基準はどっちだ

 連合艦隊指令長官、山本五十六海軍元帥のお兄さんは、「山本五十六のお兄さん」と紹介されることがなによりも嫌いだったという。
「オジ(弟)はオジ、ワシはワシじゃ」
 それはそうだろう。向こうは弟だ。自分より後で生まれた人間だ。しかも他家に養子に行った身だ。自分は家長だ。れっきとした高野家の跡取りだ。その自分が、なぜ弟を基準に測られなければならぬのか。それにしても、私すら名前を忘れていて、「山本五十六のお兄さん」としか書くことができないのが哀しい。高野何とかという名前だったのだが。

 このくらいの不都合は世の中にはままあるもので、ピエール・キュリーなどはその代表例といえよう。彼は独身時代にも弟のジャックと共同で、または単独で優れた研究を行っていたのだが、結婚した相手がマリーだったのが運の尽きだった。今では彼は「キュリー夫人の旦那」と呼ばれ、一般には女房の甲斐性でノーベル賞を貰った男、というふうに思われている。いくら女房が偉くても、ノーベル賞は貰えないぞ。山内一豊じゃないんだから。それにしても、「キュリー夫人の旦那」この言葉の基準点はどこなんだ。夫人か、旦那か、それともキュリーか。

 デュマ・フィスも同じくらい可哀想な男である。彼は「椿姫」のような、優れた作品を書いた。れっきとした文豪である。人格が卑小だったわけではない。体格が劣弱だったわけでもない。だのに常に「小デュマ」と呼ばれる宿命にある。アレクサンドル・デュマの息子だったというだけの理由で。
 親父のアレキサンドル・デュマは「三銃士」「モンテ・クリスト伯」などを書き、「大デュマ」の名をほしいままにした。今でこそ不朽の文豪だが、その晩年は、作風が時代に合わなくなってなかば世から忘れられていた。財産も使い果たして息子のデュマ・フィスの家に居候していたらしい。その頃、世の人はきっとこんな会話を交わしていたに違いない。
「誰、あの変な爺さんは?」
「ああ、あれはアレクサンドル・デュマさ。小デュマの親父だよ」
 基準はどっちだ。アレクサンドルか。フィスか。それともデュマか。

 この逆の例は日本の平安時代に多い。
 清少納言はもともと、自分の名前を残さなかった。清少納言という名前も、父親の清原元輔が少納言だったことから、女官たちにつけられた綽名のようなものだ。それが今ではすっかり「枕草子」が有名になってしまい、清原元輔のほうが今では「清少納言のお父さん」と紹介されてしまう。清原元輔は今ごろ、「違う! 俺が清少納言なのだ! 娘を清少納言の娘と呼べ!」と、地下で激怒しているに違いない。もっともこの男、残っている逸話は、酔っぱらって恥を掻いた話だとか、間違いをしでかして関白に叱責された話だとか、情けない話しかないのだ。そんな奴が怒っても怖いものか。
 藤原道綱も、母親が「蜻蛉日記」なんてものを書いてしまったおかげで、「藤原道綱母の息子」などと珍妙な呼び方をされるようになってしまった。大臣も務めながらこんな目に遭っているのは、こいつと、未だに「裕次郎のお兄さん」と呼ばれている某都知事くらいなものか。はっ。ひょっとして、問題発言を繰り返しているのは、弟より有名になってやろうという野心の現れでは。

 欧米では親父と息子が同名というケースが多いので、いっそうにややこしい。
 プロレスラーのドリー・ファンク・ジュニアはドリー・ファンクの息子だ。野球選手のカル・リプケン・ジュニアはカル・リプケンの息子だ。
 それはいいのだが、スポーツ界では実績が同じくらいなら、現役選手がもっとも有名という宿命があるので、どちらも今ではジュニアの方が有名になっている。そのためドリー・ファンクは「ドリー・ファンク・ジュニアのお父さん」、カル・リプケンは「カル・リプケン・ジュニアのお父さん」という訳の分からない呼ばれ方をしている。
 そして欧米ではこんなケースのために「シニア」という称号をわざわざ用意している。ドリー・ファンク・ジュニアのお父さんはドリー・ファンク・シニアだ。カル・リプケン・ジュニアのお父さんはカル・リプケン・シニアだ。それはよいが、もし三代にわたったらどうするのだろう。ドリー・ファンク・ジュニアの息子はトレーニングしているそうだし。やはりグランパか。ドリー・ファンク・シニアからドリー・ファンク・グランパへ昇格するのか。するとドリー・ファンク・ジュニアからドリー・ファンク・シニアへ昇格した新シニアと、ドリー・ファンク・シニアからドリー・ファンク・グランパへ昇格した旧シニアの区別をどうつけるのだろう。心配でならない。

 日本の藤村一族のような例もある。いや藤村一族といっても男ドアホウではないよ。実在の初代ミスタータイガース、藤村富美男と弟の隆男を初代として、三代にわたって甲子園出場経験のある野球一族だ。今年の春も育英高校が藤村雅男監督(富美男の次男、67年には選手として甲子園出場)、藤村光司捕手(雅男の長男)を擁して甲子園に出場したのは記憶に新しい。最近五年間で四回の甲子園出場、98年からは3年連続出場を誇る藤村一族だ。ここも最初は藤村(兄)、藤村(弟)で済ませていたが、現在では藤村(初孫)、藤村(妹の連れ子)、藤村(生き別れのお兄さん)、藤村(長男の嫁が疎開先で産婆に取り違えられた行方不明の息子)、藤村(出戻りの妹が奉公先で孕まされた悪魔の紋章を持つ息子)など輩出し、ドイツのバッハ一族もかくやという繁栄をみせているそうだ。それにしてもこの一族は、富美男が厳然とした基準としてそびえているからまだいい。基準はどっちだ。どこなんだ。

 この一文を草したのも、最近お伺いしたとある新婚家庭がきっかけとなっている。そこでは夫が妻のことを「私の嫁の女子の人」、妻は夫のことを「私の夫の男子の人」と、ひじょうに回りくどい呼び方をしており、余りの回りくどさに自分でも混乱するのか、まだ新婚で慣れていないせいか、「私の嫁の人の女子の旦那の人」「嫁の旦那の女子の夫の男の子」などと奇妙なことを言うことがある。玉のような男の子が産まれたら、「私の嫁の女子の人の息子の男子の人」などと呼ぶのだろうか。そして「私の嫁の女子の人」は、「私の嫁の女子の人の息子の男子の人のお母さんの女子の人」へと昇格するのであろうか。その場合言い間違いを犯す確率はどれくらいだろう。心配でならない。
 さらにその家はメゾネットというか、二階建てで一戸をなすマンションに住んでおり、八階と九階に住んでいるわけだが、それを「八階の上の階」「二階の下の階」「九階の二階の下の階」などと呼び、住居の位置すらわけがわからないことになっている。相対的思考も結構だが、視点を定めておかないとえらいことになります。基準はどっちだ。嫁か、夫か、息子か、娘か、二階か、八階か、カレーか、ルーか。


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