犬と猫

 世の中には犬好きな人と猫好きな人がいるが、どうも両者は、かなり性格に相違があるような気がする。
 私の見るに、犬好きは好きといっても、どこか淡白なように思う。毎日決まった時間に餌をやり、毎日決まった時間に散歩に出る。愛玩するのも決まった時間、という感じで、毎日をきちんきちんとこなす。愛玩も、背中を撫でたりお手をさせたり、という程度で、節度がある。どうエスカレートしても、ムツゴロウこと畑正憲先生のように、舌を絡ませたり腹を見せあったり、という程度。
 それに比べ猫には、惑溺する人が多い。好きになったら昼夜分かたず愛玩します。愛撫しまくります。それも犬のような節度ある愛撫ではない。荒淫、という言葉がふと頭をよぎるほどです。それはもう、喉を撫でたりエノコログサを振ったりして収まるようなものではない。前脚の肉球をおのれの眼球に密着させたり、耳をねぶったり、「うみゅみゅみゅみゅう」などと奇声を発してみたり。
 愛猫家の行動を見るたび、「人間、ああはなりたくないもんだ」と思うのですが、このことは当の愛猫家にけっして知られてはならぬ秘密です。

 このように犬と猫、まったく違った両者ですから、おそらく犬が登場する文芸作品を猫に置き換えたら、まったく違った感じになるのではないか、と思うのだ。では、さっそくやってみましょう。

南総里見八猫伝

第一部 八猫士誕生

 ときは室町時代。応仁の乱はようやく終焉したが、世は定まらなかった。各地に下克上の嵐吹き荒れ、将軍の威令はまったく届かず、力あるものが勝つ、戦国の様相を呈していた。
 ところは坂東の地。安房の国、いまの千葉県である。

 安房の国は乱れていた。
 乱れの原因はひとりの女性だった。名を玉梓という。
 彼女は美貌をもって安房の領主神余光弘の妾となるが、家臣山下定包と密通する。それだけでなく、ひそかに定包の陰謀工作を助けていた。ついに定包は主君を殺し、安房の領主の座を乗っ取る。玉梓は定包の正妻として迎えられる。
 これに怒った神余の家臣たちは、里見義実に助けを乞う。彼らは兵を挙げ、ついに定包を攻め滅ぼし、ようやく安房は平安を取り戻す。

 玉梓は、義実の前に引き出される。
 美貌の玉梓の嘆願に、いったんは助命を決意した義実だったが、神余の家臣たちは強硬に死罪を要求する。安房を乱れさせていたのは、この悪女の仕業だったのだから、無理もない。
 ついに処刑と決まり、玉梓は土壇場に引きずり出される。玉梓は義実を罵りながら殺される。
「おのれ人の命を弄ぶ者め。この恨み晴らさでおくものか。この姿魔性に変えようとも、きっと里見家を子々孫々まで畜生道に墜としてやる」
 その瞬間、処刑人の刀がきらめく。まだ何事か、叫ぼうとするかたちのまま、転がる玉梓の首。
 そこから噴き出す血潮を、どこからともなく現れた黒猫が、ぺちゃぺちゃと舐めていた。狼狽した家臣たちは猫を斬ろうとするが、黒猫は悠然と、いずこともなく立ち去る。

 それから数年後。
 里見義実は神余氏の旧領をつつがなく治めていた。義実は妻をむかえ、一男一女をもうけた。息子の名前は義成。娘の名は伏姫。
 伏姫がもっとも愛したものは、いつの頃からか城に住みついた、一匹の黒猫だった。伏姫はそれに八房と名づけ、ひとときたりとも離れぬほど可愛がっていた。

