波乱のハロン湾

 母親を連れて、いや連れられて、ベトナムとカンボジアのツアーに参加することになった。
 HISの初夢キャンペーンとやらで、5泊7日。ハノイ、ハロン湾、カンボジアのアンコール遺跡、ホーチミンのメコンクルーズと盛りだくさんの詰め込みスケジュールで10万円弱。これは安い。
 かねてから母親がベトナムに行きたいと言っていたので、ためしに申し込んでみたら参加できた。

 私もカンボジアは初、ベトナムは2回目とはいえ10年ぶりである。しかも前回のベトナムはほとんどすべて相方に任せきっていたので、段取りや手続きはまるでわからん。
 今回は母親と一緒ということで、安心できるツアーにして、自由時間もアンコール遺跡のあるシェムリアップで半日、ベトナムのホーチミンで半日だけ。食事は全部おまかせだから、まあ調べる必要もないだろう。と考え、ベトナムは10年前に買った地球の歩き方、シェムリアップはネットからホテル近辺の地図だけをプリントアウトして持参した。

 これが大いなる間違いだということには、まだ気づくよしもなかった。

 旅行用にとりあえず、300ドルを用意した。カンボジアではどこでもドルが通用するが、ドルの高額紙幣は偽札だと思われて断られたり、お釣りを現地通貨のリエルでよこすというので、1ドルを50枚用意。おかげで交換レートが1ドル93円ちょっとから94円ちょっとと、1円高くなったが、やむを得ない。
 あと、使えるかどうかわからないが、10年前の残りのベトナム紙幣が3万ドンほどあったので持っていく。

2月23日(火)

 朝7時半に家を出て、日暮里からスカイライナーで成田空港第2ターミナルへ。
 11時5分発のベトナム航空、ハノイ行きVN955便はエアバス300型。そろそろ耐用年数なのか、ところどころ古びた風情がある。ヘッドホン端子の接触が悪くて、音声がまるで聞きとれない。映画はあきらめ、フライト情報を眺めていることにする。

 ベトナム航空のフライトアテンダントは10年前と同じく、アオザイ姿。さすがにこれは写真に撮れなかったので、機内の雑誌で代用するが、横を向いてしゃがんだとき、一瞬、上着のスリットとズボンの間のお肉が見えるところがよろしい。はみ肉ではなく、スリムで健康的なお肉であるところがますますよろしい。
 まあ、雑誌でこんな写真を掲載するということは、ベトナム航空みずから、「アオザイのお肉を鑑賞ください」と言っているようなものだから、堂々と撮影してもよかったのかもしれない。

ベトナム航空のFA FAのお肉

 機内で入出国カードが配られた。今まで行ったことのあるタイや台湾、フィリピンなどはほぼ統一された書式だったのだが、ベトナムのカードだけはえらく形式が違う。こんなの、書いた記憶がないんだが。
 いちおう参照しようと思って10年前のガイドブックを読むと、これはどうしたことか、まるで違う形式だ。
 よく前後を読んでみると、「ベトナムの入国にはビザが必要です」などと書いてある。ああ、そうか、前回のベトナム旅行のときはビザを取って行ったんだ。あれから入国形式が、まったく違ってしまったんだ。
 10年の歳月の重さをあらためて思う。私がまるで進歩していないでいるうちに、世界はどんどん変わっていく。

 日本時間で1時ごろ、昼食。アジア&西洋料理は、ナシゴレン、鮭と野菜のクリーム煮、サーモンとホタテのマリネなど。ベトナム航空の機内食がうまいのだけは、昔と変わらない。

 日本との時差は2時間、現地時間で3時ごろハノイのノイバイ空港に到着。空港は、10年前とさほど変わらぬひなびた有様。かろうじてカフェコーナーがあるだけで、ツーリスト向けのパンフレットや売店がまるでない。なにより、税関がまったくないことに驚く。日本からなにか仕入れて売りさばくものがないからだろうか。

ハノイ国際空港

 両替店だけは開いているので、100ドルをベトナムドンに両替する。1,900,000ドン。桁数が多すぎてわけがわからなくなる。
 とりあえず、最高額の200,000ドン紙幣がだいたい10ドル、千円と、そう覚え込む。
 昔の残りのドン札が使えるかどうか確認してみたが、どうやら10,000ドン以上の札は偽札対策用だろうか、すかしが入ったつるつるした素材のものに切り替えたらしい。5,000ドン札は同じなので使える。2,000ドン以下は、まだ目にしていないので不明。

