☆ジュンのパステル学園☆

「えぇっ、うそぉーーっ!!」
 あたし思わず大声出しちゃったの。
 だって、あの憧れの鷹羽先輩が停学処分だなんて。
 それも他の学校の生徒とケンカしたなんて、ゼッタイ信じられない!
 大ショック!!!

* * *

 あたしは癇癪を起こして早速教頭のところに乗り込んだ。教頭は要件を予め知っていたらしく、にやにや笑いながら鷹羽君の停学の件ですかと云う。解っているなら話が早い。このような処分は片手落ちで篦棒で大馬鹿野郎だと云ってやったが、相変わらずにやにやと笑いながら、さはさりながら目撃者もいることだし処分を変えることは出来かねる、と云いやがった。こんな狸と長談判しても始まらない。あたしは教頭室を飛び出ると鷹羽先輩の元へ急いだ。

* * *

 鷹羽先輩は屋上にいた。停学処分になったことなど知らないように、ゆうゆうと日なたぼっこしながら、こくりこくりと舟をこいでいる。
「まあ、あきれた」
 あたしは先輩の背中をどやしてやった。
「あんた、停学処分なんでしょ? もっとこう、怒るとか悲しむとか、職員室にどなりこむとか、やりようがあるでしょ」
「気にさわったらかんにんしておくれ。どうもわたしは太平楽なたちで、どうもそういうのは苦手だ」
 先輩はのんびりと言い訳をしながら、にこりと笑ってみせる。

* * *

 そのときの先輩の目を見て、ああ、このひとは、ほんとうの人だ、と、あたしは確信しました。だれがなんと言おうが、あたしはこのひとを信じる。そう、決心しました。
「どうしたんだい?」
 うれしさで胸が熱くなり、あたしは、思わず涙を流していたらしいのです。ごしごしと目をこすり、あたしは
「いいえ、別に」
 というのがやっとでした。
 そのときちらと、あたしは、見たのです。先輩の学生服のポケットから、封筒がこぼれ落ちるのを。
 先輩にわからないよう、こっそりと、封筒を拾いました。
 毛筆で大きく、「果たし状」と書いてありました。

* * *

「果たし合い」
 とは、学生同士が余人をまじえずに闘うことをいう。
 基本的には一対一の
「タイマン」
 が男らしい闘いとされているが、当節、そのような風儀はよほど崩れている。
 油断をすれば伏兵に取り囲まれ、打ち物で打ち据えられ、
「ボコられる」
 そんな時代である。
 あたしは先輩の身を案じ、ひそかに果たし状の地にむかった。
 日光街道千住新橋下ル荒川沿い河原。
 時限は巳ノ刻。
 この身を死地へ送る以外に、余念はなかった。

* * *

 そこで実に思いがけないことなのだが、あたしは学生服の数人の男につかまってしまった。男たちはなにやら愚かしげに興奮し、あたしを拳で脅しにかかった。
「じっとしていろ」いきりたって男たちは叫んだ。「逃げようとするとこれだぞ!」
「あんたたち、それじゃ最初から待ち伏せして……あの人を罠にはめて……大勢で殺そうというんだね! 卑劣漢! 卑劣漢!」あたしは興奮して叫んだ。
「失礼だが、あんたが俺たちの縄張りに勝手に飛び込んできたんだ。……こちらも勝手にさせてもらう」
 ひときわ大きな男が、のっそりと姿を現した。こいつがボスらしい。
「卑怯な手をつかって勝って、それで満足なの? それで心の平安が得られるというの?!」あたしは熱狂して叫んだ。「その勝ち方で、復活の日に神のみ前で、疚しいことはない、神のみ心のままに生きてきた、と言い切れるというの?」
「鷹羽は神のみ心にそむいていないのか?」大男はせせら笑った。「果たし状を受けた時点で、神の与えた平安に逆らっているんじゃないのか?」大男は不意に激したようだった。「そう、いつも主人公はそうだ! すべてを俺たちに押しつけて、輝くばかりの清浄さで神のみ元に跪く! 俺はどうなるんだ? ザコはザコの地獄に堕ちろってわけか?へへん、そうはいくもんか!」

* * *

 鷹羽先輩はひとり、河原にやってきた。
 棒杭にくくりつけられたあたしに気づいたのか、その足どりは半アーンほど速くなった。
 緊張に耐えきれなくなったのだろう、草むらにひそんでいた手下のひとりが、棒きれを振り回しながら襲ってきた。
 先輩はその脇腹に一撃を与え、すばやく防御の姿勢に戻った。
 訓練された剣士の基本的な動作だ。
 さらに数人の男が飛びかかってきたが、すべての男が、自分の未熟さの代価を支払うことになった。
 これで闘いの主導権は先輩が握った。しかし、まだ隠れている男たちが五人、ボスも無傷である。
 先輩はゆっくりとあたしへ向かってきた。
「挨拶する、ジュン」
 鷹羽先輩はあたしにいった。
 あたしはもがいて、危険が迫っていることを告げようとした。
 先輩は素知らぬふりで、あたしの口に詰め込まれたスカーフを確認した。
「なるほど、お前のお喋りを止める方法を、ようやく発明した者がいるとみえる」

* * *

 勝利というものは畢竟相対的なものである。ある局面で勝利であったものが次の局面では敗北となる。十年の長きにわたって続き、数多の英雄が命を落としたトロイア戦争でも、勝利者が得たものは、スパルタ王メネラオスが嫁を取り戻したに過ぎなかった――しかし、これ以上に何を望めようか?

