くだんのちち

 今年は阪神がえらい調子ええな。
 ああ、こんな段ボールハウスで生活するワシや。テレビは見れん。そやけど、新聞雑誌は普通の人の5倍は読んどる。今ちょっと苦戦しとるらしいが、産みの苦しみじゃ、そのうち道も開けるやろ。
 こんな年になったのも何かの巡り合わせやろ。ま、そんな長い話やない。聞いてってや。

 ワシかてずっとこんな浮浪者暮らしやったわけやない。まっとうなサラリーマンやったこともあるんや。
 忘れもせん阪神の優勝した年、1985年のこっちゃ。
 大阪人の通弊で、ワシも阪神ファンやった。あの年は燃えたなあ。いったいいつ仕事してたんやろというくらい、甲子園に通っとった。今でも目に浮かぶわ。敗色濃い巨人戦。ラクダの槇原からバックスクリーン3連発。バース、掛布、岡田、それに真弓、佐野、長崎もおったな。和田が岡田の控えでな。ワシは弘田の渋い打撃が好きやった。いや、すまん。つい話が脇にそれた。
 神宮球場で優勝を決めたあの日、道頓堀はそらもうえらい騒ぎやった。街頭のスクリーンで試合を流してな。佐野の犠牲フライの時は知らん人同士で抱き合っとった。最後のピッチャーゴロを中西が渡眞利に送ったときはなんや知らん地鳴りみたいなもんが聞こえたで。
 ワシはその日、嫁はんと一緒にまだ小さな娘を抱いてな。映画見てレストランで食事して、さあ帰ろうかちゅうとこで街頭テレビにつかまった。どっちにせよえらい人だかりで動けんかったわ。見ているうちにワシも燃えてな。それで優勝や。全員で万歳三唱や。ワシも万歳や。
 娘をワシが抱いとること、ころっと忘れとった。
 それが万歳でな。宙に飛んだわ。落ちたんは川の下や。慌てて走ろうとしたけど、身動きがとれんわ。警察も消防隊も来れへんわ。
 あの日、カーネルサンダースが沈んだのは有名やけど、同時にワシの娘も沈んだんや。

 あのことはワシが全部悪い。ワシが娘を殺したんや。嫁はんには何の罪もない。
 そやけどな、あの日から嫁はんの具合が悪くなった。
 頭がおかしなってもうたんや。
 ま、無理もない。ワシが娘を川に突き落としたんを、その目で見てたんやからな。
 ずっと馬鹿みたいにぼーっとしてるかと思うと、いきなり走り出してな、中空を見据えて、「まゆみ……まゆみ!」とか叫んでな。まゆみちゅうのは、娘の名前や。阪神の選手ちゃうで。
 医者にも見せて、入院もさせた。なんや難しいこと言われたけど、ようわからんかったわ。すぐには治らん、そやけど他人に危害は加えない、ちゅうことで、とりあえず退院させてな、家でワシが面倒見るようになった。それもこれもワシのせいやからな。

 それで起こったんが、あの大地震や。
 ワシの家、いちばんひどい場所やったんや。
 余裕はまったくなかった。荷物運び出す暇なんかなかった。気がついたら天井が落ちてきてた。自分の身ひとつ逃がすのが、やっとや。
 そや。ワシ、嫁はん見捨てて逃げたんや。
 逃げる最後の瞬間、奥の部屋から出てきた嫁はんと目があった。
 最後に、正気に戻ったらしい。
「あんた……娘を見捨てて、今度は私を見捨てるのん?」
 瓦礫の落ちる音やらクラクションやら、耳をつんざく轟音の中で、その言葉が、えらいはっきり聞こえた。 その目、今でも忘れん。

 その後は、ワシももう働く気なくてな。
 まあ会社も地震で潰れてそのまま倒産したんやけど。
 仮設住宅から、なんや知らん間にここまで流れてきた。
 そのころからやな、幽霊が見えるようになったんは。
 嫁はんも見える。娘も見える。なんや知らん、地震で死んだ赤の他人も見える。昨晩一緒に焼酎を飲んでて夜明けに卒中で死んだ爺さんの姿まで見える。
 霊能力ちゅうのは、こういうもんかな、とはじめて知ったわ。
 霊能力者ちゅうのは、ワシみたいなもんが多いんちゃうかな。
 試しに霊が見えると自慢する奴の顔をじっと見つめてみ。たぶん目を逸らすやろ。うしろめたいことがあって、霊を見るようになった証拠や。

 ま、こんな生活じゃ。
 もうこの世に未練もないわい。
 そやけど、あんたには言っておこうか。
 そのうち、何かあるで。
 なんでか教えたろか。
 娘がな、こないだ角を生やしてたんや。
 牛の角や。
 しばらく一緒に居った、「学者」ちゅう渾名のおっさんに聞いたんや。なんでも、幼児が牛と化すは件、読むにくだんと申して天変地異の兆しなり。件予言して予兆を告げん。ちゅうことらしいな。
 娘が言っとったわ。
 今月の後半、ヤバいことがあるで、と。
 信じるも信じんも、あんたの勝手や。
 でもな。
 阪神とロッテが日本シリーズするまで、なんとかしてやりたかったな。

 え?
 あかん?
 件は、人と牛?
 ははあ、巨人と近鉄が優勝か。
 そやったらますます、未練はないわな。


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