 現地ガイドのファンさんに案内され、バスに乗り込む。総勢12名。老夫婦2組、熟年女性2人組、卒業旅行タッグが2組、わけのわからん親子1組。
 空港から市街地までの風景は、10年前とほとんど変わらない。相変わらず農民が自力や水牛で田んぼを耕している。

空港近郊

 市内もさほど変わらない、と思ったのだが、ファンさんに言われて気づいた。バイクの人間がみんな真面目にヘルメットをしている。昔は4人乗りや5人乗りが当たり前だったが、ほとんどが2人、多くて3人乗りになっている。これはベトナムが豊かになったから、ではなく、取り締まりが厳しくなったためだそうだ。
 あと、これもファンさんに言われて気づいたのだが、電柱の電線がえらいことになっている。野放図に電線を引きまくったせいで、徳田さん邸のAVひも配線なみにみちみちと線がぶらさがっている。今にも電柱が倒れそうだ。なんでもハノイのどこかでは、実際に電柱が倒れて停電するわ踏んだ人が感電するわ、えらいことになったらしい。

ハノイの電柱

 一柱寺とホアンキエム湖を見学後、シクロに乗る。10年前のハノイではわりと普通に走っていたが、自転車のシクロはもはや、こういう観光用の乗り物としてのみ残っているらしい。そういえば、バイクタクシーも減少傾向にあるらしい。その代わりミニタクシーが増えた。
 シクロの乗り心地は、というと、後ろから押されているところといい、道のガタガタが尻に直接伝わってくるところといい、のろのろした速度といい、車椅子によく似ている。
 まあ、10年前のホーチミンのように、シクロで拉致される心配はなさそうなので、安心してのんびりとする。
 のろのろしているのは、たぶん30分の時間契約で雇ったからだろう。急いでものろのろしても同じ金だからねえ。

シクロ

 その後、旧市街近くのSen Xanhというベトナム料理屋店で夕食。生春巻き、海老のグリル、パパイヤと鶏のサラダ、バインセオ(ベトナム風お好み焼き)、魚の煮込みなど。
 もともとそういう店なのか、日本人向けに頼んだのか、香菜がどの料理にも入ってなかったので、ちょっと物足りない。
 バインセオは皮がタコスのようにぱりぱりしているものと思っていたが、この店のはチヂミのようなしっとりタイプだった。
 料理はツアー代金に含まれるが、飲み物は別料金。ハノイビールと蓮茶で5.5ドル。ドン払いだと105,000ドン。1ドル=19,000ドンで、空港でのレートと同じ。
 私は断酒中だが、「断酒」という言葉は日本語だから海外では通用しない、というあやしげな理屈をこねくりだし、海外旅行中は飲酒することにする。このようにあやしげな理屈をこねくりだして、飲酒を正当化するのが、アルコール依存症の精神構造なのです。皆様はご注意なされませい。
 それにしても私のデジカメA100は、ナチュラルフォトモードにすると、やたら赤っぽくなるなあ。

Sen Xanhの料理

 その後、水上人形劇場へ。写真撮影すると別料金1ドルだそうだ。前回はブレまくったので遠慮したが、あとで考えてみれば、デジカメの10年間の進歩を試してみればよかった。演目はたぶん10年前と同じ。

 ホテルにチェックインしたのは9時過ぎ。旧市街の北はずれにあるChains First Eden Hotelは、前評判通りの古びたホテルだった。鍵も古びた重たい鉄製。これがうまく開かないので係員に来てもらったら、一発で開いた。その後はスムースに開く。どうなってんだろ。
 部屋はまあまあ。ところどころひびが入ったりしているが、小綺麗にしてある。

Chains First Eden Hotel

 TVはチャンネルが多くて、ディスカバリーチャンネルやナショナルジオグラフィックまでカバーしているのに、日本のNHKBSはない。やはり日本語放送は、ダイウーのような高級ホテルでないと無理か。
 外に出るつもりだったが、もう10時過ぎたし、バスから見ると開いてる店のあるところは遠いし、なんか眠くなってきたしで、シャワーを浴びて寝てしまう。
 事前にネットで見た前評判通り、30分くらい連続使用すると湯が尽きてシャワーが水になる。

2月24日(水)