 やがて戦が起きる。安房北部を領する里見家と、南部を領する安西家の争いである。
 些細なことから始まった争いは、たちまち両家の興亡を賭けての闘いとなる。しかし折からの不作で兵糧に乏しい里見方は、安西方に押されてじりじりと後退し、ついには滝田城に篭城。そこも兵糧攻めをうけ、飢える城士たち。
 里見義実は翌朝、討って出る決意をする。もとより討ち死には覚悟のうえだ。さりげなく伏姫に別れを告げるが、そのとき八房に冗談で、こう語る。
「もし安西景連の首をおまえが取ってきたら、この伏姫を嫁にやっても惜しくないのだが」
 このとき八房の瞳が、ぎらりと光った。いきなり飛びすさり、城外に駆けてゆく。伏姫は追うが、追いつけるものではない。

 その晩。出撃の準備をする義実の前に、八房が戻ってくる。なんと、本当に安西景連の生首を、口に咥えている。かくして大逆転で、戦は里見の大勝利となる。
 安西景連の最期については知る者が少ない。生き残りの兵士が語る内容も、混乱している。きれぎれの証言をつきあわせてみると、このようになる。

 景連は勝ち戦に機嫌は上々だった。里見方の戦死者の首実検を行いながらも、酒を飲み、冗談を飛ばしていた。
 そのとき一天俄かにかき曇り、雷鳴が轟いた。突如として降りしきる大粒の雨に、かがり火は消え、女房どもは逃げまどった。その混乱の中、黒雲の中から、巨大な黒い獣の前脚が伸び、景連の髻をむんずと掴んだ。景連は刀を振るって脚を斬ろうとしたが、逆に刀が折れた。そして恐ろしい力がかかったかのように、景連の首はひき捻られ、身体からもぎ取られて、黒い前脚とともに黒雲の中に消えていった。前脚の先には、猫のような恐ろしい鉤爪があったという。

 その夜、寝息をたてる伏姫の枕元に、ひとつの黒い影があらわれる。
 黒猫、八房だ。
 八房は伏姫の寝息を窺い、ぎらりと瞳を光らせる。やがて伏姫の眠る布団の上に乗る。そして後脚で立ち上がり、前脚で、蝶々でも追うような仕草を。それはまるで、眠る者の魂を吸うような。あるいは逆に、魂になにかを与えているかのような姿であった。
 八房の姿はそれきり城下から見えなくなった。
 やがて伏姫は、みずからが懐妊していることを知る。畜生の子種を孕んだことを恥じた伏姫は、父親にも告げず、ひそかに城から去っていった。

 富山の洞窟に隠れ住み、みずからの浅ましい運命を嘆く伏姫。しかし、伏姫の寿命は、長くは残されていなかった。
 ある日、おそろしい苦悶が襲う。のたうち苦しむ伏姫。しかし、どこにも救いはない。凄まじい形相で、血を吐きながら死んでいった伏姫の腹がやがて裂け、その中から八匹の黒猫が誕生する。
 八匹の黒い子猫は、母親の血だまりをぴちゃぴちゃと啜ったあと、かき消すようにどこかへ去っていった。

第二部 猫塚信乃物語

 武州の名家、大塚万作は、長い間子宝に恵まれなかった。夫婦そろって弁天様にお祈りを続けてきたが、まったく験がない。怒った万作は、ある夜、「こうなったら犬の子でも猫の子でもいい、子供を恵んでくれ!」と暴言を吐く。その直後、妻は懐妊し、息子を生む。信乃と名付けられた息子は、しかしなにごともなく、すくすくと育っていた。

 しかし両親の死後、大塚家の養女浜路を許嫁と迎えたとき、信乃の運命は一変する。浜路の可愛がっている黒猫、お孝を見たとたん、信乃はひと声うめいて倒れる。
 浜路の介抱でようやく息を吹き返した信乃だが、それ以降、魔に魅入られたように精神が錯乱する。自分のことを女だと言い張って女装し、浜路でなく、下男の猫川荘助と夫婦になるのだと、金切り声で喚く。やがて荘助も浜路のもう一匹の愛猫、お義に魅入られてしまう。ついには信乃と荘助、ふたりで妖しげな関係を結んでしまう始末。