* * *

ボス おお、鷹羽よ、みずから破滅を急ぎ、その身を粗末にする男よ。
鷹羽 蝮め、死肉をくらう犬め、極悪非道の罪人め! 女を人質にして勝利を得て、それが名誉か! 栄冠か!
あたし おお、ふたりともやめてください。殿方が些細なことで争うのを見るのは、女にはつらい。
ボス われらが覇権を賭けた争いを、些細なことと言うのか! この淫売!
あたし ええ、ええ、何度でも申します。些細なことだと。男の意地、男の面子、それが何でありましょう。しょせんは日の中で消えてゆく陽炎、はかないものではありませんか。
鷹羽 女、すこし口が過ぎる。 ……どうであろう、この女を放せ。そのうえで男の勝負をしようではないか。
ボス おじけづいたか鷹羽。まずは勝負だ。

* * *

 とつぜん襲ってきた激流によって、ボスも、残された伏兵も、すべてが呑み込まれていった。
 鷹羽先輩はあたしを縛りつけた棒杭を、どうにかして掴もうと腕を伸ばしてくる。濁流はますます強く流れ、あたしも鷹羽先輩も、ほとんど水に押し流されそうだ。
「ジュン」先輩は叫んだ。「何とかして……」
「ずっと待っていたの」
 あたしは腕をのばし、先輩の体を一瞬強く抱きしめた。
「ぎゅっと抱いて、先輩。あたしたち、今やっといっしょになれたんじゃないの」
「ねえ、その縄がほどけたらいいんだけど……」
 あたしはほほえみ、先輩にささやいた。
「悲しまないで……今このときが永遠なのよ……誰にもこわせはしない……」
 先輩はあたしに口づけをした。
「そうだね、ジュン。もう二度ときみを離さない」
 そのとき、波があたしたちに打ちよせてきた。先輩はあたしをかかえて、いっしょに逃げようとしたが、水はあたしたちふたりを引き離してしまった。あたしを乗せた棒杭はくるくると回り、狂ったようにあたしに近づこうとする先輩の姿が一瞬だけ見えたが、それも波に隠されてしまった。

* * *

「この事故は教頭によって、入念に仕組まれた犯罪だったのですよ」
 耕助は事件後の放心状態から自分をひきもどすかのように、しきりに頭をかきながら言ってのけた。
「と、おいいんさると、あの洪水は……」
「ええ、教頭が上流の河口堰を切ったのです。教頭の使った手ぬぐいが現場に残っていましたよ」
「しかし、なんだってそげえなことを……」
「教頭は学園が荒れていることを前から憂慮していました。そこへ起こったのが鷹羽君の喧嘩事件です。教頭は鷹羽君を停学処分としてことをわざと荒立て、同時に鷹羽君とボスの両方に果たし状をおくりつけた」
「ははあ、あの果たし状は毛筆でやけに達筆だと思うちょったが、教頭のものじゃったか」
「そして、問題児をみな河原に集め、全員を殺したちゅうわけですな」
「そうです」
 耕助はしんみりと言った。
「教頭の学園を思う心は正しかった。しかし、やったことが悪かった。教頭はかわいそうな人間だった……そう、ぼくは思います」

* * *

 武蔵国は千住に一妖有り。六七年前千住新橋を数人の学生通るに、橋の下に美女ありて手招きす。橋の下に随いて行くと女の背丈俄に三丈に伸ぶ。肝を潰して逃げんとすに、逃ぐるな逃ぐるな、逃ぐればやるぞ、と女叫ぶ。ひとりの男やらばやれと叫ぶや否や、俄に激流起こりて学生皆溺死す。この女、河童と語る故老あれば、嘗て人柱となりし女性の怨念と語る故老もあり。

参考文献
 アイス牛男爵「☆ジュンのパステル日記☆」
 夏目漱石「坊つちゃん」
 山手樹一郎「はだか大名」
 太宰治「女生徒」
 司馬遼太郎「国盗り物語」
 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
 ジョン・ノーマン「ゴルの襲撃者」
 芥川龍之介「侏儒の言葉」
 シェイクスピア「オセロ」
 ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」
 横溝正史「悪魔の手毬唄」
 柳田国男「遠野物語」


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