ここでは、場所とゲスト名、及びおもな内容をまとめてみました。
昭和30年代に4軒あった映画館は現在は、商業施設化。
田端文士村記念館とつかこうへい劇団の稽古場
元フジテレビの界隈(現在は更地になり、土器の発掘なども進められている)
加藤さんは、ラジオドラマ俳優養成を目的として設立されたNHK東京放送劇団のラジオ1期研究生(昭和16年、ちなみにテレビの1期生は黒柳徹子さんとのこと)。放送デビューは戦後で、「紅白歌合戦」(前身は「紅白歌試合」)のラジオ司会を、藤倉修一さんと務められたこともある。森繁久弥氏との名コンビで知られるNHK「日曜名作座」は昭和32年から始まり、現在に至るまで2000回以上も続いている。
母校・牛込尋常小学校は現在、牛込中野小学校となっている。
周辺は通称「目白文化村」。
学生劇団として、篠沢秀夫氏等と共に「劇場座」を設立。その稽古場、更に学習院大学のある界隈。
震戦災から免れ、モダーンな(?)和洋折衷建築の教会が周辺に多い。職人(藍染め、風呂桶、べっ甲等)も多い界隈。
かつてあった根津遊郭。坪内逍遥も訪れ、ここの花魁を妻にしたという。明治21年6月30日には、辰巳芸者の地、洲崎パラダイスにその機能が移された。
根津神社前のS坂は、森鴎外「青年」に由来。
森まゆみさんは子連れで取材。その「谷根千」は主婦3名で現在に至るまで年4回の発行がおこなわれている。もう15年以上になる。この冊子についてのお問い合わせは 03・3822・7623まで。なお、営団地下鉄の「メトロニュース5月号」にも、この界隈の情報が載っている。
この地に在住15年。ほぼ毎朝、1時間かけて750M四方の公園を回られる由。
「代々木」の由来は、江戸時代から、さいかちの木が代々受け継がれていることによる。
有馬さんは元宝塚歌劇団所属。岸恵子さん、久我美子さんと共に、「にんじんくらぶ」でも活躍。スカーレット・オハラ役を見事に演じられたことで知られる。
志ん生・文楽の話芸を堪能されたという鈴本演芸場の界隈。色町の名残りが残り、老舗が多い。
マルセル・マルソーにちなむ命名のマルセさん。現在は「奇病の人」(講談社)の刊行を控えておられる。
武蔵野台地の端に位置しており、緑と遺跡が多い(周辺には中里遺跡もある)。
今春開館の飛鳥山博物館・渋沢資料館・紙の博物館(近接する赤羽、十条は製紙会社と共に発展)など、カルチュアスポットにも事欠かない。
長年司会された「大正(製薬)テレビ寄席」は、東急文化会館地下で収録。ビートたけしさんの奥さん、幹子さんもこの番組の司会を務められた。
牧野周一さんへの弟子入り志願の手紙と、弟子をとらない主義のはずの牧野周一さんからの弟子入りの薦めの手紙が、ほぼ同時に行き来したというのは非常に珍しい事例である。ラジオ東京(KR)の「素人寄席」に出演されていた牧さんが、牧野さんの目に止まったとのこと。芸能界へは、渋谷道玄坂付近の占い師軍団に運勢を占ってもらい、最後の占い師に見料を200円ではなく、2000円とられたところから入った由。
「あーやんなっちゃった」は、山手線車内での乗客観察から得たフレーズ。
丹羽文雄・舟橋聖一などを輩出した界隈。「芸者小夏」の舞台として、庶民的な趣。
地名の由来は諸説。近所に加賀まりこさんも住んでおられる。
冨士さんは俳人としても著名で、永さんもその句会に所属されている。
中央線沿線最初の住宅地で、不動産業が栄えた。
かつてあった飲み屋街には、丹羽文雄他早稲田派の文士が集まった。
劇団四季入団時、倉本聡さんが1位、山田さんが2位。倉本さんの答案を丸写しした山田さんはこの順位が御不満だったとのこと。
天本さんの散歩コース。フリーマーケットも時折開催される(天本さんの御趣味にもかなう環境)。
天本さんは近辺のファミリーレストランを根城にされている(仕事上の電話連絡もここで)。
平岩弓枝さん宅の近所でもある。八幡神社の木は「霊気」を感じさせるとのこと。
現在は住宅地となっているが、もとは旧帝京商業高等学校のグラウンドがあった。
旧浄水場は水底に通路があったという。現在は再開発され、超高層ビル群が立ち並ぶ。
