取引の失敗事例



デリバティブ取引により多額の損失をだした事例です。

<スワップ取引>

アメリカのシンシナティに本社をおくG社は1992年10月にバンカーズ・トラスト(BT)銀行との間で固定金利と変動金利(LIBOR)の2乗を交換するというLIBOR2乗スワップ契約を締結しました。
LIBOR2乗スワップは通常の金利スワップに対しレバレッジ(梃)を効かせた設定となっていて、レバレッジ・スワップといわれています。
このスワップ契約ではLIBORが5%を超えると支払額が受取額を上回り、その後は加速度的に損失額が膨らんでいくきわめてリスクの高い契約になっています。
スワップ契約をした1992年10月にはLIBOR水準が3%半ばであり、G社はこの低金利水準が比較的長続きすると予想してリスクの高いLIBOR2乗スワップの契約を締結したと思われます。
G社の予想に反し市場金利は上昇し1992年12月の時点で約100万ドルの含み損を抱えてしまいましたが損切りを行わず、さらにリスクの高いポジションをとることによって損失を取り返そうとしました。しかし、市場金利は93年、94年と上昇を続け、結局94年10月に2300万ドルの損失を計上するにいたりました。

<為替取引>

1989年の中国での天安門事件の影響により為替相場はドル高・円安になりしばらくこの円安傾向が続くと予測した大手石油会社のS社は、原油の輸入にあたり為替のリスク・ヘッジのため為替予約を行いました。しかし、為替相場は予測に反し、ドル高・円安にはならず為替差損が発生しました。
為替差損は本来予約の期日が到来したとき決済、確定しますが、同社は為替先物予約の期日が到来しても決済を行わず予約の延長(ヒストリカル・レート・ロールオーバー)を行いました。
「予約の延長」は為替相場が不利な方向(このケースでは円高)に進んだ場合、期限がきても決済せず、予約の書換を行うことによって為替差損を表面化させず、為替相場が有利(円安)になったときに決済を行うという方法です。
1990年のイラクのクウェート侵攻、1991年の湾岸戦争による影響で有事に強いドルが買われドル高・円安の局面を予測して予約の延長を行ったと考えられますが、予測に反し円高傾向が続いたため、損失額をさらに大きくさせて、1992年末の時点で1300億円弱の損失が発生することになりました。

為替予約による「含み損」は予約期日が到来した段階で損失処理を行うべきですが、損失を表面化させず為替が円安になったときに決済を行うという為替予約の延長を行ったため、その後の傾向的な円高により巨額の損失を発生させたケースです。
本来、リスク.ヘッジのための取引が損失の先送りを行った結果、投機的な取引に変質していったように思われます。

なお、S社のケースと同様に多くの企業が予約レートとの延長と損失の先送りを行っていたため、92年に大蔵省より「予約の延長」の原則禁止の通達が出されました。

<オプション>

大手化学会社であるN社は1993年7月にゼロコストオプション取引により139億円の損失を抱えていることを発表しました。ゼロコストオプションは、オプション購入によるオプション料をオプション売却によるオプション料収入と相殺してオプション料をゼロにする取引です。
このケースでのゼロコストオプション取引では円安に対するヘッジは有効ですが、円高に対するヘッジがなされておらず、また、オプション料をゼロにするためドルプットを多く設定したことにより円高による損失が急激に増大する仕組みになっていました。
当初、3カ月で1億円弱の金利軽減効果をあげる予定でしたが予想外の円高で損失が発生し、またその後3年間為替予約の延長を行ったため更に損失が拡大いたしました。

<先物取引>

<イギリスの名門証券会社のB社は、株価指数先物取引の失敗により1995年2月に倒産しました。
B社のシンガポール現地法人では日経平均先物を用いた裁定取引によって利益を計上していましたが、94年後半からの株式相場の低迷により裁定取引にも限界が見え始め、95年1月に日経平均が急落したため多額の損失を出しました。その損失をカバーするためシンガポール現地法人の取引担当者は1月17日の阪神・淡路大震災後の相場の押し上げを期待して大量に先物を買い始めました。
しかし、2月にはいると株式相場は下落し損失は膨らみ、自己資本が5億ポンド強のB社が結局約9億ポンド(約1400億円)の損失を出し倒産にいたりました。


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