カレーアンソロジー

万人の愛するカレー。サラリーマンの昼食に、子供の給食に、手抜きの夕食に、キャンプの野外食に。その用途は限りなく広く、その愛はあまねくふりそそぐ。雑文界にもカレーをこよなく愛する男達がいる。「カレー雑文」は、すでに雑文のジャンルとして確立しているのだ。しかし、未だカレー雑文を集めたコーナーはない。牛丼には教団まであるというのに。(カレー教の活動報告はあります)ここではその現状に一石を投ずるため、知る限りのカレー雑文を(筆者の承認を求めずに)収集し、(勝手に)展示するものである。これがカレー教メッカページ誕生のきっかけになれば幸いである。



 やはり最初はカレーの大御所から。大御所その1にして雑文六歌仙のひとり、雑文黒主ことkeithさんの「それだけは聞かんとってくれ」では、とにかく折に触れカレーを駆使します。ラブストーリーの小道具にまで使ってます。全部抜き出したらきりがありません。その中から、カレーがメインの文章だけ抜いてみました。
「本当に吃驚するのか印度人」
「君にリズム感はないのか」
「印度への道」
「それにしてもカレーはうまい」

 大御所その2、雑文康秀ことlouさん。この人の「森で屁をこく」も小ネタをあげているときりがありません。何かを測る基準として「インディのカレー*杯分」という表記が随所にみられます。もはやメートル原器です。
「生きててすみません」
「素晴らしき演繹的思考」
「青春の映画評」
「大人として」
「取り敢えずやってみるのだ」
「謎のインド人」

 さて、残りの雑文六歌仙。雑文業平こと「雑文館」の新屋さんです。結構カレー雑文、多いです。ちなみに最初の2つは上記カレーの大御所の登場前。最後のは大御所の影響がみられます。
「私、つくる人」
「されどカレー」
「やっぱり泣いたか勘太郎」

 雑文遍正こと「補陀落通信」のうえだたみおさん。「牛丼教の最期」は牛丼雑文のアンソロジーに収録済みですが、ま、大目に見て下さい。主役はカレーだもん。
「カレー史彼女の事情」
「牛丼教の最期」

 雑文喜撰こと「どーでもいいコトを真剣に考えてみよう」のにょしかわさん。カレーよりからあげに思い入れが深いそうです。
「カレーライスの味と思考」

 雑文小町(なんかいい名前だ)のみやちょさんの「みや千代日記」には、カレーの文章が見つかりませんでした。97年以前の陳さんシリーズに出ていそうな気もしますが、ファイルが無くなってしまっていました。

 それでは他の人のカレー雑文を。
「カレー事件」(203号室)。やっぱカレーと言えばキレンジャーですか。

「もごもご」(ざれごと)。最後の1行しかカレー出てこないけどね。しかし、この1行にカレーが集約されております。

「辛いものを食べる」(狂いの咆哮)。田口君とは牛丼も食いに行っております。

「何喰ってるんだか」(似非ー)。これも牛丼との抗争もの。やはり争わねばならぬ宿命なのでしょうか。

「インドとパキスタンへの抗議」(大西科学)。これ、チェーンメールで流せばよかったのになあ。ハナゲより面白いと思うんですが。

「吹けば飛ぶ」(破竹の勢い)。たった1行なんですけど、泣けてきたので入れました。

「呪われた食卓」(猿と鰐)。これはinfoseekで「+カレー+エッセイ」で発見。ちなみに「+カレー+雑文」とすると、ずらずらと知った顔が並びます。珍しくカレーを憎んでいる人。

「鳥カレー」(しりとりエッセイ)。検索は同上。ミュン、行ってみようかな。しかし高校のカレー同好会って、何やねん。

「カレー大戦」(滝沢エッセイ)。検索は同上。雑文の基本的なオチ。

「カレーはフォークで」(Tomy's Music Site)。文字通り、フォークでカレーを食べる人の主張。「+カレー+コラム」で検索。ところで、新屋さんの「されどカレー」はどの検索でも引っかかってくるのが不思議。

「日本昼食政党事情」(くだらな随想)。何をかいわんや。
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