ニーナの船は、故郷のジェノヴァに留まったままだ。
ニーナも毎日なすこともなく、港でぼんやりとしている。
「ねえ、僕のお母さんを知らないかい」
と尋ねる子供を邪険に突きのけ、言い捨てて去る。
「てめえで探せ」
荒くれの部下どもも恐れる、ニーナの不機嫌は、さきの航海以来だ。
あのときはルソンまで遠路でかけた。
そのとき、香料や黄金のほかに、捕虜も捕らえた。
捕虜の多くは、身代金を取って解放したが、ひとり残った男がいた。
「親方、あの若造、どうしましょうか」
と聞かれるまで、ニーナは男のことを知らなかった。
「何の話だ」
「いや、捕虜のひとりが、どうにもならんので」
貧乏で身代金も払えないような捕虜は、みせしめのため甲板から突き落とされる。それを救ったのは、男の身につけた芸であった。
「そいつ、商人か、農民か、どっちだ?」
「いえ、なんでも刀工だそうで」
「トウコウ?」
「要するに、日本の刃物職人でさあ。刃物を作ったり、磨いたり」
「ふうん。まあ、それなら連れてこい」
男は、ニーナの思ったより若かった。
そして痩せてしなやかで、皮膚が黄色かった。
「おまえ、ナイフが研げるか?」
ニーナの問いに、男は素直にこたえた。
「俺は刀工で、研ぎ師ではない。でもまあ、ひととおりはできる」
ニーナの出した懐剣を、男はためつすがめつ眺めていった。
「えらく刃こぼれしてるな。たいそう人を斬ったろう」
「いや。たかだか五六人だ」
「もっと大事にしてくれよ」
「大事にしてるさ。母の形見だからな」
「それにしてもこれは。まあ、研げばなんとかなるか」
それから男は、おもむろに懐から油紙を取り出し、大事そうにくるんでいる物を取り出した。
それで刃を研ぎ、水をかけ、最後に妙なパウダーをふりかけ、大事そうにナイフを鞘におさめた。
「さあ、これでいい」
男はナイフを、ニーナに手渡した。
「大事にしてくれ。これは左文字だからな」
「サモジ?」
「……いや、よほどの貴族しか持つことのできない、立派な刀だということだ。あんたの母親は……」
言いすぎたと思ったのか、男は口をつぐんだ。
「おまえ、これからどうするつもりだ?」
ニーナは問うた。
「愚問だな」
男は笑った。
「俺の命は、あんた次第だろ」
「戻すわけにはいかないが」
ニーナは言った。
「おまえ、わたしの港で、剣をつくらないか?」
「いいだろう」
と男は言って、染みとおるような笑顔を見せた。
「俺は刀が打てれば、どこでもいいんだ」
それはニーナが今まで見たこともなかったような、爽やかな笑顔だった。
「おまえの名は?」
「そういや名乗ってなかったな」
男はまた、笑顔を見せた。なぜかニーナは、それにどきりとした。
「堀川安之進という。ヤスとでも呼んでくれ」
かくしてニーナは、今日もジェノヴァの港で石を投げる。
「ふん、あんな男なんて……」
吐き捨てるように言いながら、ニーナは石を投げる。
石は無心にぴんぴんと跳ね、やがて海に没する。
ニーナは懐剣をとりだし、その光る刀身を虚空にきらめかす。
なにを斬ったつもりか、それはわからない。