八番目の勇者(下)

「仇討ちの娘とともに暗黒魔城斬り込みか」
 権兵衛は、苦笑した。馬車には、ラジュの意識のない体を寝かせている。
 すべて事はこのように運んでゆく。権兵衛の意志とはかかわりなくかじを乗せて動く運命がさきへさきへと作りこまれているようであった。
 やがて鳥になり、この男は、音もなく飛びだした。奇妙な男であった。頭脳よりもエネルギーだけで動いているようなところがある。臆病とは思考力の変形だろうが、そういうひるみもこの男にはあまり無いらしい。
 空に浮かぶ城にたどりついた。
(さて、どこへいくか)
 勝手が、わからない。できれば暗黒神を訪問したかったが、その部屋はどこにあるのだろう。
 めくらめっぽう歩き、目についたレバーを考えもなしに引いてみたりしながら、適当に進んだ。階段を昇ったり降りたりするうち、街並のようなものを見つけた。
(これが、そうだろう)
 権兵衛は、無造作にずんずん進み、奧の回廊に入った。なかは暗い。通路をすすむと、奧に玉座のようなものがある。その玉座に座っている異人が目をひらき、不審そうに権兵衛の姿をじっと見ていた。
(こいつがラプソーンか)
 異人は、ハートマークのでぶちん坊やのようなちびだった。その不自然な風貌を凍りつかせていた。こんな奴のために今まで旅をしてきたかと思うと、権兵衛はなさけなくなった。
 恐怖だけがこの異人を支配している。当然であったろう。二十一世紀にはツナミが世界語になったように、この権兵衛の当時にはユーシャが世界語であった。ユーシャは鋭利すぎる刃物を常時腰間に帯び、魔物を見れば斬る。巨大すぎる逸物を常時股間に屹立させ、女を見れば犯す。まったく、異様な存在だった。闇の世界が、まったく文明の系列のちがうこの光の世界に上陸しようとしたとき、最初にこの生き物に遭遇しなければならなかった。
 そのユーシャが、いま、こともあろうに暗黒魔城の玉座にまであらわれている。
 ラプソーンは戦術的な微笑を権兵衛に送りつつ、そっと杖に手を伸ばした。
 これが暗黒神の不覚であった。
 ユーシャは理性こそ不自由だったが、衝動だけは鷹のごとく鋭かった。
 突如、白刃がおどった。ラプソーンの腕は杖を握る寸前にその体から離れ、床の上にころがった。その瞬間、暗黒神はどういうわけかにわかに膨れあがったように見え、城が崩れはじめた。
 そのときは権兵衛は城にいない。通路を走り、階段を駈けあがり、扉をあけてテラスにとびだした、城内は大騒ぎになった。
 権兵衛は城壁へ走り、虚空にむかって体を飛ばした。鳥になり、やがて空に浮かんだ。
 うかびあがって城を見ると、あとかたもなく崩れていた。そこからいっそうでぶちんになった暗黒神が出現し、闇の魔物どもがそのまわりを駈けまわっている。
 権兵衛は、レティシアをめざして飛びはじめた。しかしかならずしも安全ではなかった。暗黒神の手先は権兵衛をめざして追ってくる。やむなく地上に降り、馬車で走った。
(無駄骨を折った)
 権兵衛は、ゆっくりと歩いた。

