送る言葉
「送る」という行為は、危険がつきまとう。
平安時代までの日本では、妻問婚が貴族の間で一般的だった。
女の住む家を男が訪れ、一夜を明かし、帰っていく。
女が男の家を訪れることはなかった。
女が男の家を訪れることは、タブーであった。
「今昔物語」には、このタブーを犯した女が罰される話が、いくつか出ている。
曰く、男の後を追っていったが、男は実は鬼で、喰われてしまった。
曰く、男の後を追っていったら、山に消えていった。男は実は蛇の化身だった。
曰く、男の後を追っていったら、田圃に入っていった。男は実は案山子だった。
曰く、男の家に入っていったら、以前の4人の妻たちが殺されて吊されていた。女も早速殺され、吊される5人目となった。
これはなぜか。
この時代、呪詛が信じられていた。
芦屋道満という男が、ときの関白、藤原道長を呪った話がある。
道満は道長の邸の前に呪いをかけた藁人形を埋め、道長を呪い殺そうとする。この藁人形を埋めた地点の上を歩けば、道長に呪いがかかり、悶死する。
しかし、優れた陰陽師として有名な安倍晴明は、これを察知した。人形を掘り出し、道満は検非違使に捕縛される。道長はからくも救われる。
そこで生活する家の所在地を知られることは、生命の危険にもつながったのである。
それより後の時代、江戸時代にあって、橋は危険な存在であった。
橋姫だとか数々の魔物が棲む、危ない場所であった。
あまりに危険なので、橋を造るときに人柱と称して娘などを沈め、その霊魂に守ってもらおうとしたくらいである。
その娘が死ぬときに村人を呪ったりして、橋はますます危険な存在となった。
これは、橋が多く境界をあらわすところからくる。
橋のむこうとこっちでは、村が違う。国が違う場合もある。
テリトリーの交錯する地点として、争いごとも多く、危険だったのである。
送り狼というものがいる。
旅人のあとを狼がずっと追ってきて、離れようとしない。
さては自分が寝たら襲うつもりかと旅人は恐怖する。
ふと気がつくと狼はいない。はて、あの狼は自分を送ってくれたのか、逆に危険から自分を守ってくれていたのか、と旅人は思案する。
これが本当にあることを、シートンは動物記に書いている。
狼は旅人が兎や鹿を撃つのを期待して、追ってくるのだ。
そうしたら残り物を分けてもらおうと楽しみにして。
ある地点で消えるのは、そこが自分のテリトリーの限界だからである。
テリトリーを越えることはできない。危険だからである。
橋も同じことである。
むかし、旅立つ人を見送るのは、橋までということになっていた。
そこが村の境界だからである。
橋を越えて、たとえば相手の家まで送ってゆくことは、許されない。
橋を境に、送るひとと送られるひとは別れたのである。
それが日本の伝統なのである。
「…ということなのだ」
「何がよ」
「いや、だから、私が貴女を家まで送らないのは、さふいふ事情なのだよ」
「莫迦らしい」
「…」
「つまんない言い訳」
「……」
「面倒くさいだけでしょ」
「………」
ああ、男の構築する壮大な理論など、女にとっては、そんなものだ。