朝も遅くなってから、ようやく目が覚めた。妙な倦怠感がある。いやな夢を見たような記憶が、おぼろにある。
起き上がるのに骨が折れるほど、疲れていた。最近はずっとそうだ。口の中が生臭くにちゃつく。
そう、夢だ。私は次第に、夢の記憶をたぐり寄せていった。
たしか私は荒野を駆けまわっていた。爽快感があった。起きているときには、ここ最近ほとんどない爽快感だ。
しかしそのあと、人間がいて……怒りとも、欲望ともとれるような凶暴な衝動を感じ、……襲いかかり、倒し……そのあとは覚えていない。なんだかいやな後味の夢だった。
苦労して立ち上がり、洗面台にむかった。
顔を洗い、口をゆすごうとしたのだが……蛇口に寄せた自分の手を見て、私は驚いた。
なんだ、この手は。
ところどころに泥がこびりついている。
まるで四つ足で、野外を駆け回ったかのように。
そして爪の中に残っているものはなんだ。
乾いた血……血だ、血にまみれていたんだ。この手は。
私は気を取り直して、入念に手を洗い、血をすっかり洗い流した。
顔を洗って、口をゆすいだのだが、なぜ、吐きだした水が、こんなにも赤いのだろう。
口の中までも血であふれていたというのか。
疲れきっているせいか、食欲はまるでない。
私は寝床に戻り、本を読もうとしたが、いつしか、うとうととまどろんでいた。
それから何時間もたっただろうか。
家の者が隣の部屋で会話している。
「そうなの……昨夜も……出ていって」
どうやら私は、自分でも記憶のないままに、外出していたらしい。
そこで何をしていたのだろうか。
あの泥まみれ、血まみれの手と、血に染まった歯は、外出と関係があるのだろうか。
私が起き上がる気配を感じたらしく、会話の声は、急に小さくなった。
「狼人」
囁くような会話の中に、たしかにそんな言葉が、聞こえてきた。
私のことだろうか。
狼人。狼男。ウェアウルフ。ル・ガルー。
普段は人間の姿だが、満月の夜になると狼に変身するという怪物。
狼の姿で夜の闇を馳せ、人間に襲いかかり、喉笛に食いつき、ひきちぎり、むさぼり食らうという妖怪。
人間の姿に戻ったときには、狼でいたときの記憶をなくしているというモンスター。
まさか私が、それだというのか。
そんなはずがない。そんな、馬鹿なことがあるはずがない。
しかし……昨夜は、なにをしていたのか。まるで覚えていない。
思い出そうとすると、頭が痛む。
まさか、あのおぞましい夢の通りに……まさか。そんなはずがない。
私はカーテンを上げ、窓を開けた。
新鮮な外気を吸って、すこしでも気分をすっきりさせたかったのだ。
しかし外気は蒸し暑く、澱んでいた。
太陽はすでに西に没しようとしている。
もう夜になろうとしている。
この1日、私は何をしていたのだ。
目覚めたのが遅かったのか、それともまどろんでいた時間が思ったより長かったとでもいうのか。
太陽が西に没するのとほぼ同時に、満月が東から昇ってきた。
血にまみれたような、まがまがしい赤い満月が。
満月を見つめているうちに、私の中から、わけのわからない衝動がこみあげてくるのを感じた。
五体に力がみなぎるような感覚を覚えた。
そして激しい飢餓感が襲ってくるとともに、私は自分でも意識しないうちに、叫び声をあげていた。
「マサ子さん、ごはんはまだかのう」
「またですかおじいちゃん、さっき食べさせてあげたばっかりじゃないの」