おさむちゃんと遊ぼう

 太宰治という作家はかなり特異な作家ですね。
 なにが特異かといって、死後五十年になるというのに、つねに若者の読者が、それも多数いるということです。普通、最初についた読者がそのまま、作者が歳をとるとともにだんだん老化していくというのがパターンです。それなのに太宰治の場合は、新しい若者の読者がどんどん追加され、平均年齢は全く変わらない。不思議です。モンゴメリの「赤毛のアン」と同じです。だから太宰治はときどき「日本のモンゴメリ」と呼ばれることがあります。嘘ですが。
 しかし七十くらいのお爺さんが「愛読書:太宰治」と書いているのもあまり見ません。五十年前は読んでいたはずなのですが。昔の読者は一体どこへ行ったのでしょう。謎だ。はっ、まさか全部自殺。
 文体もかなり特異です。すぐ「太宰の文体だな」とわかるので、文体模写にはよろしい。それに、なんだか遊んでみたくなる雰囲気があるのですね。あの深刻なテーマが、ちょっと茶化してみたい気分を誘うのでしょうか。というわけで、おさむちゃんと遊んでみた雑文を紹介します。

 まずは「カッコ笑い、およびフェイスマーク考」(ボーリング娘。)です。有名な「人間失格」の末尾です。みごとに笑い飛ばしています。駄目です。この手で他にやってみるとしたら、ABC文体太宰治くらいでしょうか。

 その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。女は、この帯はお店のお友達から借りている帯やから、ってそんなもんどうやって返す気ですか、と言って、帯をほどき、畳んで岩の上に置き、自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、一緒に性交入水しました。
 女のひとは、死にました。そうして、予定通り自分だけ助かりました
 自分が高等学校の生徒ではあり、また父の名にもいくらか、いわゆるニュウス・ヴァリュ(表記、あってる?)があったのか、新聞にもかなり大きな問題として取り上げられたようでした。
 自分は海辺の精神病院に入院させられ、故郷から親戚の者がひとり駈けつけ、死んだ女の実家にカネを渡して口封じとか新聞にカネを渡して口封じとか病院の院長にカネを渡して口封じとかさまざまの始末をしてくれて、そうして、くにのをはじめ一家中が激怒しているから、これっきり生家とは義絶になるかも知れぬ、と自分に申し渡して帰りました。けれども自分は、そんな事より、死んだツネ子が恋しく、めそめそ泣いてばかりいましたって今頃後悔ですかアンタ。

 ううむ、もう一歩だなあ。 コジャレ太宰治って、どうやればいいんだろう。

 そして「モンタージュ理論」(それだけは聞かんとってくれ)です。こちらでは夏目漱石と融合して大活躍です。まるでゲルショッカーです。しかも駄目です。ひょっとして、太宰にはすべてを駄目にするパワーがあるのでしょうか。試しにやってみよう。司馬遼太郎の名作、「燃えよ剣」のエンディングとのモンタージュ。

 歳三はちょっと考えた。しかし函館政府の陸軍奉行、とはどういうわけか名乗りたくはなかった。
 自分がなぜ生きていかなければならないのか、それが全然わからないのです。
 といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。
「参謀府に参られるとはどういうご用件か。降伏の軍使なら作法があるはず」
 僕は、遊んでも少しも楽しくなかったのです。
 歳三は馬の歩度をゆるめない。
 僕は、死にます。楽に死ねる薬があるんです。兵隊の時に、手に入れて置いたのです。
 あっ、と全軍、射撃姿勢をとった。
 ゆうべのお酒の酔いは、すっかり醒めています。僕は、素面で死ぬんです。
 が、馬が再び地上に足をつけたとき、鞍の上の歳三の体はすさまじい音をたてて地にころがっていた。
 もういちど、さようなら。
 が、歳三の黒い羅紗服が血で濡れはじめたとき、はじめて長州人たちはこの敵将が死体になっていることを知った。
 姉さん。
 歳三は、死んだ。
 僕は、貴族です。

 おお、これは見事に駄目です。司馬遼太郎と合体しても駄目です。新選組の鬼副長が、こんなおいたわしい姿に。しかも貴族だなんて、嘘までついて。

 最後に「負け越し訴え」です。すいません、私のです。今読み返すと、ちょっと恥ずかしいですね。模写がべたべたにつきすぎる所があって。

 文体に限らず、太宰の写真はカッコつけたポーズのものが多いので、やはりなんかしてやりたくなります。「教科書落書考」(雑文蔵)では髭を書かれてしまっています。ちょび髭ならまだいいですが、ダリのような髭はやめて。「正誤表」(それだけは聞かんとってくれ)ではあろうことか、アビシニアンの写真と差し替えられてしまってます。「吾輩の辞書には」(週刊Cinderella Search)では「さむ」などという若干屈辱的な愛称で単語登録されています。 みんなもみだりに自殺しちゃうと、こんな風に遊ばれちゃうぞ。という教訓でした。


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