騒擾殺人事件

 晩秋の軽井沢。駅から車で三十分ほどのところにある別荘街。夏は避暑に、冬にはスキーにひとが詰めかけるこの地も、今はひっそりとして人影がない。
 しかし、その閑静を破るかのように、煌煌と灯りをつけ声高に笑いさざめく声の漏れる一軒があった。そこには、十人を越す男女が集まり、酒を飲み、肉を食らいながら、罪深い会話に興じていた。
 彼らは何者か。いわゆる軽井沢人種という、上流階級に属するとは見えない。かといってスキーの前準備にやってきたスポーツマンにも見えない。堅気のサラリーマンとも違う雰囲気があるが、かといって商店主のような抜け目なさもない。
 いや、ここは話を進行させるため、さっさと彼らの正体をばらしてしまおう。彼らはいわゆる雑文書き。ウェブで文章を書き、その小さなコミュニティの中で知り合った人間たちである。たまには実際に顔を合わせてみようではないか、という誰かの提案で、この山荘で一泊二日を過ごすべく集まってきたのである。
 わたしはそのメンバーのひとり、ということにしてもらおう。ただし、物語の進行上、無性格で中立な話し手、と考えてもらえばよろしい。ついでに、知的で誠実でナチハンサム、と思ってもらえると、もっとよろしい。

 さっきから二時間以上も呑みつづけている集団の中から、最年長のAがふと席を立ち、玄関に向かった。
「オヤヂ、どうしたのよ」
 平素からAをオヤヂと呼び捨てて憚らないLが声をかける。
「いやちょっと、新聞買ってこようと思って。すぐ戻る」
 Aはそう答え、そそくさと玄関から出ていった。
「オヤヂぃ、ったくしょーがないわね」
「集団行動ってものができないんだから」
「おいおい、Aさんもうビール五本は飲んでるぞ。車に乗って大丈夫かよ」
 などと言いながらも、一同はあまり気にもせず呑み続ける。

 やがてわれわれは立ちあがり、山荘から出て歩き始めた。別荘街の中にあるボウリング場へ出かけようというのである。
「Aさん、置いていっていいんですか」
 わたしはAとのつきあいが長いMに尋ねた。
「うん、ま、あんな奴だから、どうせまた、どっかから戻ってくるさ。ボウリング場に先回りしているかもしれんし」
 Aの行動について熟知しているMは、そういって気にもしないのだった。

 酔っていたためもあって、ボウリングのスコアはさんざんであった。しかもボウリング場でもビールを飲みつづけたため、閉店になって追い出されたころは、いっそう酔いがまわっている有様であった。ふらふらと千鳥足で歩く一団のなかから歓声があがる。車両通行止めのバーの下で、Jが得意のリンボーダンスを披露しているのだった。酔っているせいか、へたばって崩れるJ。そのたびに起こる笑い声。「Jさーん、結婚して腰が砕けちゃったのかーい?」また起こる笑い声。
 別荘に戻ってみると、Aはまだ帰ってはいなかった。外は寒い。わたしたちはヒーターを全開にし、暖炉に薪をくべてテーブルに戻った。すこし人数が少ない。よく見ると、さっきリンボーダンスを踊っていたJと、aのふたりが、まだ戻ってきていなかった。
 ぶつぶつ言いながらも、ふたりを連れに戻ったわれわれが見つけたのは、道路に横たわるJとaであった。すでに息絶えていた。その全身は真っ黒になるくらい蚊の大群に覆われ、無数に刺しまくられてぶくぶくに膨れ上がっていた。蚊の毒がまわって死んだものらしかった。aの死顔は、無数の刺し傷で彩られ、まるで蕎麦柄のようだった。

 ふたりの身体を取り巻く無数の蚊が危険で、うっかり死体に近寄ることもできなかった。まだ新婚数ヶ月にしかならない、Jの新妻が泣きじゃくりながら駆け寄るのを必死で止め、わたしたちはありったけのタバコに火をつけ、煙で蚊をいぶして追い払った。その死体のひとつに、涙ながらにすがりつく新妻。
「うっうっう、J、なんでこんな姿に……あなた、虫がいちばん嫌いだったのに……」
「Jさんとaさんを最後に見たのは、いつですか」
 わたしは一同に語りかけた。めっぽう背の高いSが、それに答えた。
「ええと、確かボウリングの帰りに。Jさんがまたリンボーに再挑戦するというので、わしらは呆れて先に行っちゃったんだけど、aさんだけは残ってたような」
 わたしはふと、Jの無残に膨れ上がった死体の右手に気づいた。その握りしめた拳の指から、破れた紙片がのぞいていた。ゆっくりと手を広げて見つけた、小さな紙片には、これだけ書いてあった。
「バグノイド参上

