秋の夜長に

 秋の夜は長い。
 男は後悔の思いを噛みしめながら、うらぶれた温泉の繁華街を歩いていた。
 遠くに見える、ほのかに雪を戴いた山脈も、色づいて舞い散る落ち葉も目に入らない。

 そもそも、旅行になんぞ行こうと思ったのが間違っていた。
 新聞に折り込まれたチラシを見たのも間違っていた。
 そこに書かれた、「晩秋の吉備路をゆく・露天風呂とグルメの旅。松葉ガニと松茸御膳の夕食付きでなんと16,800円!」などという文句を本気にしたのが、いちばん間違っていたのだ。
 そして、そこに掲載されていた、紅葉の浮いた露天風呂で、肩をむきだしにして湯に浸かっていた、色白美女の写真に見入ってしまったのが、なんといっても最大に間違っていた。
 湯煙とお湯でぼやけながらも、その美女の腰のあたりが、ほのかに黒く見えたのは、いま思えば妄想であった。

 

 切れた堪忍袋の緒が蘇生する暇もないほどだった、これまでの旅程を、悔恨とともに男は振りかえってみた。
 確かに、チラシには嘘は書いていなかった。
 男もそのチラシが嘘だとは、それだけはどうしても言えなかった。
 露天風呂は本当だった。でも色白の美女なんかどこにもいなかった。五十を越した婆さんと猿しか入っていなかった。
 松葉ガニもひとり一匹だった。明らかに輸入もので、冷凍がまだ溶けていない状態だったが。
 松茸も出てきた。どう見ても韓国産で、まるで香りのしないものだったが。
 そしてツアーの同行者が婆さんのグループばかりだということは、チラシには書いていなかった。
 バスの中、変質者を見るような白い目で見られていたことも。
 たまに話しかけられると、「結婚はしていないのか」「恋人はいないのか」などと、心の傷をかきむしるような話題ばかりだったことも。
 途中で寄った後楽園では、婆さんたちが鶴にしつこくちょっかいをかけ、怒った鶴がなぜか男を威嚇したことも。
 またバレンタインパークなどという、男にも婆さんにもまったく縁のない土地に休憩させられ、そこでべたべたの甘いカップルを描いた漫画を、嫌がらせのように見せられたことも。
 婆さんの団体には恥じらいというものは微塵もなく、露天風呂はおろか、空いている男風呂にまで侵入してきたことも。
 夕食にひとり一本ついてきたお銚子を、酒を飲まぬ婆さんたちにむりやり押し付けられ、全国的大メーカーのくそまずい合成酒をやたらに飲んで気分が悪くなったことも。
 どれもこれも、チラシには書いていなかった。

 この長い夜を、どうやって過ごそう。
 食事はもう済んでしまった。
 婆さんばかりの風呂に入る気もしない。
 ひとり部屋でテレビを見るのは、あまりにも哀しい。寂しすぎる。
 ふらふらと街を歩いていた男は、ふと見つけた、「ショーパブ 腿太楼」という看板に、吸い込まれるように入っていった。
 それは、やけくそ半分の心境だったのかもしれない。
 いずれにせよ、そこでまた、新たな後悔が発生した。

 

 誰が呼んだか、岡山県は日本有数のぶさいく県ということだ。
 美人の含有率が、たとえば山ひとつ越えた出雲や松江に比べると、極端に低いのである。
 もちろん岡山にだって美人はいる。
 有名人では有森裕子、木原美智子、志穂美悦子、一条ゆかりなどといった名前を挙げることもできる。
 しかしながらこれらの美人も、「……にしては」という限定辞をともなった条件付きの美人なのである。
 すなわち「マラソン選手にしては美人」であったり、「水泳選手にしては美人」であったり、「JACにしては美人」であったり、「漫画家にしては美人」であったりするのだ。
 さらに、「増田明美と並んで走っていると美人」とか、「小出監督が横にいると美人」とか、「潜水していると美人」とか、「溺れている人から見たら美人」とか、「ビジンダーのお面を被っていたら美人」とか、「三日連続で徹夜のとき見れば美人」とか、さまざまな条件があったりする。
 そして最大の条件が、「岡山県人としては美人」であるのだ。

 そしてその店で男を迎えた女性たちは、岡山県人としても美人ではなかった。
 あえて言えば、岡山県人としてもぶさいくだった。そして年老いていた。
 断りもなしに男の横に座ってきた女性は、横幅だけは豊富だった。
 男は思わず、「がぶり寄り」という相撲用語を思い出したほどだ。
 そしてその御面相といったら。

 政治家の顔といえば、クールな二枚目を連想する人はほとんどいないはずだ。
 ほとんどの人が、我執で目が濁り、欲望で脂ぎった、面の皮の厚い、ぶさいくな顔を連想するのではないか。
 そして政治家の中でも、自民党所属の政治家が、もっとも政治家らしく、もっともぶさいく度が高いのは、言うまでもないだろう。
 そしてまた、自民党の中でも、幹事長という人種は、どういうわけか、歴戦のぶさいくをとり揃えているように思う。
 大野伴睦、河野一郎、橋本登美三郎、田中角栄、鈴木善幸、金丸信、小沢一郎。これらの歴代自民党幹事長の顔を思い出してみただけで、深く首肯されることと思う。
 なぜ亀井静香が幹事長でないのか、不思議になってくるほどだ。

 男は隣に座った恰幅のよい女性を、ひそかに幹事長と名づけた。
 向かいに座った、恰幅も顔もすこしましな女性を、ひそかに政調会長と名づけた。
 その店でいちばん若くいちばん美しい(その店としては、だが)女性は、社民党茨城県選出三期目、といった感じだが、カウンターの椅子に座ったまま、近寄ってはこなかった。
 男はすすめられるまま、水割りをがぶ飲みし、すすめられるまま、カラオケを熱唱した。
 今度はやけくそ全部で。

 いつのまにか寝入っていたらしい。
 男は、幹事長のミットのような手で背中をどやされた。
 なんでも、これからショーが始まるそうだ。
 酔眼もうろうとしながらも、男はステージの上に、政調会長と社民党茨城代表を認めた。
 ふたりはなぜか、下着しか身につけていなかった。
 そしてなぜか、プライベートで恋人同士が行うような行為を、ステージで繰り広げるのだった。

 それはまだいい。
 男の横には、幹事長がぴったりと密着しているのであった。
 ショーの進展とともに、密着の度合いがどんどん進むのであった。
 あまつさえ幹事長のミットが、男の身体のあちこちを触る、いや、どつくのであった。
 政調会長の性徴快調に、幹事長も感じちゃう、という状態なのであろうか。
 俺はどうすればいいのだ、と、男はつい詠嘆してしまうのであった。
 なぜこんなことになったのだ。俺のどこが悪かったのだ。
 すべては、あのチラシに騙されたのが悪いのか。
 騙されたが悪いか。

 夜はまだ続く。


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