 6時のモーニングコールちょっと前に起床。
 朝食前に近所を散歩。ホテルの前の公園では、ラジカセで大音量の音楽をかけ、体操とも太極拳ともヨガともつかぬ運動をしていた。
 ホテルの横の通りは肉屋街らしい。豚の頭だの足だのロース肉だの、豪快にぶったぎっていた。肉屋の猫は人なつこく、喉を撫でさせてくれた。
 朝食はこじんまりとしたビュッフェ。フォーとサンドイッチなど。

肉屋街 肉屋街の猫

 7時半にロビーに集合し、バスは出発。ちょうど通勤通学のラッシュで、バイクの数が半端ない。
 アオザイ姿の女子中生か女子高生はいないかと血眼で探したが、どこの女学生もジャージ姿で通学している。嗚呼、アオザイが制服の学校は消滅したのか。おじさんは悲しい。

 8時過ぎにはバッチャン村についた。昔ながらの青のシンプルな柄は少なく、手がこんだ柄の焼き物が増えたような気がする。ちょっと日本人好みの素朴柄から中国人好みのゴテゴテ柄へシフトチェンジしてるのかな。
 ガイドのファンさんの話によると、昨年ベトナムへ来た外国人観光客の一位は韓国だそうだから、韓国人好みなのかもしれない。
 なかに日本向けに作ったつもりなのか、ローマ字の日本語が焼き付けられた徳利があったが、「Manga Sushi」はいかがなものか。それが日本を代表する文字なのか。

日本人向け徳利

 バッチャン村ではドンを使うつもりだったのだが、1ドル2万ドンと、ドンの方が不利なレートのため、ドルを使った。ああ、ドンが余る。

 ガイドのファンさんは愛国者らしく、よく「ベトナムの歴史は戦いの歴史でした。中国との戦い1000年間、フランスとの戦い100年間、アメリカとの戦い25年間」と語るのだが、なぜか、その後のカンボジアとの戦いと中国との戦いを省略してしまう。なにかデリケートな問題があるのだろうか。
 ちょっと聞いてみたかったが、政治的な問題で善良な市民を苦しめるのもどうかと思い、諦める。

 9時ごろバッチャン村を出発、ハロン湾に向かう。道路は10年前よりは整備され、高速道路が多くなった。3年後には完全高速道路が完成し、ハノイ−ハロン間を現在の4時間から2時間に短縮するそうだ。
 高速道路の高架下には、必ずといっていいほど休憩所が設けられ、物売りやライダーがたむろしている。
 また、道沿いには運転手めあてのフランスパン売りが立っている。ファンさん曰く、「あれ、あんまりおすすめできない。排気ガス浴びまくり」

高架下 フランスパン売り

 ハロン湾に向かっている途中で悪い知らせがくる。ハロン湾は濃霧のため、船舶航行が禁止されたそうだ。そのため食事のみ港の船内でとり、クルーズは翌朝に順延とのこと。最悪、翌朝も禁止が解けなかったら、クルーズは中止。それをハノイのHIS職員がいちいち参加者ひとりひとりに携帯で了解をとっていくから、時間がかかるかかる。まあ、こちらは車中でヒマなんだけど。
 1時ごろ港に入る。船着き場の前は、同じような境遇の観光客でごったがえしている。

ハロン湾船着き場 チャーターした船

 港に停泊した船で昼食。蟹の甲羅肉詰めフライ、揚げ春巻き、海老のココナッツ蒸し、イカフライ、白身魚の姿揚げなど。
 白米と黄色い米の2種類が出てくる。黄色い米は、はじめ卵炒めのチャーハンかと思ったが、黄色いのは卵ではなく雑穀だった。ええと、はっきり覚えてないんだが、たしかもち米ともちキビを混ぜて炊いたのだったかな。
 ビールは別料金で3ドル。333ビール。

船中食事1 船中食事2

 3時ちょっと前にホテルにチェックイン。ハノイ・ハロンホテルは、3階建てのこじんまりしたホテル。ハロン湾のどのへんにいるのかとガイドブックの地図で探したが、そんなホテル見つからない。10年前にはなかったのかもしれない。10年前のガイドブックって、使えねえなあ。<そんなもんが使えると思って持ってくる方が問題だろJK。
 部屋はハノイのホテルよりは広くて、バルコニーもついていて、ハロン湾が見下ろせる絶景ポイント。冷蔵庫がなかったのが難か。
 そういえばハロン湾の道沿いにやたらにレストランやホテルがあるが、10年前にはそんなもんなかったような気がする。いや、なかった。急速に観光化したんだろうなあ。

