サイト進化論

 SNS型サイトやブログサイトと個人サイトは両立可能なのかに関して考えてみました。
 とはいっても私が知っているSNSはMixiのみ、ブログサイトははてな(つーか他のブログサイトと区別がつかない)、個人サイトは一部の雑文・日記・ニュースサイトなので、まあどっちにしろ個人的な結論しか出てこないとは思います。

 私の知人でMixiにアドレス、もしくは個人サイトを持っていた人について考えると、大きく3つに分けられます。
1.Mixiのみ活動の人。
 これは問答無用で、個人サイトを持たず、Mixi日記やレビューのみ書き、ネット活動はマイミクとのつきあいに限られる人。
2.個人サイトのみ活動の人。
 これも問答無用ですね。Mixiのような新参には心惑わされず、昔から持っていた自分のサイトで日記や雑文を淡々と更新する人。
3.両方で活動する人。
 これはさらに、3つのタイプに割れます。
1)Mixiに活動拠点を移し、自分のサイトは立ち枯れている人。
 こういう人もいます。自分のサイトは放置したり消したりして、ひたすらMixiにすべてを捧げる人。Mixiがなくなったらどうするんだとちょっと心配になったりします。アイスさんも小助さんも、雑文にはもう未練はないですか。
2)自分のサイトを中心に活動し、Mixiは友人とのマイミクのみ保有している人。
 こういう人も結構多いです。つきあいでMixiに登録だけして、自分では何も書かない人。
 ほんとに何もしない人と、他人にコメントのみつける人がいます。
3)両方で活動する人。
4)両方で活動しない人。
 茶川さんいったいどこいっちゃったんですか(泣)。

 まあ、4)は問題外として、1)はほぼ1.と同じ、2)はほぼ2.と同じと考えると、両方で活動する人は、この3.3)に限られますね。
 その場合でも、両方での付き合い方に、いろいろなパターンがあるような気がします。
3−1)読者層を使い分ける人
 つまりマイミクむけのメッセージはMixiに書き、不特定多数に対する文章は自サイトに書く場合ですね。
 参加しているコミュニティに関連した文章のみMixiに書く場合もあります。
3−2)内容を使い分ける人
 たとえば自サイトでもともと日記をもたず、雑文は自サイト、日記はMixiなどという書き分けをする場合。
 また日記でも、ニュースや食べ歩き等、特殊な内容のみMixiに書き、それ以外は自サイトに書く場合。
 これにちょっと似ていますが、文章は自サイトに書いて、そのリンクのみをMixiに貼る人もいます。これはちょっと、読む側としてはめんどくさい。
 長文だと自サイト+リンク、短文はMixi、って人もいます。
 またMixiの画像の貼りやすさを利用し、画像を挿入したい文章のみMixiに書く、という人もいます。
 さらにマイミクへの遠慮なのでしょうか強制脱会への配慮でしょうか、おとなしい内容はMixiに書き、自サイトでちんぽまんこべっちょおそそと絶叫している人もいます。歳三さん、もっと自分を解き放ちましょうよ。
3−3)媒体で使い分ける人
 携帯電話からの更新はMixi、自宅パソコンで書いたものは自サイト、という書き分けも、意外と多いようです。あるいはネットカフェからMixiを更新するなど、外からの使い勝手のよさを利用している人が多いようです。
 旅日記などでは、旅先からリアルタイムに更新できるので便利なようですね。
3−4)使い分けない人
 いないことはないです。心配しちゃうくらい、どういう基準で書き分けてるんだかまるでわからない人。
 本人なりの考えがある場合と、ホントに何も考えていない場合がありそうです。

 数年前にはブログというものが誕生し、これはデザインをとくに考えなくても、勝手に日記の形態にしてくれる簡便さがうけて普及しました。さらにトラックバック、コメントという機能で交流が可能になったことが大きいですね。
 SNSは、ブログがさらに進化した形ととらえることもできるのではないかと思います。日記の書きやすさ、画像の挿入しやすさ、コメントのつけやすさといった機能に加えて、マイミクという形での人的交流の場を与えた、ブログに比べても交流をより濃密に目に見える形にした、ということが大きいのですね。
 そしてこう交流が濃密になってくると、自サイトでやっていると不安になってきますね。グルーピングの中に入れないと不安になる。反応もない。書いたものに反応がないと、おもしろいのやらつまらないのやら、感心されてるんだか馬鹿にされてるんだかまったくわからない。
 昔はそれが当たり前だったんですが、ブログやSNSじゃ、それが当たり前じゃない。
 たまに掲示板や他人のサイトで言及されると、狂喜乱舞したりします。
 昔はそれが当然で、オレが面白いと思って書いてるんだから他人がどう読んでいるかはどうでもいい、と言い切れたことが、なんだか言い切りにくいご時勢になってきたようで。いや、単にそれは自分の老齢化か。


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