かつて都立大学があった。小泉八雲好きの佐野さんにはぴったりの界隈(八雲の旧称は衾町)。犬と猿(!)を飼っており、近所の衾町公園を散歩コースとされていたという。猿は「もんちゃん」といい、長生きしたため佐野さんは表彰された。
第一勧業銀行・赤坂2丁目支店等に勤務されながら、歌手活動をされていた小椋さん。現在は、東京大学大学院人文・社会系研究科思想文化コース(哲学)に週4回通学されている。
周辺は外資系企業・外国人が多い。
韓国大使館の周辺。営団南北線の開通を間近に控えている。
「新婚さんいらっしゃい」担当の11年中、7年をここで暮らし、衣装はこの周辺で調達。
「劇団民芸」の最長老女優。
生家は洋酒輸入の問屋で、没落以後は第百銀行に買収され、現在は東京三菱銀行となっている。周辺は昔日の面影を全く残していないとの由。現在は博品館、資生堂パーラー等がある。北林さんの幼少時はガス灯もあり、銀座にはヴィクトリア朝の雰囲気も感じられたという。
NHK「ラジオ深夜便」でおなじみの宇田川さん。
周辺は人工物より自然が多い。公園は昭和60年に完成。
桜橋は台東区・隅田川双方の桜を楽しめ、セーヌ川を模している。「広重江戸名所吟行」にも掲載。
黒田さんは28年間に亘り、桜花巡礼を沖縄から松前まで実行された。
遠藤周作さんはいわずと知れたキリスト教文学のカトリック作家。しかし、敬虔なクリスチャン的側面のみならず、原宿の竹の子族などにも暖かい眼差しを注ぎ、小松政夫さんを敬愛されるという側面も併せ持ち、すぐれて人間味のある方であったという。そんな遠藤周作さんとの生活を描かれた本を上梓された奥様が本日のナビゲーター。
赤坂在住の内館さん。この周辺は格好の散歩コースとのこと。入構自由の憲政記念館の庭はおすすめ。現在はNHKドラマ「必要のない人」執筆中。
前進座住宅に在住。職住接近という羨ましき住環境! 周辺は井の頭通り商店街で、前進座と友好関係にある。
橋は昭和36年に廃止され、現在は「数寄屋橋 ここにありき 菊田一夫」の碑があるのみ。
いわずと知れた「君の名は」の舞台であるが、ほぼ同時期に島倉さんもここを舞台としたドラマに出演されたり、結婚されたりして感慨深い場所。実際のロケーションは浜離宮入口であったとのこと。
幸田露伴、幸田文の系譜を引き継がれる両氏がナビゲーター。軽妙洒脱なやりとりが魅力。玉さんは「小石川の家」であまりにも有名であるが、奈緒さんもドイツ留学歴10年の体験記を上梓され、読者を魅了されている。
黒部さんは役者を目指し上京された当時、この周辺で露天商を営んでおられた。ここで山本嘉次郎監督の目にとまり、デビューを果たされた。長女は吉本多香美さん。
歌舞伎座、明治座の至近距離に位置。昭和初期には浅草へはポンポン蒸気の船で行けたとのこと。また、この時点で既に冷暖房・プール完備の学校もあったという。
周辺の神田川には鯉も生息。
愛犬はハスキーのボギー。由来はハンフリー・ボガードから。
多摩美術大学で広告概論を担当。「鬼平犯科帳」の研究でも知られる。小説版の長谷川平蔵宅は目白台ではない?
福島さんは歌人であると共に、たこ八郎さんや坂本九さんの眠る寺の住職でもある。また下谷で落語会を企画するなど、多彩な活動で知られる。
北沢側緑道は散歩コース。永さん原作のドラマ「大往生」にも出演されていた。
熊谷さんの実家の店は高円寺から移転。高円寺といえば、ねじめ正一さんであるが、ねじめさんの店も阿佐ヶ谷に出店しており興味深い。
馬に関連した地名の多い地区。氏は在住10年にして、この周辺の地誌に大変詳しい。
八王子市役所の福祉事務所などに勤務され、新人賞受賞時に退職。高尾駅の旧称は浅川駅。
築地本願寺は、美空ひばり・勝新太郎・萬屋錦之介などの各氏の墓がある。数週間後には山岡久乃さんも・・・
東海林さんは、ニッポン放送アナ、主婦を経て芸能リポーターに。ロックに心酔されていることでも知られる。
氏の根城コースは、野方から高円寺の道。NHK放送劇団の3期生で、5期には黒柳徹子さん。
現在は国立に移転した東京女子体育大学への通学に利用された(当時は北多摩郡)。左さんは都立第五商業高等学校の教諭も務められたことがある。
入構不可の旧岩崎邸。紀尾井町にあった司法修習所がここに移転され、現在はまた場所を変えて和光市に。東京大学に隣接しており、当然ながらその法学部出身者が入所する事例多数。