ハロンホテル バルコニーからの風景

 4時半ごろマッサージに出発するので、それまでのんびりするか、とシャワーを浴びようとしたところで、激しくドアがノックされた。何事ならんと開けてみると、ガイドのファンさんが立っている。ハロン湾の航行が急遽許可されたため、これからクルーズに出るとのこと。
 慌ただしくバスに乗り込み、港から昼食をとった観光船で、こんどこそ出航。
 同様に出航を待っていた船が多数いたので、船舶でごった返す中、次々に船が出航する。さながら日本海海戦のような勇ましい有様だ。日清談判破裂して、品川乗り出す東鑑、月月火水木金金、いまだ帰らぬ一番機。<時代と歌詞がムチャクチャです。

停泊 一斉出航

 出航して30分くらいたつと、そろそろ呼び物の島々が目に入ってくる。まだ残る霧にけぶり、石灰岩が妙な形に削れた島々。水墨画の風景だねえ。
 それにしてもほとんどの船がほぼ同時に出航し、同じコースを目指しているので、重要ポイントはつねにボトルネックとなって渋滞している。

ハロン湾 名所渋滞

 ハロン湾は内海なので常に波が穏やか。だから水面近くの石灰岩がこんなに削られても、まだ島が立っていられるらしい。しかし奇島のいくつかは、石灰岩が海水に浸食され、あと10年か20年の命だそうだ。
 霧もだんだんと晴れ、時には日差しが見えるようになってきた。ファンさんは「誰かラッキーマンがいますね」と言っていたが、まさか私だなんて言えない。
 もうダメだという局面まで追いこまれ、奇跡的に首がつながる、そんな種類のラッキーだったら、私には自信があります。追いこまれる時点でラッキーではないのだが。

 ハロン湾に在住するボートピープルの村は、いまも健在だった。むしろ観光客の増加で収入が増えているらしい。獲った海産物や市場で買い入れた果物を小舟に載せて、観光船に売りつけて生活してるからねえ。
 小学校は10年前もあったと記憶しているが、ベトナム銀行の支店が新しくできていた。ATMがあったらびっくりなんだけど。

水上住宅 連絡船

 2時間ほどクルーズしたあと、洞窟の入り口に着舷。ハロン湾最大の、石灰岩洞窟。
 コースは10年前と同じ。景観も10年前から比べて、特に変わっていないような気はする。まあ数百万年かけて形成された鍾乳石だからねえ。
 ただ、ライトアップが以前より増えたのと、10年前のペンギンゴミ箱に加え、新たにイルカゴミ箱が追加されたのが、変わった点だろうか。イルカ目つき悪っ。

鍾乳洞 ゴミバコ

 だいたい3時間のコースで、船は港に戻る。そろそろ夕暮れ時で、霧はふたたび濃くなってきた。
 ファンさんの話によると、ハロン湾を訪れる観光客は年間5百万人、観光船は大小あわせて5百隻くらいあるそうだ。たぶん10年前は百隻もなかったように思う。

 そのあと夕食までちょっと時間があるとのことで、ファンさんの案内でナイトマーケットに行く。これも10年前のガイドブックにはなかった。
 ここは期待はずれだった。偽札が流通してるとか泥棒が多いとか脅かされたので、てっきり活気のある泥棒市場みたいなのを予想していたのだが、Tシャツ、アオザイ、木細工、陶器、香水等の、ありきたりの土産物が並んでいるだけ。生活感もなければチープテイストもないという、見ているだけで退屈しそうな店ばかり。まだ時間も早いようで、客もほとんどいない。暇な店員にやたらに袖を引かれるので、早々に退散する。
 でもTシャツは2ドルだったそうだし、ホーチミンTシャツの補充くらいしとけばよかったかなと、ちょっと後悔する。

ナイトマーケット

 夕食はナイトマーケットのそばのNHA HANG VIETNAM。
 牛肉炒め、揚げシャコ、豆腐煮込、などが出てきてこれが終わりかと思ったら、鍋が登場した。この店名物の海鮮鍋とのこと。
 最初はトマトとアサリと豆腐、次はイカと牛肉と青菜、3回目は鶏肉と白身魚にクイッティヤオ(ラーメンっぽい細麺)、最後はライスでおじやという4変化でおなかいっぱい。
 ビールは別料金でビアハノイ。2ドル。