「ともかく、まず警察に連絡しよう」
 別荘にふたたび戻り、Mはまず電話機にとびついた。
 三つの番号を押し、しばらく受話器に耳を傾ける。いらだたしげに受話器のフックをがちゃがちゃと押し、また同じ番号を押す。これを何回か繰り返したのち、いらだたしげにMは受話器を投げ出した。
「ダメだ。電話線が切れてる」
「携帯電話は?」
「圏外だよ」
「じゃあどうするのよ」
 Lが悲鳴のような声をあげた。
「しかたない。車で交番まで行くしかない」
 しかし、外に出ていたSが、大声をあげた。
「ダメだあ。ガソリンが抜かれてる。タイヤもパンクしてる」

「つまりわれわれは、この別荘に閉じ込められたってわけだ」
 残された全員を集め、Mは宣告した。
「べつに閉じ込められたわけじゃないっすよ」
 Tは反論した。「歩いていっても、一時間もすればどこかの民家があるし、そこで電話すれば」
「いや、それは危険だ」
 Mはその提案を却下した。
「この夜の闇の中、外に出ることは危険すぎる。全員見張りあって、朝になるのを待ち、明るくなってから出たほうがいい」
「見張るって、どういうことよ?」
 Lが聞きとがめた。
「この殺人事件は、誰の犯行か、まだわかっていない。内部の犯行も」
「考えられるってわけ?」
 Lの声は、ややヒステリックに高くなっていた。「そうね。誰もアリバイはない。闇にまぎれてすこし遅れたって、誰も気づかないわね。オヤヂも含めて」
「そういえばAさん、どこへ行ったんだろうな、まったく」
 Nは呟いた。

「だいたいAさんって、本当に本物のAさんなの?」
 死んだJの新妻であるEは、すすり泣きながら、言った。
「かなり怪しいですよね」
 Nも同意した。「半年以上も消息を絶っていて、いきなり登場する。めっぽう怪しい」
 わたしはMに尋ねた。「Aさんと会ったのは、この前はいつですか?」
「サッカーを見に行ったときだから、一週間前かな」
「とすると、やはりわれわれ全員、七ヶ月はあの人を見ていなかったわけだ」
「その間に、たとえばある組織が、Aさんを拉致、どこかでAさんそっくりな人間に教育を施し、Aさんに偽装する」
「うーん」Mは腕組みをして考え込んだ。
「でもなあ、どんな組織か知らんが、Aを偽装して、なんのメリットがある?」
「……獣人帝國バグー」
 Iが、ぽつりと言う。
「いやあ、それもなあ。それに、偽装ってのは難しいと思うんだけどなあ。たとえば会社社長とか、ギャングの親分、ってのは偽装しやすいぞ。でもなあ、Aみたいな、ポジティブでもネガティブでもない、あんまり意味のない個性にあふれた人格ってのは、とっても真似しにくいと、思うんだけどなあ」
「ナノマシンでしょ」
 Iは、あくまでA犯人説に固執していた。

 そのとき、別荘の外から、エンジン音が響いてきた。
「バイクだ!」
 Tは躍り上がった。「そうだ、Bさんだ!」
 一同は思わず立ちあがった。わたしも、うっかり忘れていたのだ。時間が遅れるので現地集合、ということになっていたBのことを。彼は、友人とともにバイクで来ることになっていた。
「助かった! これで、連絡が」
 Tは外に駆け出していった。あわててMが、
「おい、気をつけて……」
 と言った声も、まったく耳に入っていないようだった。

 私も含め、ほぼ全員が外に出た。
 闇の中を、バイクのヘッドライトだけが輝いていた。
 轟音は徐々に近づいてくる。
 Tは道路の中央に立ち、手を振って、
「おうい、Bさん!」
 と、叫んでいた。

 バイクは近づいてくると、スピードも落とさず、そのままTを跳ね飛ばした。
 どん、という鈍い衝撃音が、はっきり聞き取れた。
 たっぷり三メートルは飛んだだろうか。地面に落下したTの身体を、Uターンしてきたバイクは、念入りに轢いていった。
 そのとき、バイクの後ろに結び付けられ、引きずられていたものが、Tの身体とぶつかって紐がちぎれ、一緒に地面を転がった。
 バイクはそのまま、高速で走り去っていった。

 いったい何分間、硬直していたろうか。
 わたしたちは、おずおず、といった感じで、恐る恐るTに近寄っていった。
 Tはすでに絶息していた。
 Tの横に転がる、ワイヤーロープで縛られたものは、Bの死体だった。
 殺されてからバイクで引きずられたらしく、全身がズタズタに裂けていた。
 ワイヤーロープがちぎれる訳がない。
 バイクに乗ったひき逃げ犯は、故意にわれわれに、Bの死体を贈ってよこしたのだ。

