酒を讃むる歌

 どないもならん状況というのはあるもんで、そういうときはどないもならん。何をやっても無駄だ。役にも立たん努力をするよりは、濁り酒でも一杯やって酔っぱらっていたほうがいい。だいいちそのほうが楽しい。一杯が二杯になり、何杯飲んだかわからんようになる頃には、状況なんかどうでもええわい、という気分になる。どないもならん状況に安住する気分になったらしめたもので、その先どこまで堕ちぶれても気にならなくなる。
 そもそもこの九州に来たくて来たのではない。左遷されたのだ。奈良の都から九州の太宰府へ飛ばされたのは、自慢するわけではないが俺が有能だったからだ。戦もうまいし租税の取り立てもそつがない。民情に通じているし学もある。こんな俺を都に置いていたらどんどん昇進してしまうので、藤原の一族が俺を追放したのだ。
 まあ左遷されてもけっこう居心地がいい。なにしろ太宰府帥といえば長官だ。いちばん偉いのだ。あの大伴一族の長者だというので、みな大事にしてくれる。気分がいい。都で藤原どもの顔色を窺っているより、ずっと精神衛生によい。九州はなかなかいいところだ。九州の男はちょっとばかだが真面目で力持ちだ。九州の娘はちょっと毛深いがなかなか可愛い。景色もいい。ダイエーは阪神と違って強い。いや、この時代にはまだダイエーはなかった。

 ちなみに後世の菅原道真が太宰府に流されたのが有名なので、太宰府というと流罪人が行くところと思っている人が多いが、ああいう罪人と俺とはぜんぜん違う。菅原道真とか源高明とか藤原伊周とか、高官で罪に問われた人間が太宰府に流されることはあるが、そういう場合は「員外の権帥」ということで、普通の帥(長官)や権帥(副長官)とは辞令が違う。「太宰府の役所には入らないように」という但し書きつきで、太宰府の外の屋敷にずっと幽閉されるのだ。俺の場合は左遷ではあるが罪人ではないので、ちゃんと太宰府の役所で政治をとりおこなうし中国からの使節も面会するし軍隊を動かす権限もある。げんに俺は太宰府の防人を動員して、隼人の反乱を鎮圧した。俺の後に太宰府に来て反乱を起こした藤原広嗣だとか、だいぶ後に刀伊の襲来を撃退した藤原隆家だとかも、ちゃんと実権のある左遷組だ。左遷組と流罪組では、同じ役職でもまったく違うのだ。

 太宰府に来たからといっても、そんなに仕事はない。戦争でもない限り、長官はぼやーっと部下の仕事の進行を見ているだけでいい。だいいち、あまりバリバリ仕事をしたら、また藤原の連中に睨まれてしまう。
 というわけで、することもなく飲んでいる。もっとも濁り酒ではない。中国は唐から輸入した、パイカルとかいう透明な酒だ。透明で辛口で、口に含むと柑橘系のつんとした香りがする。このころの日本ではまだアルコール度数の少ないどぶろくみたいな酒しか造れなかったが、中国はさすが先進国で、いろんな旨い酒がある。九州にいると楽しいのは、酒と魚が旨いことだ。筑紫沖でとれた、頭の中で百人の娘が踊れるくらい大きな鯨の尾の身をざっと炙り、脂がしたたるようなやつを輸入のきつい酒で流し込む。これだけは奈良にいては味わえない。

「また飲んでまんのか」
「おお、ええ所へ来た。どうや一杯」
 山上憶良が覗きにきた。こいつも俺と同じ左遷組だ。遣唐使で中国生活の経験もある。漢詩も和歌もうまい。儒学の教養もある。当時最高のインテリなんだが、とにかく家柄が悪いので出世できず、筑前守として俺の下にいる。いってみれば俺が九州長官で、憶良が福岡県知事といったところか。
「飲んでもええけど、大将は泣き上戸やからなあ」
「なに言うとんねん。シラフで偉そうなこと言うくらいなら、酔っぱらって泣いてる方がマシや。おまえこそ歌を詠むと泣き言ばっかりのくせに」
 この憶良、インテリの通弊なのか、どうにも愚痴が多いのだ。

「いやもう、泣き言のひとつも言いたくなりまっせ。ホンマ、藤原の連中ときたら」
 憶良はうまそうに輸入酒を飲み干すと、さっそく愚痴をはじめた。
「田んぼの私有化がどんどん進む、凶作で百姓どもがどんどん飢え死にする、疫病ははやる、蝦夷や隼人は反乱する、新羅は唐をバックに偉そうにしてくる、もっと北では渤海なんたらいう妙な国ができよる、こんな多事多難な情勢やっちゅうのに、藤原の連中はなーんも考えとらん。のほほんと奈良の都で偉そうな顔しとるだけや。なんもせんどころか、国有地をどんどん藤原の荘園にしやがる。あいつら、泥棒でっせ」
「ほんまやなあ。あいつら、今ごろも都で偉そうなこと言いくさっとんのやろなあ。こんな旨い酒も飲まんと、猿みたいな顔しくさって」
 俺も藤原一族には恨みがある。
「わしら大伴もなあ。物部や蘇我やっちゅう大物を倒して、いよいよ大伴の天下かと思ったら、蘇我の奴隷やった中臣たらちゅう成り上がりが藤原に名前を変えて、あんなにのしあがるとはなあ」
「あらしかし、ご先祖の大伴金村があきまへんでしたな」
「継体天皇たらいうけったいな天皇を裏日本から連れてくる、朝鮮の領土を百済にくれてやる、あれでわやや」
「当時2ちゃんねるがあったら、あの人、絶対に『大伴キム村』って呼ばれてましたで」
「いまも2ちゃんねるはないんやけどなあ」

「まあ、大伴一族なんかどうでもええわ。ろくな人材がおらん」
 酒を飲み干して、俺は言った。
「氏長者ともあろうお人が、なんちゅうこと言いまんねん」
 酒をつぎながら憶良が驚いてみせる。
「息子の家持はんはようできたお子でっせ」
「家持は真面目なのはええけど、融通のきかん石頭じゃ。歌ばっかり詠んでくさる」
「石頭って、大将がぐにゃぐにゃすぎるんでっせ。そいたら、甥ごさんの古麻呂はんは」
「あいつは頭はええ。遣唐使の候補になったくらいや。しかしな、むちゃくちゃおっちょこちょいやで。あら、そのうちだれかの口車に乗せられて、えらい目に会いよるで」
「そうですかなあ」
「ええわい。人間、いつかは死ぬんじゃ。大伴かていつかは滅びるわい」
「大将、泣いてまんのかいな」
「いま俺が楽しかったら、それでええんじゃ。あとは虫にでも鳥にでもなったるわい」
「虫や鳥になったら、酒が飲まれしまへんで」
「そやなあ。いっそ酒壺にでもなるか。酒浸りやで」
「大将、そんなこと言っとったら、バチが当たって小便壺になるんちゃいまっか」
「哀しいなあ」
「泣きないな」

「まあええわ。もっと飲もうや。ほら、どないした憶良。ぐっといけぐっと。今日は飲み明かすで」
「いやもぅわやですがな。家で餓鬼どもも泣いとりますんで」
「そないなこと言うてからに、ホンマは嫁はんが心配なんやろが」
「そそ、その嫁はんが待ちわびておりますので」
「なんやノロケかいな。けっ、どいつもこいつも結婚しくさりやがって」
「私怨でそういうこと書いちゃあきまへんなぁ。あ、大将、また泣いてまんのか」
「俺も結婚したかったなあ」
「泣きないなって」


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