそくした形での議論(話しが広がりすぎることもあります。)はよくやっていました。ただ、私は、結果が予測しずらいような音楽、そういうふうにあらかじめ仕組まれているような音楽がつくりたかったので、それをいかに従来の伝統的な譜面というものに定着していくか、という課題に常にぶち当たっていました。(今でもそうですが)。しかし、何とか解決作を探りあて、譜面にしたものを先生に見せても、授業においては「これは全然わからない」の一言で終わってしまうことがよくありました。

●どういう作曲家をとりあげるの?印象に残っている授業ってありますか?
◯ベートーベン、ブラームス、マーラー、シェーンベルク、ウエーベルン、ルイジ、ノーノ、など。ノーノをやったときは、自分でいろいろれポ^とを考えて書いたりしましたので、大変だったことはよく覚えていますが。ただ、授業という枠内ではなく、学校でまたその外などでも、出会った人達とのなにげない会話や会話や一緒に音楽を作ったりする中からは、多くのものを学びとったと思います。

●在学中は、作品を実際の音にするのは皆の協力で出来たでしょうけど、卒業したあr、大変ですね。
◯いろいろ場所と機会を見つけて、作品を発表する機会を作っていきたいです。ちなみに来る6月4日(会場18:30、開演19:00)に西国分寺駅南口徒歩0分(!)のいずみホールで、私の作品の個展(デビュー)演奏会を開きます。最近作曲した室内楽曲を6曲集めました。普通のクラシックの演奏会のように肩肘張るようなものではなく、証明なども工夫して、いろいろ楽しめるものにするつもりですので、皆さん是非いらして下さい。
(お問い合わせ先:0423-46-3791 角 岳志 または 0423-45-7909 木下まで)

●では、話しは変わって即興演奏をやるようになったキッカケは?
◯中学生のころ、作曲に興味が出たころ、ホルンでよくメロディーをでっち上げて部克の練集中吹いたりしていたのが始まりでしょうか。バンドでもソロは即興でしていました。ただ、今にようなスタイルで演りたいと思うようになったのは、上京してからいろいろライブを見て、特に作曲家として尊敬していた高橋悠治さんや三宅榛名さんらが新宿ピットイン(昔のです)で演奏されていおたの聴きにいって、また彼等の書いたものを読んだりして刺激を受けてからで・・・また当時はジョン・ゾーンやネット・ローゼンバーグ、セルゲイ・クヒョーリンなどがスリリングな演奏を繰り広げていました。ただ、それは、バブル期の仇花といえる部分がなきにしもあらずで、例えばどちらかといえば今のジョン・ゾーンの在り方の方が、私は示唆されものが多いと思います。

●最後に、日置さんからの質問で「木下さんはエリントン、モンクが好きですね。それについていつもより少し多くのコメントを。これは質問というより要求ですが。」
◯モンクと言う人は、私が知る限りの二人の天才のうちの一人です(もう一人はモーツアルト)。ほとんど同じような構成でありながらも、そこに置かれた音たちがそこに安住せず(出来ず)、常に置かれたことにおびえ、震えている、そういう状況を一つの曲としてまとめてしまうことの出来る人。デューク・エリントンは武満徹と並ぶオーケストレーションの達人。それは常になんらかのギフトとして書かれ、それへの気配りと畏怖に満ちている。結果「作品」は海から上がったばかりのような艶やかさと干からびた胎児のような空虚を同時に顕在させる。


編集後記

木下さんちは、西部新宿線の小平駅から歩いて3分のアパート。部屋の中にはCDで一杯。特に現代音楽と民族音楽の宝庫でした。今回は、質問も答えもワープロで打ってもらったので、そのまま、のせます。いつもは、筆談の最中に話したことなども混じえるのですが・・・。


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