ギター弾きを見ませんか

 インターネット上で文章を公開する人は結構多い。
 私に匹敵するほどくだらない文章は滅多にないとはいえ、こことかこことかには有益な文章がある。ここなどはそういう読み物ページを集めた集合体である。

 そういう文章を読んでいると、作者には奇妙な共通点があることに気づく。まず、コンピュータを所持していること。まず、これは妥当なところだ。20代後半から30代前半の年齢であること。コンピュータに接し、しかも文章に親しいということでこの狭い年代に収まってしまうのかもしれない。

 そして、ロックギターを弾くこと。

 私はコンピュータを所持しているし、辛うじて30代前半である。ここまではネット文章仲間に入れてもらえるのだが、ギターは弾けない。弾けないという人だってE7コードとE24コードの単調な繰り返しで「無縁坂」などを弾き語りしたことくらいあるだろう。いや俺はそんなことできないという人だって、フォークギターを抱えて笑福亭鶴光の物真似で「冷蔵庫のようで冷蔵庫でない、べんべん」などとやったことはあるに違いない。私はそれすらできない。だいたいE24コードなんてあったか。

 しかし何故か私はギターを所持しておる。しかもエレキギターである。元本職のギタリストだった後輩から譲ってもらったもので、結構いいものかもしれない。余談だが彼は所属するロックバンドで「魔法の天使クリーミーマミ」の主題歌を次回公演で演奏しようと提案して仲間を憤激させ、バンドを追放され、「この悔しさは忘れはしない」と呟きながら1年間苦学して東京大学に合格したという嘘のような経歴の持ち主である。彼は今、ギターショップに特注して、アルフィーの高見沢が持っているという天使の羽の格好をしたギターを70万円で購入し、悦に入っている。そういう人生を送っている彼からせっかく譲り受けたものではあるが、私は弾けない。弾けないという段階以前である。私のギターは音を発することがないのだ。

 私は音楽に無知であるからして、ギターを譲ってくれた後輩に、これの電源コードはどこにあるのだ、と質問した。後輩は、そういうギターもあるがこれはそういうギターではない、アンプというものにつないで音を出すのだ、アンプに電源コードがあればそれでよい、と親切に諭してくれた。
 アンプとはステレオのアンプと同じか、と私は問うた。同じ、という意味が曖昧で答え難いが、ステレオのアンプでもラジカセでもよい、とにかく音を出すものに外部入力端子があればそれにつなげば音は出せる、そのためのコードを買えば良い、と後輩は答えた。
 あなただから念を押しておくが、と後輩は続けた。音を出すといっても目覚まし時計や電話機ではいけないのは言うまでもない、まあそれらにはもともと入力端子がないから大丈夫だろうが。

 なにが言うまでもないのか腑に落ちなかったが、とにかく私は早速コードを買いにいった。コードといってもいろいろあるものだ。こんな多様なコードがいったい必要でしょうか、と豪華な市役所の建設に反対する運動家のような呟きをもらしてしまったが、パソコンにRS232Cケーブルがあり、モジュラーケーブルがあり、プリンタケーブルがあり、SCSIケーブルがあり、それがハーフピッチとフルピッチに分かれており、オスとメスがあり、オスハーフでメスフル、オスメスハーフ、オスオスハーフ、メスメスフル、(こう書いていると何だかストリップショーのようだ)まあこんな具合に訳も分からず多品種のケーブルがあるのと同じような事情なのだろう。何だかよく分からないながら、ギターのある部分に差し込めそうな形のジャックが片方にあり、LR音声端子が逆の片方にあるコードを見つけ、購入した。ジャックが金色に光っていて気持ちいい。

 家へ帰って早速ラジカセの端子につなぎ、ギターを弾いてみた。弦を撫でてみたがなんの音もしない。いや、弦とまったく無関係に、ボウーというような音はしているのだが、これは音楽と呼べないだろう。音量が小さいのか、と私は推測し、ボリュームを最大に上げた。ボウーという音が大音量で流れた。私は驚愕した。

 驚愕してまた後輩に連絡し、善後策を乞うた。後輩は溜め息を吐き、ギター側のスイッチは入れているか、アンプの端子を間違えていないか、あなたのことだから聞いておくがまさか目覚し時計のどこかに無理矢理コードの端子を挿入しなかったか、などと策を授けてくれた。
 まさか、と私は答えた。考えるに、ギター本体に乾電池を入れるところがあるのではないか。何だかアンプに電気を通すだけで音が出るというのは、安直すぎる気がする。後輩はさらに大きな溜め息を吐き、今度そちらにお邪魔して調べてみましょう、それまでは決してそれ以上触らないでください、壊すでしょうから、と申し出た。

 それきりギターは放置してある。考えてみれば、発したとしても私はギターの技術をまったく有していないのだ。「ギター入門」というような本を1冊買っており、「Let it be」を練習しようと考えていたのだが、それが弾けたからどうだというのだ。ゆくゆくは鈴木キサブローのような演奏をしたい、それが達成できたらベースを購入して後藤次利みたいになるのだ、次利になってアイドルをたぶらかすのだ、との野望も抱いていたが、それが無謀であることに気づくのには数ヶ月しかかからなかった。

 それまでも私の音楽遍歴は多彩である。多彩だがすべてをまったく弾けぬまま放擲しているのが特徴である。筋肉少女帯の三柴江戸蔵に感激し、エレクトリック・ピアノというものを買ってきたが、練習をしようと買ってきた筋肉少女帯の譜面に、ピアノのパートがまったくないことに気づき、気力を失ってしまった。江戸蔵の脱退後の曲だったのだ。ウクレレを買ってきて牧伸二の物真似をやろうと決意したが、一緒に買った「ウクレレ入門」には、「いやんなっちゃった」の譜面がなかった。それに、このウクレレは、ギターの後輩に、「このウクレレは調律しても弦が伸びてすぐ狂います。不良品ですね」と捨てられてしまった。その後オカリナを買った。もちろん、「キャプテン・ハーロック」で少女がオカリナを吹く姿に、いたく感動したからだ。これも放棄した。オカリナはピアノやギターのように無音に調節して深夜練習することができないのだ。それに、中年男がオカリナを吹いていても、可憐と思ってくれる人は少ないだろう。せいぜい宗次郎と思われるのが落ちだ。って、宗次郎に失礼だ。「悪魔が来たりて笛を吹く」に感動し、フルートを購入せんと思ったこともあったが、何故か純金のフルートは通信販売では売っていない。ハーポ・マルクスに敬意を表して、ハープを購入しようと真剣に検討したこともあったが、その大きさと価格に断念した。だいたい、遠大な野望と無能な我が身のギャップに苦しむパターンが多いようだ。
 このようにして私の家には楽器と入門書が累々と溜まり、家の主はそのすべてを演奏することができない。

 いま、私は日本刀の購入を検討している。こちらのほうが操作が簡単そうだからだ。


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