アルコール・ラブコール

 これまでこのサイトで何回か書いてきたことだが、私はアルコール依存症、俗に言うアルコール中毒の疾患を抱えている。そのため、おおっぴらには酒は飲まないことになっている。ええと、今年に入って飲酒したのは3回だったかな。いえ嘘です。1回たりとも飲んでいません先生。自助努力しています先生。だから見捨てないでください先生。

 アルコール依存症になって気づいたことだが、アルコール依存症と飲酒量はあまり関係がない。たとえば横山大観という画家は、90過ぎて老衰死するまで、一日に3升の日本酒をかかさず呑んでいたが、午前中は絵を描く時間と決めて酒を飲まず、酔って筆をとることは絶対になかったという。こういう人は、アルコール依存症ではない。
 酔態や幻覚症状も、そんなに関係がないらしい。酔って他人にからんだり喧嘩をふっかけたりというのは、問題行動ではあるが、それだけでアルコール依存症と決めることはできない。私の先輩の成瀬鰹(仮名)という映画監督兼脚本家は、学生時代酒を飲むと、「よし、これから猟奇に走るぞ」と宣言して、同好会の人間をかき集めて大学の寮から代々木公園まで首のもげたリカちゃん人形を抱えて走ったり、「映画のためにどうしても必要だから」と繊細なことで知られる某先輩を河原で裸にして踊らせたりしていたというが、アルコール依存症ではないらしい。
 また、私の知人高偽浩美(仮名)という編集者は、部屋の中で桜が満開の光景を見たり、酒場で管弦楽団が行進している光景を見たり、呑んだ帰りにホームレスのホモが近所の公園に集まって無精髭をじょりじょりしながら愛撫し続けている光景を見たりしたそうだが、アルコール依存症ではないらしい。一部は実際にあったことも含むのではないかと推察されるので、ますますアルコール依存症ではない。

 アルコール依存症の決め手は、ひたすら、飲酒を自分でコントロールできるかどうか、で判断される。たとえば明日は朝から会社、いま午前2時だから、明日にひびくのでこのへんで呑むのはやめとこう、と決め、実行できるかどうかどうか。これである。
 私はこれができなかった。晩酌にはじまり寝酒となり、朝まで眠れずに呑み続け、8時過ぎに会社に「体調悪いので休みます」とか嘘の電話をして、さあこれで今日は暇になったとあらためて呑み続けるのである。こういうのを連続飲酒という。ついでにいうと、そういうのは暇になったとはいわない。
 こういう人は、たとえトータルで日本酒5合しか飲んでいなくても、黙々とおとなしく呑み続けていて、暴れず騒がず、せいぜい床を地虫がのたくり、一部が足から腕まで這い登ってくるのが見える程度であっても、立派なアルコール依存症である。

 アルコール依存症を治療する手段は、残念ながら断酒しかない。将来は、アルコール依存遺伝子なるものや、アルコール依存脳神経回路なるものが発見され、遺伝子治療か薬物治療により連続飲酒をなくす方法が開発されるかもしれないが、今のところは断酒しかない。今後一切、きっぱり酒をやめる以外にないのである。
 3年間呑んでなかったから、もう大丈夫だろうと飲酒を再開すると、確実に元の木阿弥になる。一度は数杯呑んでさっと切りあげることに成功しても、その成功に味を占めて何回か繰り返すうちに、ずぶずぶと酒びたりになり、必ず連続飲酒の罠に落ちこむのである。
 禁酒していた人が誘惑に負けて飲酒してしまうことをスリップと呼ぶ。まさに自動車のスリップと同じで、そのときには幸運にも途中でブレーキがかかった、そのときは幸運にも後続車がなかった、そのときには幸運にも対向車がなかった、等の理由で大丈夫だったかもしれない。しかし、何回か繰り返すうちに間違いなく大惨事を招くのである。すいませんスリップしてませんから見捨てないでください先生。
 むろんこれは経験則である。経験則ではあるが、いままで数多くの患者が試してみて、必ず辿ることになった例外なき経験則である。あなたが初の例外となり、アルコール治療史上初の、ノーベル医学賞クラスの症例となる栄光を夢見るのは勝手だが、まあ、あきらめたほうが賢明である。だからあきらめないで治療してください先生。