シャコの唐揚げ 海鮮鍋

 この店のウェイトレスはアオザイ姿だが、観察していると、どうやら下着をつけていてスリットのお肉が見えない娘と、下着なしでお肉が見える娘がいるようだ。お肉が見えている黄色いアオザイの娘は、スタイル良好、顔も良好で、田舎から来たばかりなのか、ほっぺがちょっと赤くて純朴そうで萌えた。
 しかし、フライトアテンダントとかウェイトレスとか、商売女以外のアオザイ姿は見ないなあ。

 8時ごろホテルに戻る。母親はマッサージに出かけたが、私はめんどくさいので残り、ホテルの部屋でテレビを眺める。このホテルも50チャンネルくらいあるが、NHKBSは映らない。かろうじてESPNで、キムヨナが圧勝で金、浅田が銀というフィギュアの結果と、カーリング日本女子は3勝5敗で決勝進出絶望のニュースを見る。
 ハノイも寒かったが、ハロン湾の夜も寒い。特に明け方は10度以下まで下がる。パジャマ代わりのTシャツ短パンでは風邪をひきそうだ。
 ホテルは一度も停電しなかった。一晩に5回くらい停電した10年前と比べ、やはり進歩しているのだろう。

2月25日(木)

 6時半にモーニングコール。前日クルーズができなかったら5時半になるところだった。朝食は昨日より小じんまりとしたレストランで定食方式。フォーと肉饅頭。
 8時にロビーに集合し、出発。9時40分に土産物屋で休憩。いちおうBクラス回避のためには飲んどかんといかんだろ、とタイガービールを買って飲む。3万ドン。

 12時過ぎにハノイ市街に入り、文廟を見学。うひょお、ここではどういうわけか、素人アオザイがあちこちにいるではないか。なぜなんだ文廟。孔子のお導きか。娘有り。アオザイ着て来たる。亦楽しからずや。
 ここでは昔はベトナム音楽の演奏をしていたはずだったのだが、土産物屋やATMになってしまっている。姪の受験合格祈願のために「状元」のしおりを購入。

アオザイ娘 アオザイ娘2

 ハノイ郊外の住宅は、あいかわらず、表面だけ飾って横はいいかげんな、歳三の表現では、
「脇っ腹が、なってない」
 ものが多い。
 ハノイ市街地ではやたらにベトナムの赤地に黄色い星で「3−2」「80周年」となにかの3−2で80周年を祝っているが、なんだったのだろうか。ベトナム共産党の設立80周年だろうか。3月2日創立なんだろうか。ファンさんに聞けばよかったのだが、忘れてしまった。

ベトナム建築様式 3−2 80周年

 バスで空港に向かう途中、郊外のレストラン、DUMY FORESTで昼食。避暑地の別荘のような木陰に囲まれた民俗調のレストラン。
 フォー、揚げ春巻き、パパイヤサラダ、白身魚のフライなどをいただく。つけあわせにパクチーとコブミカンのような香草があるのが嬉しい。
 ハノイビールは別料金で2ドル。

Dummy Forest料理1 Dummy Forest料理1

 レストランを出たら20分くらいで空港へ。ここでハノイのガイド、ファンさんとはお別れ。
 しかし空港に着いたのが3時前、搭乗券を取って行列もなしに出国審査を受け、ほとんどない手荷物チェックを通ったら、すぐそこが登場口。搭乗時間は4時半。とてもとても時間を持て余す。
 売店でミニチュアボトルに、ちびっこのくせに生意気に肋骨を広げて威嚇姿勢のコブラが漬かった酒を売っていて、欲しかったけど、10年前に買ったコブラ酒をいまだにもてあましていることを思いだし、かろうじて抑制した。
 売店を2周してベトナム国旗とキーホルダーを買ったら、あとは座って待つだけ。私はこの暇に、ポメラを使って日記を書く。ありがたやポメラ様。

コブラ酒 ノイバイ空港待合室

 ハノイ発シェムリアップ行きの飛行機は、5時5分発、ちょっと小型のエアバスA321。テレビはない。でも2時間のフライトにもかかわらず、軽食が出た。スタッフがおいしくいただきました。
 カンボジアもなんだかややこしい入出国カードと、税関申告書を書かされる。こちらはガイドブックがもともとないので、適当に書く。
 つーか、いくらツアーとはいえ、入国カードも空港使用料も調べずに来るのはどうよ。

