寒い寒い寒い夜 第2回雑文祭ノミネート作品)

 その晩は近来まれに見る寒さだった。
 東京では一日中、零下だったとニュースは言う。
 ましてここは群馬県の清里、いちめん白銀の世界である。

 我々高校の天文部の面子は、冬期合宿で清里のロッジを借り、4泊5日の天文合宿を行った。
 総勢8名の高校生。よく貸してくれたものだ。
 天文部であるから、昼は寝ている。夕方になるともぞもぞと起き出し、夕食を作る。
 なにせ高校生であるから、たいしたものは作れない。
 チャーハンを作るのに干し椎茸を買ってきたのはいいのだが、
「これ、どうしよう」
「水で戻すんじゃない?」
「いや、どうせ炒めているうちに、ご飯の水分で戻るから、そのまま炒めちゃえばいいよ」
「ご飯が足りないんだけど」
「じゃ、その生米を炒めちゃえ。他のご飯の水分で戻るよ」
 などと非常に堅いチャーハンを作ってしまったりするのだ。
 これでも女性部員が3人いるのだが。
 こういう凄い晩飯をかき込むと、準備をして外に出かけていく。
 その日は風邪気味だということで、部長と女性部員ひとりが留守番することになった。

 外は零下20度。
 ただごとではない。
 ただごとでない気温に備えるための、我々の装備もただごとではない。
 上は、Tシャツ、長袖シャツ、スキー用の分厚いシャツ、そしてセーター、羽毛のジャケット。
 下は、パンツ、パッチ、スキー用のスパッツ、オーバースパッツ。
 これだけの重装備をもってしても、零下20度は我々から体温を奪っていく。
 よって、カイロは必需品である。

 カイロといっても、ホカロンのような化学的カイロは、零下20度ではもはや反応しない。
 白金カイロのようなベンジンのカイロも駄目だ。
 結局、古式ゆかしい、豆炭を燃やすカイロしか使えない。
 大手薬局を駆け回ってやっと手に入れたのだ。
 これを身体の数カ所、そして望遠鏡とカメラのレンズ付近に結びつける。
 結露を防ぐためである。

 もちろん、手袋は必需品である。
 零下20度で、素手でカメラに触ったら。
 あっという間に手の水分が凍り付いてカメラにくっつき、離れなくなる。
 無理に引き剥がせば皮膚が剥がれてしまう。

 これだけの苦労をして見る星は、やはり美しい。
 冬の大銀河が見事に流れている。
 シリウスはいっそう寒げにきらめく。
 昴は寒さにかじかんだように寄り集まり、またたいている。
 オリオンの大星雲がはっきりと見える。

 壮大な星景色のもとで、ときおり音楽を聴いてみたくなる。
 実は、ソニーのウォークマンは、この低温の元では無力である。すぐ止まってしまう。
 意外とアイワのカセットボーイが、けっこう健気に動く。東芝のウォーキーも意外と低温に強い。
 音楽は80年代のあのころ、斉藤由貴の「白い炎」、もしくは松任谷由美の「ブリザード」が雪景色に合う。
 その5年後、どこのスキー場でも「ブリザード」が流れているのを聞き、いくら合うっていってもああ毎回ではねえ、とげんなりするとも知らず。

 星空を満喫する我々の敵は、天候である。
 山の天気は変わりやすい。
 冬の天気は変わりやすい。
 よって、冬山の天気は、二乗で変わりやすい。
 その夜も、快晴だった夜空で、一片の雲が星を隠したかと思うと、あっという間にどんよりとした雲で全天が覆われてしまった。

 こうなっては、もはやすることもない。
 我々はカメラをしまい、望遠鏡を片づけ、三脚を畳み、ロッジへの家路をたどる。

 ああ、ロッジの灯が見える。
 暖かい部屋までもう少しだ。
 零下20度ともおさらばだ。

 性急に扉を開けようとした私の腕を、副部長がいきなりつかんだ。
「ちょっと待て!」
「どうしたの?」
 副部長はなにも言わず、窓を指さす。
 窓から見える景色は、暖かい室内。
 部長と女の子が、あああ、おおおお、なんてこったい。くそう。

「もうちょっと二人だけにしてやろう」
 高校生とは思えない副部長の人生経験豊かな発言のため、我々は零下20度の外気に晒されることになった。
 カセットボーイの電池はとうに切れている。
 足が冷たい。顔がこわばる。涙が凍る。

 とにかく寒くてたまらなかった。


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