牛をめぐる冒険

 五反田の駅前通りに、なぜか松屋と吉野家が並んで店を出している。
 五反田に来るようになってまだ日が浅いので、どういう事情なのかわからない。まさか同時に開店したわけでもないだろうから、松屋(もしくは吉野家)の横に、強引に吉野家(もしくは松屋)が開店したのだろう。
 どういう事情でそのようなことになったのだろうか。共存共栄とは思えない。まさか米や牛肉の仕入れを共同にしてコストダウンを図っているわけではないだろう。だいいち吉野家も松屋も、食材は親会社がまとめて供給している。やはり嫌がらせなのだろうか。地元の顔役が調整したりできなかったのだろうか。五反田には風俗の店が多いので、きっと暴力団が棲みついていると思うのだが。地割りはテキヤの領域なので、専門外なのだろうか。

 ともあれ両店舗は意地の張り合いを続けている。店舗面積はほぼ互角、値段はもちろんほぼ同額。ネームバリューもほぼ同じ。となると、サービスが決め手となる、と両方の店長は考えた(のだろう)。この両店舗は、牛丼屋には珍しく接客サービスがきめこまかである。従業員はすこしでも手が空くと外に出て、
「はい、どうぞいらっしゃいませ、松屋にいらっしゃいませ。牛丼もカレーもございます」
「吉野家はただいま、奥のほうに席が空いてございます。どうぞいらっしゃいませ」
 と客の呼び込みを怠らない。客にとってはありがたいことだが、これで他店と同じ時給なら、従業員はたまらないよな。

 九月の声を聞くと同時に、両店の競争は新展開をむかえた。
 サービスも拮抗して決め手にならない、と判断した(と思われる)両店は、ついに価格戦争に突入した。
 まず先鞭をつけたのは松屋である。
 でかでかとポスターを貼って、吉野家を挑発するかのようにキャンペーンを開始した。
「松屋店舗三百店突破記念セール! 牛めし四百円を二百九十円に割り引き!」
 調べてみると、このキャンペーンは九月二十七日から開始となっている。五反田店のみの、明らかなフライングである。機を見るに敏な松屋五反田店店長が、「吉野家との戦争に決着をつけるのは、今しかない!」と松屋上層部を説得したのだろう(たぶん)。

 こうなれば吉野家も対抗せざるを得ない。こうなったら、十月から全国展開される「秋の百円引きセール」を前倒しする、と誰もが予想した。
 しかし、そうではなかった。それはできないのだ。吉野家には鉄の掟がある(かもしれない)。「全店舗同一価格、全店舗同一の味、全店舗同一のサービス」。この鉄則を破ったら、吉野家の原則は崩れてしまう。ひいては吉野家チェーン全体の崩壊につながる。それだけは許されない、と、吉野家D&Cの取締役は力説したのだろう(きっと)。
 この正論に、吉野家五反田店店長は泣く泣く引き下がるのやむなきに至ろうとした(らしい)。しかしここで、助け舟が現れた(可能性もある)。吉野家D&C営業部長である(おそらく)。確かに店による不公平は許されない。それは確かだ。しかしこのまま手をこまねいていては、松屋に客を大量に奪われるのは目に見えている。十月を待たずして、販売戦争に終止符を打たれてしまう。五反田を失ったら、恵比寿も危ない。品川だってどうなるかわからない。ひいては首都圏が松屋に制圧される事態も考えられる。それでいいのか? いまこそ吉野家の全精力を注いで、五反田を助けるべきではないか? と、営業部長は力説した(に違いない)。五反田店店長は、感泣した(んじゃないかな)。
 どちらの意見ももっともである。両論を充分に検討した結果、吉野家D&C統括本部長は、苦渋の選択をくだした(ものと推定される)。その結果、吉野家五反田店には、翌日からこのような幟が立つようになった。
「当店に限り、全品五十円引き!」

 現在のところ、両店の客はいまだにほぼ同数である。勢力は拮抗し、いずれに軍配をあげることもできない。十月に吉野家の百円引きキャンペーンが開始されたときには、松屋はどう出るのだろうか。やはり「当店に限り、二百九十円キャンペーン延長!」であろうか。それとも、「三百五店舗突破記念! 牛めし二百七十円セール!」であろうか。
 意地を張るのやめればいいのに。どっちも昼飯時には満員なんだからさ。
 客としてはありがたい話だが。

 ところで吉野家の隣にはタバコ屋があったのだが、先日その店が取り壊されていた。
 新しい店を建設するらしく、土台が作られ、工事の看板が立てられていた。
 案の定というか、いかにもというか、やはりというか、
「らんぷ亭 建設予定地」
 と書かれていた(と記憶しているが、妄想だったかもしれない)。


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