「あの運転手、Aさんでした?」
 わたしはMに尋ねた。
「わからない……」
 しばらく呆然としていた、Mはかぶりを振った。
「Aさんは、バイクに乗れましたか?」
「あいつはいつも車だった。なぜ、そんなこと聞くんだ?」
 わたしは答えた。
「いえ、もっとも単純に、これまでの殺人が同一犯人だと仮定すると、犯人は外部の人間、もしくはAさんしかいないからです。今回の轢き逃げ殺人に関してだけは、われわれのアリバイがある」

「いずれにせよ、今ここから出るのは危険です」
 わたしは、生き残った一同に言った。
「せめて夜の闇が消えてから。朝になったら、全員で助けを呼びに行きましょう。それまでは、この家から出ない方がいい」
「そうだね」
 Sもあっさり賛成した。
「とりあえず、身体を休めましょう。女性は下の部屋で。男性は上の部屋で。眠れそうにもないけど、でも、朝を待とう」
「何かあったら、とにかく叫ぶんだ」
 Mも賛成した。
「Iくんは特に叫んでほしいな。ロック・クライングというくらいで」

 なにか途方もない、悪夢を見た気がした。
 眠らないつもりだったが、いつしか寝入ってしまったらしい。
 わたしは窓の外を見た。
 もう明るい。
 もういちど窓の外を見て、わたしは二階へ上がっていった。
「Iさん、Iさん」
 わたしはIさんを揺り起こした。Iはむずかりながらも、ようやく目を覚ました。
「なんだよ……まだ眠いのです……なんせ、Sちゃんが、眠ったかとおもったら、えらい鼾をかいて……死ぬんじゃないか、というくらいのものすごい鼾……」
「Iさん、それは鼾じゃなかった」
 わたしは窓の外を指した。別荘の二階の窓から五メートルほど離れた、白樺の大木。ちょうど二階の窓と同じくらいの高さ、地上七メートルほどのところに、べっとりと血痕が付着していた。その大木の根元には、頭蓋がぐちゃぐちゃに潰れた、Sさんの死体が横たわっていた。
「犯人は、この部屋からSさんを投げ飛ばしたのです。おそらく勢いをつけるために、ジャイアントスイングの要領で、Sさんをぐるぐると回し、たっぷりと遠心力をつけた後で。Iさん、あなたが鼾だと思っていたのは、その時Sさんをぶんぶんと振り回す音だったのですよ」

「ひとつだけ、わかったことがあります」
 わずかに残された、M、N、Iとともに、わたしは居間のテーブルに座っていた。女性のふたりはまだ眠っているので、そのままにしていた。わたしは宣告した。
「この連続殺人事件は、ひじょうに巧妙かつ残虐な事件であります」
「そんなことはわかってる」Mがいらだたしげに、話の腰を折った。
「もうひとつ、犯人は少なくとも、われわれの雑文をよく読んでいる人物だと思うのです」
「なぜ、そんなことがわかるんだ?」
「Jさんとaさんは蚊に刺されて死にました。Jさんは虫が嫌いなことを雑文によく書きますし、aさんもかつて蚊に刺される話を書いていました。BさんとTさんはどちらもバイク乗りで、バイクをテーマにした文章も多く書いています。そのふたりが、バイクで殺された」
「そうか!」Nが、いきなり立ちあがった。
椅子をぐるぐる回す雑文を書いたSくんが、ぐるぐる回されて殺された、ってことか」
「そして失踪で有名なA、今回も失踪中……」
 Mは、ぽつりと言った。
「そう、これは恐ろしい、見立て殺人なのです。被害者はいずれも、自分の書いた雑文で殺された……あれ、Iさん、どうしました、Iさん!」
 Iの様子がおかしかった。がくりと首をたれ、身動きもしない。
 死んでいた。
「……毒殺か?」
「ショック死?」
「いいや」Iの様子を見ていたNは、ゆっくりとかぶりを振った。
餓死している

「なぜ、朝飯を抜いただけで餓死することができるんだよ……」
 わたしには、Iの安らかな死顔を見下ろし、死者を非難するかのように、呟くことしかできなかった。
「そういえばIさんは、平素キリギリスよりも飯を食わなかった……」
 Nは小声でいった。「いつも胃が空っぽで、皮下脂肪もないから、餓死するのが早かったのかも……」

「Mさん、どこへ行くつもりですか?」
 わたしはそのとき、部屋を出ようとするMをとがめた。
「こうなったら、残った人間は、ひとかたまりにならないと。勝手に動くのは、危険過ぎます」
「いや、ちょっと思いついたことがあるんだ」
 Mは頑強だった。「すぐ戻る。ちょっと出るだけだから。じゃっ」
 出て行くMを止める権限は、わたしにはなかった。
「ち、ちょっと、Mさん、待って」
 とMを追ってゆくNを、止める権限も、わたしにはなかった。

