二十世紀の憂鬱

 そういうわけで2000年12月31日11時25分現在、パソコンに向かってしこしこ駄文など連ねているのは、なんとか十二時ぎりぎりに更新して、「二十世紀最後の雑文」を名乗りたいからなのであるが、そんなわけで今回はなんのネタもない。
 考えてみれば、いや考えずともこれまで、二百回近くも駄文を書いてきたわけだ。つまらない話もあった。くだらない話もあった。偉そうに知識を披露してみたものの、間違いを指摘されて恥を掻いてしまったこともあった。センチメンタルで泣かせる文章を書いて掲載したら、翌日、「いやあ、笑わせてもらいました」と言われたこともあった。それでもともかく、毎回毎回、くだらなかったりつまらなかったり、馬鹿馬鹿しかったり嘘つきだったりしながらも、そこには書きたいテーマ、テーマというと高尚すぎるな、主張、いやそんな偉そうなもんじゃない、まあ要するになんだ、話したいことがそこにはあったわけだ。しかし今回は何もない。無いったらないのだ。

 とりあえず書き出せばなんとかなるかと思ったが、書き出してみても何ともならない。とにかくぐねぐねと持って回った文章で、字数の引き延ばしを図っているのだが、その間にも刻限は迫る。なんともはや。どっとはらい。いや終わってはいけない。
 せっかくだから二十世紀を振り返ってみたりもしようかと思ったが、そーゆーのは新聞雑誌テレビWebでみんなやっているからパス。では2000年を振り返ってみようかとも思ったがそれも以下同文。1001年から2000年までのミレニアムを振り返ってみようかと思ったが、どうにも知識がなさすぎる。今年の阪神を振り返ってみようかとも思ったが振り返りたくない。
 21世紀を占う、というのはどうかとも思ったが、そんなことが私にできるはずもない。まず確実に予言できるのは、21世紀中に私は死ぬだろう、ということだけ。不吉ですいません。いや待て、あと二十分ほどの間に死ぬ可能性も絶無ではないぞ。そしたら、「二十世紀最後に死んだ人間」として認定されるのだろうか。いや、目立ちたがりの中にはきっと、12月31日11時59分59秒を見計らって自殺する奴もいるに違いない。カウントダウン自殺。ホテルなんかでみんなが「3、2、1、ダーッ!おめでとう!」などといって紙吹雪や風船を飛ばす横で、ひっそりと死ぬのだ。陽気なのか陰気なのかわからない。

 ああもうこんな時間だ。あと15分もない。何とかしなきゃ。でもまだ思いつかない。昔、チェーホフという作家は、「作家は何をテーマにしても書けないといけない。たとえば、このテーブルにある鋏を使って、ひとつ書いてみよう」と豪語し、翌日本当に、鋏が登場する短編小説を書いてきたそうだ。ひとつ真似してみよう。たとえば机の上にあるこの鞭。鞭だなあ。鞭であるよなあ。鞭そのもの。以上。ダメだ。ショートショートとしても短すぎる。散文詩ですらない。かろうじて俳句より字数で上回るが、そんなことでは立派な劇作家にはなれないぞ。ちなみに、なぜ机の上に鞭があるのかという疑問は、発することを禁じられている。禁を破った人間は、この鞭でぺしぺし十回。
 わ、驚いた。いきなりアラームが鳴り出した。何だというのだ。ははあ、この卓上時計か。鳴ることなんて、これまでなかったのに。ははあ、この時計はカウントダウンアラーム機能があって、それが2001年1月1日にセットしてあったというわけだ。しかし時間が狂っていて、とんだ茶番劇。こういうのってマヌケだな。

 ああもう5分だ。これで終わりにするしかない。みなさま済みませんでした。よいお年を。さて、これを送信して、栄えある「二十世紀最後の雑文」を名乗るのだ。……あれ? しまった!

 これ、雑文になってないよな。


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