吾輩は猫である
そいつは良くできた恐怖小説のように、じわりじわりと日常を侵食してくる。
そいつの存在に気づいたのはしばらく前の旅行中であった。
いや、もともとそいつの存在自体は知っていた。しかし、何の変哲もないものだと思い込んでいた。そいつはそれまでの私にとって、都市の点景にすぎなかった。かかわりあうことなど無いと思っていた。舐めていたのだ。
清里に向かうドライブの途中、インターチェンジの売店で私は、私の認識が甘すぎたことを思い知らされた。
それは、「キティちゃん熊手」であった。
熊手である。縁起物である。年末に浅草などであんちゃんが威勢良く売っている、あれである。1万円の大きなのを買うと店員がみんなで手拍子を打ってくれるという、あれである。福をかき寄せる、という意味で熊手に海老とか鯛とか小判とか、縁起よさそうなもののギミックをぶら下げ、真ん中に大黒様の絵姿が貼り付けられた、あれである。あれのミニチュアなのである。
大黒様の代わりに、キティちゃんが鎮座ましましておる。
これに何を祈ろうというのだ。
これで何をかき寄せようというのだ。
私も世捨て人ではない。キティちゃんくらい知っている。知っているどころではない。私淑する某アーチストはキティマニアで、身長5センチから1メートル半までの大小さまざまのぬいぐるみや、カンペンケース、指人形、ポシェット、等々のキティグッズ収集家である。その人にあやかろうと、銀座のサンリオショップまでキティちゃん腕人形を買いに行ったことがあるくらいだ。あの時はあやうく変質者扱いされるところであった。
今では子供だけでなく、いい年をした大人までがキティちゃんのキーホルダーだとか、キティちゃんの携帯電話カバーだとかを持ち歩いていることも知っている。携帯電話が着信すると、アンテナの先に取りつけたキティちゃんの眼が妖しく光り、お知らせするというからくりも、原理は分からないながら、そんなものがあるということは知っている。
しかし、熊手とは。
サンリオが宗教関係にまで進出していたとは。
多分、キティちゃんが十字架にかけられたペンダントだとか、片目が描かれていないキティちゃん達磨などもすでに販売されているのだろう。
いやいや、もはやキティちゃん神社やキティちゃん礼拝堂なども創設されているかもしれぬ。そこではキティちゃんおみくじが販売されている。もちろん、ふぁんしいな丸文字で、
「運気上昇とってもラッキー! 金運 お小遣いの使い過ぎはダメよ! 縁談 片思いの彼に思いきってアタック! 仕事運 試験直前の一夜漬けは身につかないゾ!」
などと書いてあるのだろう。
お盆などには信者が集まって、キティちゃん坊主の説教を聞くのだ。ピンクの袈裟を着た徳高い老僧が、
「はアーい、みんな元気にしてたかな?この世の中はね、いっさいが空なんだよー。」
などと有り難いお話をしてくれるのだ。
そして信者は死ぬとピンクのキティちゃん型のお墓に入るのだ。戒名は
「らぶりー愛ちゃん信女(はあと)享年24のとってもおしゃまだった女の子」
などと彫っているのだ。
キティちゃん墓地には他にも、ピンク色のキティちゃん卒塔婆やキティちゃん水子地蔵が並んでいる。それにしても、キティちゃん水子地蔵って、なんだか怖いな。
そして地方にも、キティちゃんは侵食の手を緩めない。東京名物のキティちゃん人形焼は前から知っていた。ところが久しぶりに帰省した岡山空港で、私は次のような看板を見たのだ。
「いま大人気!キティちゃんきび団子」
どうやらきび団子にキティちゃんの顔が刻印されており、爪楊枝はプラスチック製のキティちゃんピックとやらになっているらしい。
もはや観光資源はキティちゃんに蚕食されている。
きっと広島ではキティちゃんもみじ饅頭が売られているだろう。仙台ではキティちゃん笹かまぼこだろう。大阪には千成キティちゃん、名古屋では味噌煮込みキティちゃんだ。沖縄ではキティちゃんシーザーかもしれない。
そして、函館空港ではキティちゃん毛蟹が並んでいるに違いない。
毛蟹の甲羅がキティちゃんの顔のように見えるという、珍奇な毛蟹である。
北海道の漁師さんは代々獲れた毛蟹のうち、キティちゃんの顔のように見える蟹は哀れんで放してやった。このことが一種の進化的選択となり、段々とキティちゃんに似た毛蟹は数を増し、甲羅の模様もはっきりとして・・・・
そういえば、土産物の多くはキティちゃんの焼き印を饅頭なり蒲鉾なりに押したものである。もしもキティちゃん焼き印がSM愛好者の間でブームになったら・・・
証券会社に勤めるOL、A子。26歳。てきぱきと仕事をこなし、上司の信頼も厚い。スーツを着こなす長身の美人。しかし何故か夏でも肌を露出しない。その理由を後輩の男子社員Bは、ある時知ってしまった。ふとしたきっかけから行ったホテル。そこで見たA子の肌には無数のみみず腫れ。そして右の内腿にはキティちゃんの焼き印が・・・
Bは思わず口走った。
「牝犬奴隷というのは聞いたことあるが、牝猫奴隷とは初耳です」
A子はあっさりと返した。
「チーズの番をさせているのよ」