海洋生物界の知念里奈

 ダイバーというのは海に潜ることを好むだけはあって、やはり地上の人とは好みが若干違うらしい。地上の人が無視して憚らない、否、むしろ嫌悪している存在を愛玩するのだ。もともとそういう趣味の人がダイバーになる傾向が強いのか、そんな趣味だったから地上の常人から差別されて海に逃げるしかなかったのか、どちらかはわからない。

 そのひとつがウミウシだ。ウミウシ。軟体動物門に属する。地上の生物に類縁関係を求めれば、ナメクジが最も近縁である。要するに海のナメクジだ。昭和天皇が相模湾でこいつの研究に没頭しておられたことは有名だ。でも所詮ナメクジ。確かに色とりどりの綺麗な体色だが、所詮ナメクジ。サンゴや海草や魚の食いクズをあさって生きている、浅ましい生物だ。まさに海のナメクジ。クリオネなんぞも半透明の身体でひらひらと泳いで、「海の妖精」などと呼ばれているが、騙されてはいけない。所詮ウミウシだ。しかも肉食で、自分よりでかい魚を呑み込んだりするのだ。「キン肉マン2世」に登場するクリオネマンそのものだ。そんな奴をダイバーは崇めるのだ。見つけて喜んだりするのだ。写真なんか撮ったりもするのだ。それだけでなく、「1999年の大ブレイク」「海洋生物界の宇多田ヒカル」などと呼称したりするのだ。それはないだろう。いくらなんでも、ウミウシと比べては、宇多田ヒカルに失礼ではないか。だいたいウミウシが海洋生物界の宇多田ヒカルなら、ナマコは海洋生物界の佐野量子か。ベニオオウミグモは深海生物界の藤崎奈々子か。八木容疑者は犯罪界の宇多田ヒカルか。中日のディンゴはあてはずれ界の宇多田ヒカルか。石原慎太郎は暴言界の宇多田ヒカルか。小渕恵三は脳梗塞界の宇多田ヒカルか。野村沙智代はコロンビア大学の宇多田ヒカルか。いやこの場合、宇多田ヒカル本人もコロンビア大学だから、話がややこしくなる。keithさんは雑文界の清原和博だ。それでいいのか。

 ダイバーのお気に入りのもうひとつが、サメだ。
 サメといえば一般の連想はジョーズだ。人食い鮫。オーストラリアやカリフォルニアで、年間数人の海水浴客が犠牲となる。泳いでいて、なんか足の当たりがコツコツするな、と思って、見てみたら太ももからバッサリ食いちぎられているのだ。海水浴場に三角の背鰭が見えた途端、海水浴客は逃げまどうのだ。しかしもう遅い。脇腹を食いちぎられ、腕を食いちぎられ、出血多量で死んでいくしかないのだ。砂浜まで逃げ延びても油断がならない。貪欲なサメは、砂浜にまで躍り上がって襲いかかる。食らいつく。食いちぎる。貪り食う。
 もしくはカマボコ。上等なカマボコは、ホウボウやハゼ、キスなど白身の魚で作るが、下等なカマボコはサメで作る。あるいはサメの煮付け。戦中戦後の食糧難の時期、サメが配給されることが多かった。アンモニア臭がひどくきつくて、いくら飢えている時期とはいえ、つくづくと不味かったと多くの人が書き残している。なぜか鰭だけが珍重され、フカヒレスープとして中華の高級料理となったりする。そのへんがよくわからない。
 要するにサメといえば、下級、下賤、凶暴。まともな人なら敬して遠ざけるのが正常なあり方だ。そんな奴にわざわざ近づこうという酔狂な人間がひとつだけいる。ダイバーだ。彼らはダイビング中にサメに出会うと狂喜乱舞する。サメが多くたむろする場所があると、シャークポイント、などと命名して名所にする。サメを船で追いかけて行く、「ジンベエザメを追ってダイビングクルーズ」などというツアーがあるくらいだ。

 そのダイバーが最も有り難がるのは、ジンベエザメとシュモクザメだ。ジンベエザメ。現存する最大のサメで、身長15メートルにもなる。身体に白い斑点が無数にあって、陣兵衛を着ているようなのでその名がある。巨体ではあるが、しかしプランクトンを食べる穏和なサメだ。巨体を小さなプランクトンで支えるため、全身の五分の一は口になっている。その巨大な口で莫大なプランクトンを漉しとりながら泳ぐ。その悠然たる様は、たしかにいちどは見てみたいものだ。
 シュモクザメは小さい。せいぜい二メートルくらいだ。彼が人気あるのは、その特異な容貌による。頭から水平に妙な突起がある。その先端に目がある。T型定規のようなというか、撞木のようなというか、金槌のようなというか、そんな頭をしている。そのため英名ではハンマーヘッド・シャークと呼ばれる。なぜこんなけったいな姿になったか、よくわからない。視界が広くなって便利だといわれるが、それならなぜ他のサメもそうしなかったのだろう。知念里奈という人は、目と目の間隔が離れていることで有名だが、あのひとが三十万年ほど進化すればシュモクビトになるかというと、そんなことはないと思う。

 ジンベエザメはプランクトン食だから人間にかじりつくことはないが、シュモクザメは肉食である。魚を食べる。ときに一メートル近いカツオを襲ったりもする。人間にかじりつかないという保証はない。ホオジロザメやヨシキリザメとなると、もともと「人食い鮫」と異名をとった奴らだ。人を食わないと看板にもとる。
 海水浴客を襲うのは、水面でばちゃばちゃするのを瀕死の魚だと思って襲うのだ、という説がある。確かに潜っている人をサメが襲った例は少ない。少ないが、皆無ではない。潜水夫が襲われて脇腹や腕を食いちぎられた例はいくらでもある。たしかに多くのサメは、人間が近づくと逃げて行く。臆病なのである。しかしサメの性格は不可解である。気まぐれ界の宇多田ヒカルといっても過言ではない。さっきまで臆病だったサメが、自分より大きいイルカに襲いかかったりもするのである。サメ除けに開発された電気ショック棒があるが、これで実験したところ、多くのサメは逃げて行くが、ごく少数のサメは逆に凶暴化して襲いかかってきたという結果もある。最近、ダイバー人口が急増しているが、そのうち不用意なダイバーがサメに腕を食いちぎられる事件が発生するのではないか。

 ジャック・クストーはこう言っている。「サメは何をしてくるかわからない。それだけは間違いない」

 ゲーテはこう言っている。「雑文書きはどこで嘘をつくかわからない。それだけは本当だ」


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