朝刊

 2015年ラグビーワールドカップは幕を閉じた。
 これまで7大会通算でも1勝をあげるのがやっとの日本チームが3勝をあげるという前代未聞の快進撃の嬉しさ、3勝1敗でも決勝リーグに進めなかったという、これも前代未聞の悔しさ、あれやこれやで、いささか頭がおかしくなってしまったファンも多い。
 これはそのような、いささか頭がおかしくなってしまった人間の話である。

 2019年のラグビーワールドカップは日本で開催される。
 アジアでは開催国でもあり、前回大会のグループリーグで3位だった日本は出場確定。残りの参加枠は1カ国と決められ、2016年よりアジア地区の予選が行われてきた。
 日本以外の強豪チームといえば韓国、香港。さらにフィリピン、台湾、スリランカ、カザフスタン、UAEもあなどりがたい実力者チームだが、ここに波乱が生じたのである。
 初参加のカンボジアチームが、あれよあれよという間に快進撃を続けたのである。
 クラス戦では初参加ということで最下位の3部リーグながら、無敗でみごとトップ。
 2部と3部のプレーオフでも、2部優勝のタイをみごと破って勝利。ついに1部リーグに進出した。
 1部リーグでも強豪カザフスタンに勝利し首位。ついに2018年のトップリーグに駒を進めた。
 トップリーグでは優勝候補本命の香港に敗れ、惜しくも2位。しかし大陸間プレーオフではカナダとナミビアを破り、みごとワールドカップ参加資格を手に入れたのである。

 2019年10月、東京の仮設新国立競技場は熱気に包まれていた。
 未知の強豪というよりは謎の強豪、カンボジアチームがついに初戦を迎えるのである。
「いよいよカンボジアが密林のヴェールを脱ぐときがやってきました。さてカンボジアチーム、これまでの予選の成績が示すように、アンコールワットのごとき壮麗な姿を現すのでありましょうか、それともとんだ一杯食わせものか」
 興奮気味のアナウンサーを抑えるように、解説者は冷静な口調で語る。
「なんといっても予選と本番では雰囲気もレベルも違います。日本ですらアジア予選では無敵の実力を誇りながらも、前回大会までは1勝21敗という苦渋を舐めたのですからね」
「カンボジアチームのメンバーで注目されるのはどこでしょうか」
「なんといっても、ほぼ全員をカンボジア生まれの純血で固めたところでしょうね。外国籍の選手は、ヘッドコーチ兼スタンドオフの選手でもある、ノロイ・タゴサクという日本人だけです」
「そのタゴサク選手、伝え聞くところによりますと、実質このチームのオーナーということですが」
「ええ、カンボジアにラグビー代表を作ることを政府に進言し、自費でスタジアム建設、選手の調達から育成、すべてをまかなったということです」
「そのノロイ・タゴサクという人物、どのような経歴なのでしょうか」
「よくわかっていませんね。清宮ワセダに憧れて入部を志すも、3回連続で入試に失敗して断念したとか、父親の膨大な遺産を相続し、トップリーグに参入を申し込んだが断られたとか、断片的な噂だけ流れている、というのが実情です」
「選手としてのプレースタイルはどうなのでしょうか」
「それもよくわかりませんね。165センチ65キロ、はっきりいって平凡というか素人なみの体格です。足も速いわけではない。日本女子ラグビー選手と親善試合したとき、一緒に50メートルダッシュしたら最下位だったそうです。タックルが強いわけでもない。謎です」
「さていよいよ試合開始です。謎のカンボジアチーム、強豪イングランドと激突です」
「イングランドは前回大会で決勝リーグに進めなかった屈辱で、大幅な戦力強化を行いましたからね。ニュージーランド、オーストラリアと並んで今大会三強といっていいかと思います」
「カンボジアの注目選手、ノロイ・タゴサクのキックオフで試合開始です。……あ、ぜんぜん飛ばない」
「ちょっとキック力もお粗末過ぎますね。しかしイングランドも、まさか10メートルも飛ばないとは思わなかったのでしょう、選手がだれもいません」
 フィールドの真空地帯のように誰もいない空間をころころと転がるボールを、カンボジアのスクラムハーフが拾って、ひょこひょこと駆けはじめた。
 一瞬、虚を突かれたイングランドだったが、すぐさま気を取り直し、矢のように突進する。しかしカンボジア選手は2倍、いや3倍もある体重の巨漢連中のタックルを、ひょいひょいとウナギのようにすり抜け、隣を走る仲間にパス。ボールを受けた左ウイングも、鉄壁のイングランド防御網をあっけなくかいくぐり、そのまま相手ゴールにとびこんだ。
 信じがたい展開にあっけにとられ、スタジアムに流れた沈黙を、ようやくアナウンサーが破った。
「あ……ありのまま、今起こったことを申し上げますが、何を言っていいのか、私も何が起こったのか、よくわからなかったというか、なにか恐ろしいものの片鱗を感じたと申しますか……」
「今トライを決めた、左ウイングのキュー・サムファン選手、それからスクラムハーフのサロト・サル選手ですが、どちらも学歴は小学校中退。アンコールワットで観光客から二人組でかっぱらいしていたところ、タゴサク選手にスカウトされてラグビーを始めたという変り種です」
「ううむ、そんな素人に毛の生えたような選手が、世界に通用するものなのでしょうか」
「カンボジア選手のフィジカルは特異ですね。普通のタックル封じとはまったく異なる身体の動きです。これもあくまで噂ですが、タゴサクヘッドコーチが、日本の合気道に落語の「素人鰻」を加味して選手をおしえたとか」
「そのタゴサク選手、難しい角度のコンバージョンも決めて、7−0でリードです。どうやらタゴサク選手、キックは10メートルしか飛ばないようですが、その範囲内でのコントロールは絶妙のようです」
 その後、イングランドの選手は試合を逆転すべく、全力を挙げてカンボジア選手に襲いかかったが、うまくいかなかった。
 なにしろカンボジアの選手は、落ちてるボールはどこからともなく現れて拾う、イングランド選手が持つボールはタックルするわけでもないがいつのまにか奪う、イングランドの俊足選手がいくら追っても追いつけない、つかまえようとしてもウナギのようにすりぬける。ついにそのまま、ノーサイドを迎える。
「奇跡です、これは奇跡といっても過言ではありません。初出場の急造チームが、世界トップレベルの強豪を完封し、7−0での勝利です」
「カンボジア旋風の予感がしますね。次の試合がほんとうに楽しみです」

 しかし、一週間後の試合で、カンボジアはトンガに0−72と大敗。続くジンバブエにも0−120、フィジーに0−82と完敗し、あえなく予選敗退した。
 試合後、カンボジアチームのキャプテン、キュー・サムファン選手は、次のように語った。
「おらたち、でっかい白人から財布を奪って逃げたり、カンボジアの警官に追っかけられて逃げるのには慣れてるだ。けんど、黒人に追っかけられんのは初めてで、どうしていいかわからなくなっちまっただよ」


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