 とはいっても人間は弱いもので、入院している患者同士で病気自慢をするのと同じように、アルコール依存症を克服すべく、これまでの悲惨な飲酒体験を語り合って自戒しあうAA(アルコーリック・アノニマスの略。アル中友の会みたいなもの)でも、いつしか悲惨な体験自慢のようなことになるのが通例である。
「あたしはタクシーの運転手でしたが、飲みすぎでハンドルが震えるようになっちゃいましてね。それでも無理して運転してたら、ハンドルを切り損ねて対向車と正面衝突、意識不明で病院にかつぎこまれちゃって。幸運にも一命はとりとめましたが、外科病院から久里浜送り」
「あなたなんぞまだ罪が軽い。私は酒癖が悪くてね、呑むとあたりかまわず喧嘩をふっかけるんです。ヤクザにぼこぼこにされて病院送りになりましたが、それでも酒をやめられなくてね。今度は隣で呑んでいた若いやつを殴ったら、当たりどころが悪くて意識不明の重態。殺人未遂で逮捕、傷害罪に軽減されましたが、ムショから久里浜送り」
「私は罪の深い女です。夫に隠れてキッチンドランカーとなり、酒が一日中切れるときがありませんでした。そのとき生まれていた乳児には酒臭い母乳を飲ませていたのです。そのうち育児がいやになり、酒を飲んでは泣く子を殴る蹴る、とうとう近所の人に知られるようになり、虐待で子供は養護施設に、私は刑務所から久里浜送り」
 どうやらアルコール依存症の人にとって、久里浜とはムショよりも恐ろしいところであるらしい。こういう会合で「久里浜」という単語が出たとたん、全員がびくっと身を震わせる。地獄のようなところなのだろうか。
 また「久里浜帰り」の人は、久里浜に行ったことのない人よりも自慢できるようなのである。ヤクザにおける抗争、懲役のようなものだろうか。
 ひょっとすると久里浜は、日本における網走、アメリカにおけるアルカトラズ、フランスにおけるガレー船、スペインにおける異端審問所のようなところであろうか。もう呑みませんから久里浜には送らないでください先生。

こういうムショ帰り、いや久里浜帰りの豪傑やツワモノに比べると、私は情けないくらい貧弱な飲酒体験しか持っていない。そのせいでどうも、AAには行きづらくなってしまった。
 他人から見ると私はしごく穏やかな酒呑みであるらしい。酒場でも特に騒ぐことも暴れることもなく、にこにこと機嫌よく座って酒を呑んでいて、せいぜいカラオケで踊るくらいなものだ。家では何か食いながら本を読みながらという、いわゆるながら飲酒で、これもひたすら呑んでいるだけで、わめくわけでも大小便を漏らすわけでもない。せいぜい酒呑みながら阪神の試合を見ていて、怒りのあまりテレビやラジオに破壊行為を働くくらいで、それも阪神が9割方悪いのだ。岡田監督が8割5分悪い。だから久里浜だけはカンベンしてください先生。
 ただ、飲み終わるということができない。さきほど例に出した高偽浩美(仮名)は、シラフでも酔っ払っているのかというくらいの適当人生の衝動人生で暴言吐きだが、ひとつだけ感心していることがある。さんざん呑んで家に帰っても、家で呑みなおししないのだ。
 私だったら帰りのコンビニで焼酎かウィスキーを買い、間違いなく家で呑みなおす。そしてずぶずぶと呑み続け、連続飲酒になるのだ。
 もっとも高偽浩美(仮名)はいちど呑みはじめると家に1週間帰らないくらいはザラであるので、これはこれで連続飲酒なんではないかと私は愚考する。この人はいちど久里浜に放り込んでみてください面白いから先生。


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