錬えよ剣

 その夜、亡霊を見た。
 権兵衛は戦闘からもどってきて、レティシア本営の自室にいた。ふと気配に気づき、寝台から降りた。眼をこらして、かれらを見た。目の前に人がいる。ひとりやふたりではない。群れていた。
「勇者に怨霊なし」
 と古来いわれている。権兵衛もそう信じていた。むかしトロデーンにいたころ、権兵衛にもてあそばれて捨てられて自殺したメイドの亡霊が出る、と住職が屯営にかけこんできたことがある。
 権兵衛はおどろかなかった。
「その者、わしに未練があるにちがいない。わしが抱いてやってあらためてあの世へ送ってやろう」
 と、権兵衛は墓地へゆき、床をのべて終夜、亡霊の出現を待った。ついに出なかったため、尼を慰みものにして気を晴らした。
 が、いまこの部屋の中に居る。亡霊たちは、椅子に腰をかけたり、床にあぐらをかいたり、寝そべったりしていた。
 伝説の七賢人であろう。
 シャマルはゼシカそっくりの恰好でひじ枕をし、こちらを見ていた。その横に、犬に殺されたチェルスによく似たクーパスが、気の弱そうな顔でぼんやりあぐらをかいて権兵衛を見ている。ギャリングは上半身裸体で筋肉を誇示している。そのほか、何人の賢人がいたか。
(どうやら、おれは疲れているらしい)
 権兵衛は、寝台のふちに腰をおろして、そう思った。ほとんど毎日世界じゅうをかけずり回ってオーブとやらを集めていた。不眠の夜がつづいた。部屋のなかにいる幻影はそのせいだろうと思った。
 権兵衛はシャマルに眼をやった。
「シャマル、ゼシカに似て行儀がよくないな」
「疲れていますからね」
 と、シャマルはくるくるした眼でいった。
「お前も疲れているのか」
 権兵衛がおどろくと、シャマルは沈黙した。灯明りがとどかないが、微笑している様子である。みな、疲れてやがる、権兵衛は思った。思えば昨年からこのかた、崩れようとする暗黒神の「封印」をこの七人と権兵衛たちだけでささえてきた。それが世界にどれほどの役に立ったかは、いまとなっては権兵衛にもよくわからない。しかしかれらは疲れた。亡魂となっても、疲れは残るものらしい。
「権兵衛、あす、この世は終わるよ」
 エジェウスははじめて口をひらき、そんな、予言とも、忠告ともつかぬ口ぶりでいった。
 権兵衛はこの予言に驚倒すべきであったが、もう事態に驚くほどのみずみずしさがなくなっている。疲れて、心がからからに枯れはててしまっているようだ。
「終わるかね」
 と、にぶい表情でいった。エジェウスはうなずき、
「ラプソーンは闇の魔物をひきつれ、いよいよ攻勢をかけるはずだ。まず神鳥とおまえたちを狙う。レティシアのような砦もない平地ではひとたまりもない」
 権兵衛は、面妖しいな、と思った。この意見はかねがねかれが主張し、せめてサザンピークのような要害の地に移転しようといってきたところである。ところが、レティスが離れようとしなかった。
 ――せめておれだけ逃げよう。
 と、今朝もいったばかりである。ところがレティスはこれもゆるさなかった。
(なんだ、おれの意見じゃないか)
 寝返りを打って寝台の上に起きあがった。鎧兜のまま、まどろんでいたようであった。
(夢か。――)

 その日、権兵衛がレティシアの門を出たときは、まだ天地は暗かった。
 権兵衛は、馬上。
 従う者はわずか四人である。この無謀さにはじつのところ、長老もおどろいた。が、権兵衛は、
「私は少数で錐のように魔物軍に穴をあけてラプソーンへ突っこむ。諸君はありったけの兵力と弾薬荷駄をひきいてその穴を拡大してくれ」
 といった。
 たちまち天地は砲煙につつまれた。
 権兵衛のまわりに間断なく魔物が襲いかかるが、この男の隊はますます歩速をあげた。
 ゼシカらの魔法やおっさんも炸裂し、
 ――その激闘、古今に類なし。
 といわれるほどの激戦になった。
 権兵衛はきせきのつるぎ改を肩にかつぎ、馬上で、すさまじく指揮をしたが、態勢は非であった。もはや白兵戦以外に手がないとみた。幸い、敵の左翼からの攻撃が不活発なのをみて、兵をふりかえった。
「おれは暗黒神のところにゆく。おそらく再びこの世界には帰るまい。世に生き厭きた者だけはついて来い」
 というと、その声にひきよせられるようにして神鳥が飛んできた。それに乗り、敵を薙ぎ倒しつつ進んだ。
 鬼としかいいようがない。
 みな、茫然と権兵衛の飛ぶ姿を見送った。魔物の軍勢も、自軍のなかを悠然と通過してゆく勇者の姿になにかしら気圧されるおもいがして、たれも近づかず、攻撃することすら忘れた。
 権兵衛は、ゆく。
 ついに上空高くきたとき、闇の門から駆けつけてきた単色の部隊が、この見慣れぬ勇者を見とがめ、神官が進み出て、
「いずれへ参られる」
 と、問うた。
「暗黒神ラプソーンに」
 権兵衛は、微笑すれば凄味があるといわれたその二重瞼の眼を細めていった。むろん、単騎斬りこむつもりであった。
「名は何と申される」
 悪魔神官は、あるいは悪魔教に屈服した信者でもあるかと思ったのである。
「名か」
 権兵衛はちょっと考えた。しかしトロデ王の家臣、近衛部隊の兵士、とはどういうわけか名乗りたくなかった。
「勇者」
 といったとき、闇軍は白昼にマスタードラゴンがあらわれたほどに仰天した。
 権兵衛は進みはじめた。
 神官は魔物を散開させ、攻撃用意をさせた上で、なおもきいた。
「暗黒神に参られるとはどういうご用件か。改宗の使者なら作法があるはず」
「改宗?」
 権兵衛は飛ぶ速度をゆるめない。
「いま申したはずだ。勇者が暗黒神に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ」


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