 それから、半時間もたったろうか。
 起きてきた女性ふたりを連れ、助けを求めにいこうとした、その時だった。
 聞き慣れたサイレンの音が、こんなにも有難いものだったとは。
 後でわかったのだが、バイクで殺されたB、その同行者のKが、インターの途中でBとはぐれたため、携帯電話で再三連絡しても音信不通で、ついに警察に届けたのがきっかけだった。

 到着した警察の人間と救急車の人間に、わたしたちは抱きつかんばかりだった。
 警察の私服刑事は、われわれの歓待にもかかわらず、冷たい声で言った。
「あなたがたの家のすぐ外に、ひとりいましたが」
 刑事とわたしは外に出た。
 本当にすぐ外、歩いて百歩もしないところで、Nが死んでいた。
 なぜかパンツ一枚で、足元にステップを描いたようなシートがあった。
「どうやらこの寒空、パンツ一枚で、ダンスを踊らされたようですな。寒さと、過激な運動で、心臓麻痺を起こしたようです」
 刑事は冷たく、そう言い放った。
「それから、もうひとつ」

「これはどういうことなのです」
 刑事の声は厳しかった。
 わたしと警察のひとたちが立ちすくむ、その前。
 別荘街の入り口の道路に、奇妙なオブジェが、死体で作られていた。
 道路に横たえられた死骸たち。
 それは上から見ると、道路のセンターラインに沿って歩くように、並べられていた。
 殺された順番に。
 それも不思議なことに、Jは四つんばいで歩くようなかたち、aはやや身体を反らして、手の指先だけが地面(この場合、道路のセンターラインだが)に着くようなかたち、Tは前かがみで老人のように歩いているかたち、という具合に、四足歩行から直立二足歩行へと徐々に移り変わってゆくかたちが、全体として作られていた。
 その先頭にMがいた。首筋に、バタフライナイフが刺さっていた
 かれは直立(むろん、地面に横に)していたが、なぜか、セーラールックに着替えていた。

 わたしはとつぜん、真っ赤に焼けた鉄串を脳天からぶちこまれたようなショックを感じた。
 わたしは警官の前もはばからず、ゲラゲラと笑い出した。きっと警官たちからしたら、悪酒に酔うたか、気でも狂ったかと思っただろう。
 涙を流し、ゲラゲラ笑いながらも、わたしはやっとのことで刑事に告げた。
「そうか、そうだったのか……人類の進化……ダーウィン……刑事さん、この悪戯は、半分は殺されたMさん、あとの半分は犯人のしわざですよ」
「ど、どういうことなんだ?」
「Mさんはふらりとひとり外に出た。思いついたんですよ。死体を使って、この人間の進化図、すなわちダーウィン・メッセージを作ることを。しかしそこを犯人に逆に利用され、死体の仲間入りしてしまった。あの衣装は、むかし沢田研二がヒット曲を歌っていたものと同じ。ダーリング・メッセージというわけです」

 とりあえず救急車に死体と、心労で倒れたふたりの女性を収容して、警官の数人がそれに付き添っていった。
 残りの警官は行方不明のAを探すべく、別荘街の捜索へ。刑事は、山狩りの準備を無線で指示していた。
 わたしは、たったひとり残された別荘で、ぽつりと座っていた。
 もうなにも考えたくなかった。
 そこへ刑事が入ってきた。
「どうやら、山狩りの必要はなくなりました」
 わたしはゆっくりと答えた。
「見つかったんですね」
「ええ、このすぐ上で」

 わたしは警官に付き添われ、枯れ葉のうず高く積もった山道を、ゆっくりと歩いた。
 死体は丘の中腹にあった。
 枯れ葉で、死体が隠されていた。その脇に、ドクダミが葉をべったりと地面に這わせ、越冬の準備をしていた。
 わたしは、Aの死体を、ぼんやりと眺めた。
 これでいっさいの殺人事件が終わった、そんな思いが、頭の中を意味もなく駆け巡るだけだった。
 雑文書きはすべて死んだ。もう殺されるものはいない。
 Aの顔の赤黒さ、浮きはじめた死斑は、死んでから二十四時間は経過しているものと思われた。
 すなわち、Aは、新聞を買いに行くといって失踪した直後、昨夜の晩のうちに殺されていたのだ。
 その口には、ピザがいっぱいに詰め込まれていた。その鼻には、カニが詰め込まれていた
 そのため窒息死したらしい。額には、なぜか、「犬」と書いてあった


読者への挑戦


 さて、ここまでで、連続殺人事件に関してのいっさいの記述は終了した。
 これまで与えられた材料で、殺人犯人を名指しすることが、貴方にはできるだろうか?
 すみません、作者にはできません。
 どなたか殺人犯とそのトリックがおわかりの方は、作者までご教示願えれば幸甚です。


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