むやみに攻撃的に

 今回はむやみに攻撃的かつヒステリックなのである。熱があるのだ。ゴールデンウィークに入った途端風邪に倒れて外出もままならぬ状況にあるのだ。神経が苛立っておる。むやみに腹が立つ。万物に攻撃したくなる。世間を破壊したくなる。申し訳ないがそういうのが嫌いな人は今回はご遠慮頂きたい。

 とかく世の中は許し難い。なかでも許し難いのはMLや掲示板で活躍する、いわゆる「荒らし」の連中である。彼らはくだらない書き込みを山のようにすることによってその掲示板なりMLなりを麻痺状態にする。野球関係では、アンチ巨人の掲示板などによくこの連中が出没し、「勝てば官軍なのじゃ!(なぜ勝たないんでしょう)巨人軍は神聖にして犯すべからずじゃ、バカモノ!」のようなたわけた書き込みを山のようにすることによって掲示板の有効性と自らの品位を地に落としている。
 最近、「このサイトが凄い!ReadMe!Japanお勧めサイト」の細田氏のMLに加入したが、そこが見事に荒らしまくられている。細田氏に対する低劣なる人格攻撃、悪意による文意の歪曲、嘘だらけのスキャンダル暴露、いやもうひどいものである。細田氏の姿勢にも若干の問題があることは認める。首尾一貫していないところがある。そこを追求すればいいのに、荒らしの連中はそんなことはしない。ただただ馬鹿げた攻撃を繰り返すのみである。
 荒らしの文体はだいたい共通である。内容が全くない癖に妙に据傲な文体、本人だけがギャグと思っているおちゃらけ、下司なだけで面白くも何ともない下ネタ、まあこういったところである。品性も知性も全く感じられない。というかマイナスである。こんなのがコンピュータの使用方法だけ覚えているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。
 この連中は攻撃すれば攻撃するほど殉教者か英雄気取りで燥ぎたてるので始末に悪い。無視するしかないのである。しかし連中はその間にも見るに堪えないたわけた文章で自分の馬鹿さ加減を全世界に発信しておるのである。度し難い。見るに堪えなくなった良心的な人はその掲示板なりMLから離れ、かくして奴らが去ったあとには廃墟が残るのみなのである。唯一の対処法としては、掲示板なりMLの管理人が奴らのアドレスからの書き込みを一切封じることであろうか。しかしこれは管理人の多大なる労力を要するし、奴らは悪知恵だけは働くので別アドレスを取得したりして再度破壊工作を行う。物理的に破壊するのが一番の方法だとは思うが、それは法律で禁じられている。

 それほど悪質ではないが、エコ馬鹿というのも世間ではなかなかはびこっており、なかなかに度し難い。
 ファッションとしてのエコというものがあり、地球に優しい化粧品だの再生素材で作った衣服などというものを見せびらかす。そもそも化粧品や余分な服など買わないのが一番ではないかと思うのだが、そんなこと聞く連中ではない。まあ、胡桃沢ひろ子というアイドルが「今度の新曲は環境問題を訴える歌です!」と言って、なんのことはない、再生紙で作った衣装で歌うだけだったのと同じで、馬鹿ではあるがこんなのは可愛いものである。
 もっと厄介なのは健康食だとか菜食主義だとかを信奉し、自分で信奉するだけならいいのだが他人にも強制しようとする連中である。曰く、酒と煙草は百害あって一理無し。曰く、肉食は寿命を縮める。曰く、野菜主体の食生活は人間を穏やかにする。大きなお世話だ。
 こういう連中を論破して廻るのは暇潰しとしては楽しい。例えば、菜食主義で酒も煙草もやらなかった最大の有名人は、アドルフ・ヒトラーである。例えば、横山大観は一日二升の日本酒とつまみだけで生活していたため胃が縮んでしまったが、それで92歳まで長生した。例えば、永井荷風は晩年カツ丼と肉の煮込みだけを喰って暮らしていたが81歳まで生きた。

 しかしエコ馬鹿はまだ論理というものを持っているだけ対処のしようがある。困るのは論理なしで「かわいー」だとか「かわいそー」だとかのたまう人間である。10年前まではこういう輩は14歳未満の偏差値40未満の若年女性に限られていたのだが、最近ではこれが年齢層を拡大し、知性があるはずの人間にまで浸透し、あまつさえ男性にも登場している。
 連中には論理はない。用語は「かわいー」「かわいそー」の2通りのみである。動物が生きて動いているのを見せられると、「かわいー」と言い、動物が殺されているのを見ると、「かわいそー」という。刷り込みとしてはマガモの仔以下である。
 「かわいー」はうっとおしいがまあ許そう。問題は「かわいそー」である。連中は殺されているのが人を15人食い殺した人喰い虎であれ幼女を7人殺した猟奇殺人犯であれ「かわいそー」なのである。もちろん、家畜を食用に供するという当然の理由であれ「かわいそー」なのである。
 そもそも豚とか鶏とか海老とか帆立貝とかいうものは人間が食用にするために飼っているもので、時期が来れば殺して食用にするのは当然なのである。人間が他の生物を殺す目的で飼うことが許されるか、というような議論なら応じよう。しかし奴らには論理はないのである。情が移った、などというたわけた理由で「殺さないで!」などと訴える。馬鹿か。
 南太平洋のカナカ人は豚を家族同様に大事にする。実際、人間の家族と一緒に餌を食べ、人間の家族の寝床で一緒に寝る。しかし、時期が来れば豚の喉をナイフで抉って供物とするのである。それが家畜を可愛がるということであり、人間生態系のなかで生きるということである。それを何か。送られてきた生き海老が可哀想だから茹でないで、だと? 家畜舎で可愛がっていた豚を殺さないで、だと? そんな馬鹿な発言は3歳過ぎたら恥ずかしくてできないはずだ。恥を知れ。

 このほかにも広末涼子の馬鹿さ加減とか藤原紀香の阿呆さ加減とか年増オバハンの口喧嘩になに乗ってるんだよ馬鹿とか武藤はどこまで髪の毛を増やし続ければ気が済むんだとか平野啓一郎は旧字体を売り物にするならもっと勉強しやがれとか、言いたいことは山ほどあるが熱がまた上昇してきたのでここらでやめといたるわ。


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