プロアマの風景

 アマチュアプロレスというものがある。
 これほど一見矛盾した名称はない。三歳の子供が陸軍大佐、というのと同じくらいの矛盾だ。それはニカラグアのソモサ大統領の孫だが。のちサンディニスタ民族解放戦線による革命が起きてから、どうなったかは知らない。ともあれ、アマチュアなのにプロレスである。アマでプロなのだ。どっちなんだ。プロの海女ならアワビを獲る。「このアマ、プロだな」というのは売春婦である。プロアマゴルフというのはあるが、あれはプロとアマが混ざっている大会である。プロアマサッカーとは言わないが天皇杯もそうである。でも、どっちも優勝賞金は出るよな。受け取ったらプロなんじゃないかという気もするのですが。
 この矛盾は、プロレスとアマレスがまったく違ったスポーツであることから生じる。プロレスは派手なスポーツだ。ラリアットだ、ブレーンバスターだと大技を連発する。基本的に相手の技を受けなければならない、というのが暗黙のルールである。どんどん技を受けあって、最後にいちばん凄い技で相手をしとめた者が勝者となる。
 これに対しアマレスは地味である。相手の技を受けない。なにしろポイント制なので、受けたら負けてしまう。技そのものも地味である。ひたすら相手の後ろに回りこんで、腰をつかんでひねり投げたりする。なんだかうじうじしている。見方によってはいやらしく思えることもある。

 で、アマチュアプロレスというのは、要するにプロレスを趣味として無報酬でやることを言う。スポーツクラブが同好の士を集めていたりすることもあるが、やはりアマチュアプロレスの本場は大学である。特に学園祭である。
 アマとプロでもっとも違う点はというと、これは否も応もなく体格である。なにしろプロは毎日鍛えている(例外もいるが)。アマの本業は学業である(例外もいるが)。従ってプロの体格はよい。太っているようにも見えるが、あれは筋肉がついた上に脂肪をつけているのである。アマは貧弱である。一般人の体格でロード・ウォリアーズのコスチュームなど身につけていると、ヘビメタの兄ちゃんにしか見えない。てゆーか、ウォリアーズがヘビメタコスチュームを真似したんだけど。
 そういう一般人の体格で、技だけはプロと同じことをやるのだ。蝶野ですら首が折れるようなブレンバスターを放ったり、川田ですら脳震盪を起こすようなバックドロップを放ったりするのだ。こんなこと、世間が許しても身体が許さない。むろん素人の技であるから威力ははるかに劣るが、やはりそこはそれ、殺人技である。貧弱な素人が真面目に受けたら死んでしまう。ということで、技の応酬はすべてお約束である。演劇のように、「ここでお前はラリアット。それを俺がかわして、ロープに跳ね返ったところでクロスチョップに行くから、それをお前は受けてトップロープ越しに場外転落。そこで俺はブランチャに行くので、それをお前は受け止めて、場外ボディスラム」という感じで隅々まで打ち合わせ済みなのである。誰だ。プロでも同じだろう、などといった奴は。出てきなさい。NOAHの旗揚げカードで三沢と小橋を撃破した、秋山のフロントネックロック食らわすぞ。

 アマチュア・プロレスではすべてプロレスに準ずることを美学とする。団体名も、AWFとかEJWFとか、プロレス団体のような名前を自称している。日本語で表記すると、「秋田大学プロレス研究会」とか「北関東大学プロレス同好会連合」とか、「研究会」「同好会」という名称がちょっと威勢が悪いが。
 プロと同じリングで、プロと同じ技を出し、プロと同じルールで試合をする。レスラーのリングネームも、プロを模倣する者が多い。アンモニア猪木、チョンボ鶴田、アルク・コーガン、スキン・ハンセン、ザ・グレートマヌケなど、なんだか猥雑なイメージが漂う名前が多い。リングネームの傑作は、十年ほど前に九州に存在したと伝えられる、「ほぼ・ブラジル」という選手だろう。なんでも色黒で鼻が広く、本当にボボ・ブラジルに酷似していたそうだ。

 試合にはOBも登場する。いい年をした、妻子あるおっさんがパンツ一丁で人前に逞しいとはお世辞にも言えぬ裸体を晒すのである。そんな中に、上田姥之助、タイガー・ジェット・おじんという二人組がいた。繰り返して悪いが、もう四十を過ぎたようなおっさんである。そろそろ課長の声も聞こえてきた年代である。それが背広を脱ぎ捨て、ネクタイも外し、パンツ一丁で人前に出て、金髪に染めたりオモチャの刀をくわえたりして「往年の悪質タッグ、ここに再結成!」などと叫ぶのである。「悪質ドライバー!」などと叫びながら、相手の頭を股間にはさみこんで、尻餅をつくのである。それを小学生の息子が嬉しそうに応援したりもするのである。

 最近はプロレス団体も多団体連立で、経営の苦しい団体も多いらしく、こういう学園祭にも安い料金で来てくれるレスラーも多い。アマチュア・プロレスのリングでプロアマ混合戦が行われたりもするのだ。プロアマアマチュアプロレスリングとでもいうのか。
 その昔、左翼運動が盛んな時期は、みんなプロレタリアを冠していた。プロレタリア文学、プロレタリア俳句、プロレタリア演劇、プロレタリア酒場、プロレタリア革命。略してプロ文学、プロ酒場などと言っていた。反対語はブルジョアで、ブル文学だとかブル新聞だとか言われていた。悪口だが。ブル俳優というのは故・勝新太郎のことだ。もちろん悪口である。
 この時期にアマチュアプロレスがあったら、やはり、プロレタリアアマチュアプロレスが誕生したのだろうか。略してプロアマプロレス。そこでプロアマ混合戦があったら、プロアマプロアマプロレスだ。
 あ、しかし、考えてみれば、プロレタリアが金を払うはずはないのだ。よってプロアマプロアマプロレスは不成立。存在するとしたら、プロアマブルアマプロレスだ。いや、学園祭に来るような団体は貧乏だから、プチブルだな。よってプロアマプチブルアマプロレスに決定。女性選手の場合は、プロアマプチブルアマアマプロレス。奥さん、プチブルなアマだぜ。旦那のためにもプロにはならないように。


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