 困り果てた浜路は、本郷円塚山に住む寂寞道人を訪ねる。しかしなんということであろうか、道人の庵に住みついた黒猫は、浜路の愛猫とそっくりであった。道人も猫に魅入られた身であった。
 信乃の治療のために必要だと偽って、寂寞道人は信乃の持つ、関東足利家歴代の重宝、村雨の太刀を求める。
 それを真に受けた浜路は、ひそかに信乃のもとから村雨の太刀を盗み出そうとするが、露見し、浜路を助けようとした網乾左母二郎は、信乃に斬られてしまう。
 浜路の失敗を責める寂寞道人は、暴力をもって浜路を犯す。やがて道人の正体が自分の生き別れの兄、猫山道節だと知った浜路は、「わたしも畜生道に陥った……」と言い残し、首を吊る。
 ぶらぶらと揺れる、その足元で、浜路の口からこぼれる血を、ぴちゃぴちゃと舐めているのは、三匹の黒猫。

 やがて信乃のもとに現れた道節は、村雨の太刀を奪って逃げてゆく。その間際、道節の瞳はあやしく光った。それはまるで、猫のようだった。
「この村雨の太刀で血の雨を降らせてみせよう。関東足利家、いや、足利将軍家を潰し、日本中を戦乱の渦に巻き込んでみせよう」
 そう言い捨てた道節は、足利成氏の城にむかって去ってゆく。
 信乃と荘助は、村雨の太刀を奪い返すため、ひと足先に成氏の城に潜入し、警護の侍をかたっぱしから斬ってゆくのだった。ふたりの瞳もあやしく輝き、もはや理性の影もそこにはなかった。

 

 これ以上書くと恐ろしくなるので、このへんにしておこう。
 なんか、爽快な勧善懲悪の物語だった里見八犬伝が、犬を猫に変えただけで、救いようのないどろどろした暗い物語になってしまった。おそるべし猫。
 ついでにこの逆もやってみよう。
 猫が主人公のお話を、犬に置き換えたらどうなるか。

鍋島の犬騒動

 ときは戦国の末期。ところは肥前、現在の佐賀。
 かつて九州に覇を唱えた龍造寺家は勢いおとろえ、かつての家臣、鍋島家にほそぼそと養われている身分となっていた。
 その若き当主、龍造寺又七郎。かれは毎日、鍋島家の当主、光茂の屋敷にご機嫌を伺いに参上していた。

 ある夜のこと。光茂と又七郎は、ふたりで碁をうっていた。
 又七郎は若輩ながら碁が強い。この夜も、又七郎優勢のまま、碁盤は石で埋められていった。
「ううむ……これは苦しい。又七郎どの、この一手はどうか、ご勘弁を」
 光茂はつい、又七郎に待ったをかけるのであった。
「勝負事に待ったはござりませぬ。まして武士の勝負には」
 又七郎はにべもない。
「いや、しかし、これは……温情をもって」
「駄目でござる。さ、次の手を」
「これは厳しい。そなた、鍋島の温情で生かされている身でありながら」
「異なことを承るものよ。聞き捨てならぬ。謝られよ」
「なにを言われるか。温情ではござらぬか。われわれに救われなんだら、今ごろ島津の芋侍に串刺しにされておろうものを」

 つまらないきっかけから始まった言い争いは、ますます激化する。光茂と又七郎は顔を紅潮させ、睨み合う。さきに刀を抜いたのは、どちらだったか。
 光茂の刀が一閃する、その刹那。
「わんわんっ」
 ばさっ。
「おおっ」
 脱力したように、血にまみれた抜き身をだらりと下げている光茂。蒼白になって立ちつくす又七郎。ふたりの見下ろしているのは、又七郎の愛犬、玉丸。
 玉丸は主人の危難を救うべく、みずから身を挺して光茂に斬られたのであった。

 やがて冷静になった光茂は、又七郎へ暴言と愛犬の殺害をふかく詫びる。又七郎もわが境遇に深く感じるものがあり、龍造寺を絶家してみずからは出家することを決意する。
 ふたりは玉丸の菩提をあつく弔うのであった。

 

 やっぱり、猫よりも犬の方が有能じゃん。


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