アイドルをめぐる冒険・5

歌謡界の下部構造の変化

 前項のように、もはや昔の意味のアイドル(十代男性のヒロイン)は存在しない。

 今存在するのは、二十代過ぎた物好きなじじいの愛玩物でしかない。そのニッチはきわめて狭く、従ってそこに棲息するのもごく小型で、少量でしかない。

かつてのアイドルに似た形態の高橋由美子や水野あおいにしても、かつてのアイドルのパロディに過ぎない。

 かつてアイドルが棲息していた、広大なニッチはどこに消えたのか?

 かつてのアイドル支持層は、若年共通文化に支えられてきた。「若者たち」としてひっくくられる彼らは、「大人の」文化に対するカウンターカルチャーとして彼らの文化を作り上げた。

 若年共通文化は古代から存在していた。それは思春期前後の青少年を一般から隔離して成人への移行の準備を行うものであった。

 九州から南方諸島にあった若衆組、初潮前の少女を密室に隔離する風習、近現代にもそれは旧制高校や村の青年団にみることができる。

 戦後も若年共通文化は残った。そして、社会が経済的に豊かになって行くにつれ、若年層にも自由になる金が手に入るようになった。

 ここに、若年層の消費に支えられ、若年共通文化に属する、「アイドル」が出現したのである。

 しかし若年共通文化は急速に肥大し、「共通」ではなくなっていった。元々成人の文化では音楽にはジャズありロックありクラシックあり演歌あり、ジャンル毎に分化している。若年文化も同じ分化の道をたどるのが必然だった。

 こうしてかつてのアイドルを支えた基盤は崩れた。

 アイドルとは、成人分化から経済的に疑似的に自立し(親から金をもらってる以上自立とはいえない)、かつ若年層内部ではまだ統一を保っていた、過渡的な時代にのみ許された現象だった。

 こうしてみると、日本よりも早く経済的に充実した欧米が、1960年代までにアイドル期を通過したことが説明できる。

 そして、まだ経済的に充実するに至らないアジア諸国でアイドルがこれまで出現しなかったこと、日本に次いで経済成長をとげた韓国と香港で、日本より約20年遅れてアイドルが現れ始めたことも説明できる。

 われわれにとって、「アイドル」とは、もう戻らない時代なのである。



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