上機風景 軽食

 ベトナムとカンボジアの時差はなく、6時40分ににシェムリアップ空降着。飛行機のタラップを降りてから空港ビルまで歩いて移動する。ビルは空港とは思えないほどカンボジアンな雰囲気。
 入国審査は入念に書類をチェックしていたようだったが、税関はフリーパス。せっかくいっしょうけんめい申告書を書いたのに、受け取ってもくれない。なんかくやしい。
 ベトナムで予想外にドルを使ってしまったうえ、出国時に払う空港使用料はツアー料金外で、ひとり25ドルと、まじめに旅行ガイドを持参してきた人に聞いたので、1万円を両替。104ドル。1ドル96円くらいのレートだね。

シュムリアップ空港

 空港ではガイドのセンヒャクさんが待っていた。「名前はセンヒャク、名字はエンです」とギャグをいきなりかます。やるなおぬし。ファンさんより日本語が流暢。
 空港からシェムリアップ中心までは25分くらい。6号線沿いの中華料理屋、新蓮花餐応飯店で夕食。麻婆豆腐、スペアリブ、青梗菜炒め、白身魚蒸し、酢豚など。
 ここでは現地産のアンコールビールを頼む。2ドル。

新蓮花1 新蓮花2

 8時半ごろ、ホテルにチェックイン。ホテルは川沿いのシティリバーホテル。今までのホテルの中でいちばん豪勢で、いちばん説明が親切だった。部屋にセーフティボックスがあるので、パスポートや日本円などを預ける。暗証番号は阪神が日本一になった年月。ふふ、カンボジア人にはわかるまい。

シティリバーホテル ホテルの部屋

 ちょっと落ち着いてから、近くにあるオールドマーケットに出かける。ホテルからマーケットまでは表通りなので、夜も人影が多く安心。
 市場は表のTシャツやスカーフを売る店だけ開いていて、内部の店はもう閉まっていた。こんど昼に来よう。
 市場裏手にあるバーストリートは、これから佳境をむかえる。ほとんどが白人客で、音楽も西欧ポップス。ちょっと、バンコクのカオサン通りに雰囲気が似ている。

 市場の店でTシャツの値段を聞いたら、4ドルとかほざいたので、さんざん粘って3枚6ドルまで話をまとめて、しめしめ、と思ったら、バーストリートの店では「Tシャツ3枚5ドル」と書いてあった。ちくしょう。悔しいのでそっちも買う。ビールのレッテルのデザインとか地雷のデザインとか。

 バーストリートの店で、「アンコールビールジョッキ、2.5ドルのところ、タイムサービスで0.5ドル!」と看板に書いてある店に半信半疑で入る。中ジョッキ2杯と揚げ春巻きを頼んだら、本当に中ジョッキ2杯で1ドル、揚げ春巻き1.5ドルで2.5ドルの勘定だった。ううむ、安いな。
 そのかわりメニューでアジアンなのは春巻きとフォーとチャーハンくらいで、あとはポテトフライとかピザとか、西欧ジャンクフードが多い。ベトナム風生ソーセージのネムチュアとか、虫の唐揚げとか、そういう発酵系悪食系のが食いたかったんだが。
 ビールを飲んでる最中に、なにかテーブルの下を横切ると思ったら、猫だった。ベトナムでもカンボジアでも、屋外で猫を見ないと思ったら、こういう涼しい室内でんびりとしているのか。猫は楽だなあ。

バーストリート近辺 バーストリートの中に棲む猫

 こちらでも花売りの幼女が客に花を売ろうとしているが、花を買う代わりに写真を撮らせてくれオーラがバリバリに出ている私のことは無視して通り過ぎる。そういえばタイのカオサン通りで呑んでいたときも花売り幼女にシカトされたことを思い出す。くそう、タイ人もカンボジア人も、ロリコンのことが嫌いですかそんなに。

 ホテルに戻る途中、「世界人類が平和でありますように」の柱が、ここにも立っていた。なんなんだよ白光真宏会。
 帰途の街角を犬がうろついていた。犬はいつまでたっても屋外なのね。犬は辛いなあ。

世界人類が平和でありますように バーストリートを追い出された犬


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