ぼくの町

 ぼくが今帰省している母親の郷里は、ほとんど何もない山里である。
 むろん都会ではない。
 かといって、民俗学者が探訪するほどの秘境でもない。
 週末に他府県から人が集まるような、観光地でもない。
 これといった特徴のない、どこにでもあるような町である。
 辛うじて村ではない、という程度の町である。
 駄目かも。

 他府県にアピールするようなポイントは、たったひとつ。
 宮本武蔵の出身地だった、というだけだった。
 たったひとつの観光資源だけに、その依存ぶりは素晴らしかった。
 五キロ手前から「武蔵の里」という幟が街道にひるがえり、「宮本武蔵駅」という、個人名を冠した鉄道駅さえ作る有様だった。
 むろん駅前には武蔵の銅像を立てた。
 武蔵の生家、武蔵神社、武蔵の墓、武蔵道場、なんでも見せ物にした。
 「神仏を崇めて頼らず」と言った、その武蔵に頼りきっていたのだ。
 駄目かも。

 やはりこんなことではいけない、と町当局も思った。のだろう。
 武蔵だけでは若い客は呼べない、特に女性は呼べないと思った。のだろう。
 町は新たな観光資源を作るべく奔走した。のだろう。
 数年前、ひとつのテーマパークが誕生した。
 名付けて、「愛の村パーク」。
 駄目かも。

 せめて、「村」か「パーク」か、どちらかを端折ることはできなかったのか。
 この「愛の村パーク」には、「愛の鐘」「愛の音色オルゴール博物館」「愛のキャンプ村」「愛のヤマメ釣り堀」「愛の土産物屋」「愛の特産こんにゃくの店」などなど、愛の施設が満載である。
 なかでも町民に愛されているのが、「愛の泉」である。いやらしそうな名前だが、そっちの意味はない。
 とても甘い、おいしい「愛の水」がこんこんと、汲めども尽きず湧き出る泉である。吸えばますます出てくる愛の泉である。やっぱいやらしいかな。
 泉の前には石碑が立っている。
 この水がいかに水質がいいかということを自慢した文章が彫ってある。
 その一部はコンクリートで埋め潰されている。
 どうもその部分は、「この水はお子様のアトピーにも卓効があり……」と書いてあったらしい。
 あまりの誇大広告に抗議が来て、削除されてしまったらしい。
 駄目かも。

 町民はみんなここまで水を汲みに来る。
 おっちゃんやおばはんが、車で「愛の村」へやってきては、「愛の泉」で「愛の水」をポリタンクにいっぱい汲み上げるのである。
 そしておっちゃんやおばはんは、「愛の水」を米の研ぎや味噌汁など、日々の煮炊きに用いるのである。
 駄目かも。 

 「愛の村パーク」に対抗したのだろうか、隣町も新たにテーマパークを建設した。
 名付けて、「バレンタインパーク」。
 フランスのバレンタイン町と提携したそうだ。
 そんな町、あるのか。
 駄目かも。

 ここの売り物は、なんといってもペイネの美術館である。
 名前はご存じない人も、絵は見たことがあるだろう。
 丸顔でツィギーな身体の恋人たちの絵を描くフランス人である。
 洋物チッチとサリー、という感じの画家である。
 その絵が展示されている。
 一部にやや皮肉っぽいところがあるものの、やはりほとんどが、べたべたの恋人賛歌である。
 駄目かも。

 このバレンタインパークで、バレンタインデーの催し物があった。
 しかし参加したのは、多くがじいさんばあさんか、子ども連れの夫婦だった。
 バレンタインデーにふさわしい若年女子は、数えるほどしか来ていなかった。
 やはり高齢化の影響なのであろうか。
 駄目かも。

 そこでぼくは、無料で配られていた、バレンタインワインを飲んでいた。
 ぼんやりと、バレンタイン公園を眺めていた。
 小学生くらいの女の子が石蹴りをするのを、ずいぶんと眺めていた。
 そういえば、新潟の少女監禁犯も、あのくらいの女の子をさらって来たんだよな、とぼんやり考えていた。
 我ながらうらぶれた有様だな、と自嘲しながら。
 すごく駄目かも。


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