探偵あれやこれや

「ううむ、困った」
 樫原はいきなり弱音を吐いた。

 彼は推理小説家だ。トリックやプロットを組み立てるのは得意で評判もいいのだが、いまひとつ人物造形が頼りない。マニア受けはいいのだが一般には受けない。従ってそれほど売れない。
「ここらで新しいシリーズを作りたいのだ。トリックはできている。粗筋は作った。だからね、ここで魅力的な名探偵に登場して欲しいのだ」

 キャラクターに困ると、彼はとりあえず友人を召集する。フルコースを餌に、今回引っかかったのは私というわけだ。
「要するに、変わった名探偵が欲しいわけだな」
 白ワインをゆっくりと飲みながら、私は答えた。今日の夕食は彼の奢りだ。急ぐことはない。カリフォルニアの白ワインは程良く冷え、喉を刺激する。やや酸味が勝った甘口。
「うむ、本の売れ行きは、まず名探偵で決まるからな」
 樫原は重々しくうなずくと、ワインを一気に飲み干した。
「あまり優秀すぎる名探偵はいかん。二枚目で金持ちで頭脳明晰というのでは、読者の反感しか買わない。何というのかな、推理力と引き替えに、大きなものを失っているような探偵がいいのだ」

「なるほど」
 スモークトサーモンの前菜をフォークで丸めながら、私は相づちを打った。
「ハンディキャップト探偵か。全盲の探偵というのはどうだ?」
「それは、もう何人も出ているよ」
「目は駄目か。耳が聞こえないのは?」
「ひじょうに有名な探偵がいるからねえ」
 彼は情けなさそうにつぶやくと、サーモンをフォークで突き刺した。
「目、耳が駄目か。聾唖者はどうだ? 手話で謎を解明する」
「ドラマや漫画ならともかく、それを小説でどう書けというのだ」
 やけを起こした彼は、フォークで丸め、団子になったサーモンをまとめて飲み込んだ。ああ、上等なのに。
「その程度なら、もう使われているのだ。身体障碍なら、車椅子の探偵も、凄いデブの探偵もいる」
「スケボー探偵というのは?」
「今さらケニー少年を誰が憶えているか」
 ボーイから皿を奪い取った彼は、ロブスターを甲羅ごとばりばりとかみ砕きながら叫んだ。
「両腕欠損でも両足欠損でも芋虫でも、そんなものはいくらでも書けるがね。ギャグにしかならんのだ。ちっとも名探偵じゃないのだ」

 ロブスターのグリルはありきたりの味だった。ロブスターというのはこういう画一的な味しかしないのかも知れない。美味いロブスター、というのを食ったことがない。ソースは美味いが。
「身体の障碍は駄目か。じゃあ、精神は?」
「頭がいっちゃってる奴の推理なんぞ、誰が読むものか」
 樫原はロブスターの鋏をふりかざしてわめいた。「『えへへへへへ、お前が犯人だ』なんて言って説得力があるか。馬鹿者。この店の代金、払わせるぞ」
 私は慌てた。この店はちょっと、私のような失業中の身では払えないほど高級なのだ。なんとか宥めなければ。
「いや、そこまで行かなくても。精神のちょっとした障碍とか、ノイローゼとか」
「その手もサイコホラーで散々使われているのでねえ」
 彼はいきなり元気を失い、しんみりとして呟いた。「ノイローゼの探偵も、ネオハードボイルドの定番なのだ」

「ううむ、困ったなあ」
 つい、樫原の最初の台詞を繰り返してしまった。
「考え得るパターンは、もう全部使われているんじゃないのか」
「そんな気がする」彼も弱気に呟いた。

 ボーイがコースのメインを持ってきた。Tボーンステーキだ。焦げ目からまだ赤い肉汁が沁み出し、褐色のソースとの取り合わせがいかにも美味そうだ。しかし懸案を解決しなければ、この肉を……肉……肉……死体……。
「そうだ、死んだ名探偵というのは?」
「最後に死ぬ名探偵はいくらでもいる」
 彼はすっかり弱気にぼやいた。
「いや、障碍を通り越して、最初から死んでいるんだ」
「どうやって推理しろというのだ」
「イタコだよ」
「イタコか」
 ちょっと興味を覚えて、樫原は確認するように復唱した。
「イタコがワトソン役を勤めれば一石二鳥だ」
「しかし、オカルトホラーにならんかねえ」
「そこは合理的な謎と推理で押し切ればよかろう。死んだ被害者に犯人を聞くとか、そういうアンフェアなことをしなければいいのではないか」
「ううむ」
 腕組みをして中空を睨む。そのまましばらく、樫原は考え込んでいた。こちらはその間に、美味しいお肉を冷めないうちに頂くとしよう。箸でちぎれるほど柔らかい、というのは、まさにこの肉のための形容だな。

「できそうだな」
 私が肉をすっかり食ってしまってから、彼は腕組みをほどき言った。
「ただ……、それ、誰か使っていないか」
「私が知るもんか」
 とりあえず今の私の興味は、探偵よりも、Tボーンとベストマッチの、このブルゴーニュの赤にあるのだ。


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