バレンタイン計画第24回『寂しい人の雑文祭』参加作品)

「いらっしゃいませ」
「えーと、このポテトチップスとビールください」
「毎度ありがとうございます」
「あと…、あ、これ、何ですか?」
「きのこの山チョコでございます。お買いあげですか?」
「まさか」
「364円でございます」
「あ、あと…、このビタミンウォーターもください。ところで……、あれ、何ですか?」
「ダースチョコでございます。お買いあげでございますか」
「まさか」

 などと書いていても全然面白くない。だいたいスネークマンショーなんて若い人知らないって。
 もっと別の方面から責めてみよう。

 愛を守護すると言われている聖バレンタインはふたりいる。ひとりは269年頃ローマで殉教しフラミニア街道に埋葬された司祭。もうひとりはテルニという町の司教。同じ頃ローマで処刑された。ふたりとも特に愛とは関係がない。
 バレンタインデーが愛と結びついたのは、ローマ時代からの名残である。キリスト教以前の民間信仰で、2月14日は鳥が伴侶を選ぶ日である、と信じられていた。またこの日、ローマでは豊作を祈願してルペルカニア祭が行われていた。
 このような民間信仰をキリスト教が簒奪して聖人と結びつけたのが聖バレンタイン・デーである。キリスト教は民間信仰を悪魔崇拝として弾圧するか、簒奪してキリスト教化するか、どちらかだった。後者のもう一つの例がクリスマス。ローマのサトゥルヌス祭だったものを、キリストの誕生日とこじつけ、さらに無理矢理聖ニコラスに結びつけ、現在に至る。

 駄目だだめだ、全然つまらん。こんな程度のうんちく、誰でも知っておるではないか。もっと何か、こう、私的なものが欲しいわけよ。そうだな、こんな…

 私がもらうチョコレートの数は、毎年完全に予測できる。
 課の女の子からひとつ、取引先の会社の女の子からひとつ、野球サークルのマネージャーからひとつ、同期の女の子からひとつ、保険のおばちゃんからひとつ。合わせて5つ。このうち個人名での贈答は保険のおばちゃんだけ。後はすべて複数の連名である。
 しかし今年の異動で、私のチョコ獲得数は激減が予測される。
 今の課には女の子がいない。マイナス1。取引先もなくなった。マイナス1。同期の女の子は異動か結婚退職でいなくなってしまった。マイナス1。今年度の予想獲得数は2である。存亡の危機である。

 いかんいかん。哀れな話を淡々と書いてどうする。面白くないぞ。ネット辛口、もとい、毒舌、もとい、辛辣評論家の細田さんに「私はあなたのことには興味ありません」などと評されてしまうではないか。もっと読んでもらおう、笑ってもらおう、という気組が欲しいのよ。

「島倉チョコ」

 だーーーーっ。たれたれたれたれ、この馬鹿たれ。どこがこんなギャグで笑ってもらえるんだ。こんなしょーもない駄洒落、ファミリー四コマ雑誌の2月14日特大号でもお目にかかれんぞ。笑いはやめた。もっと情緒的にいくぞ。

 和美は今日も先輩に渡せなかったチョコレートを握りしめて家路についた。
 夕暮れの街角。木枯らしの舞う商店街の道を、和美はひとりで歩いた。
(いつもこうなんだもの。もっと強くなろうって、きのう決心したのに……)
 ポケットにあるチョコレートの包みが重く感じられた。
 数人の女学生が、談笑しながら和美を追い越していった。
(あたしもあんなに明るくなれればいいのに……)
 和美の首筋に、ふと冷たいものが感じられた。見上げると、風花がちらちらと舞っている。
 それは和美を元気づけてくれるようでもあった。空を向いた和美の鼻に、ちょうどひとつの雪片が落ちた。ちょっと微笑した。
(ありがとう。来年はきっと……)
 家に帰り着いた和美は、ドアを開けようとした。
 堅い。
(あれ?)
 なかなか回らないドアノブを、和美はけんめいの力で回した。
 そのとき、遠くからとどろくような音が聞こえた。
 不審に思った和美がドアを開けるのを中止したときは、もう遅かった。
 和美の目に最後に映ったのは、チョコレートの包み。
 いままで渡せず、家に持ち帰った無数のチョコレートが、家から溢れてなだれ落ちてくる。
 和美は逃げることができなかった。

 戸田市の南方にある美女木丘陵は、こうしてできたのだという。
 哀しい乙女の受け取られなかった愛で築かれたこの丘陵には、2月になるとアズキ菜が芽を出す。
 そのチョコレート色の葉をつみ取り、噛んでみると、かすかに苦いような甘いような味がする。
 戸田の人はこれをオトメ菜と呼び、哀しい乙女の魂が宿った草という。

 こらこらこらこら。もひとつこら。どうして純愛ラブストーリーが日本むかし話になるんだよ。もういい。やめだやめだ。バレンタインの雑文なんて、もともと無理だったんだ。
 しかし、こうも書けないというのは、やはり「バレンタインなんて、ケッ!」という気持ちが心の中にあるからなのだろうな。


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