 この夜、ラジュは何度めかの驚きをおどろかねばならなかった。
 権兵衛が、この闇のなかを、どういう動物的な官能があるのか迷いもせずにこの馬車にもどってきたことである。人間の姿をした、人間以外の別のけものかもしれないとラジュはおもった。
「暗黒魔城はどうでありました」
 と、ラジュはきいてやった。
「あれは、失策りましたな」
 権兵衛はあらましを語った。
「ラプソーンをますます強くしてやったようなものです。その理由がわからぬ」
「そなたは、いつもそうです」
 ラジュは、チェルスのことを考えたらしい。もう、声音まで変わっている。
「いつ、いのちを呉りゃる」
 ラジュの擬しているナイフが、権兵衛ののどくびを狙っていた。このままでは鎌で草を刈るよりもたやすく権兵衛の首は掻き切られるであろう。
 しかし、権兵衛の返答は意外であった。
「あなたを抱く約束を、まだ果たしていない」
 権兵衛の思考ではなく衝動が、この言葉を吐かせた。考えるという能力は権兵衛の得意ではない。感ずることが、大切であった。権兵衛は感じとろうとしていた、ラジュの胎内の気の動き、漂い、色合、においを、である。
(抱きたい)
 権兵衛の衝動が、そうおもった。
(女のにおいだ)
 ラジュの「温気」の正体をおぼろげに知ったとき、すばやく手首をとばし、ラジュを倒し、膝の下に組み敷いていた。ラジュは、勇者に圧服されることを望んでいたにちがいない。むろん意識の上でのラジュは、このような処遇をのぞんでいない。
「あっ、なにをします」
 両膝を詰め、叫ぼうとした。
「光が、闇を呼んでいる」
 と、権兵衛はラジュの耳もとで、勇者らしいことをいった。光とは、ラジュであろう。闇とはむろん権兵衛のことである。
 ラジュの体が、急に自由をうしなった。関節をはずされた。権兵衛が格闘でまなんだ技をかけられたらしい。
「詮ないことをした」
 と権兵衛は詫び、ラジュを抱きつつそれをもとに復したときには、すでにラジュは権兵衛と他人ではない。

 トロデ王は、馬車の気配を知っている。扉を開けたものか、迷っていた。
 馬車の背後から、騎馬が近づいてきているのである。二頭であった。やがて馬車をはさみこむようにして停車を命じた。
「馬車をとめよ。御用によってあらためる」
 と、暗黒騎士がいった。トロデ王はやむなく馬を止め、下馬した。
 そのうち、暗黒騎士のひとりが馬車のそとからぴしっと扉をひらき、松明をかざした。
「あっ」
 と、扉をしめた。男女のあられもない情景を見た。その様子で、
(まさか、この男客が暗黒魔城を襲ったわけではないだろう)
 という推察はついた。が、別な興味がわいた。からかってやろうというのである。
「魔物よ」
 と、御者のトロデ王にいった。時節柄、婦人を擁して夜中の遊山をするなどもってのほかである。番所にてとくと王名を問いただしたい、というのである。
――ラジュ殿。
 と、権兵衛はエルフの耳たぶのあたりでいった。
「聞かれたか」
「うん」
 と、ラジュははげしくうなずき、「こまる」と、人心地も無げにいった。この娘がこれほど可愛い声をもっていたとは、権兵衛も知らなかった。
「そなたが、わるいのです」
 ラジュは、権兵衛の胸の下で泣きはじめた。このようなざまの最中をひとに見られるなど、ラジュをささえてきたエルフの誇りもなにもあったものではない。
「いかにも、私がわるい」
 権兵衛は、素直にうなずいた。まるで禍神であるかのように、勇者と触れる者がすべて不幸になることを権兵衛は知りぬいている。
「どうします」
 なんとかせよ、とラジュは言い、権兵衛はうなずいた。そのくせ権兵衛の厚顔さは、その体をなおもラジュのなかにとどめたままなのである。当惑し、
「権兵衛、退きゃ」
「迷惑な」
 不機嫌そうにいった。
「私はまだ潮が満ちておりませぬ」
「そなたは」
 ラジュは、絶句した。

 四半刻ほど過ぎ、馬車と騎馬は街道を進みはじめた。
 権兵衛はラジュを背負い、ひそかに馬車をおりている。
 森にとびこみ、娘をおろした。
「レティシアで会おう。私は明日か明後日、神鳥の岡に行く」
「権兵衛は?」
「じつは、金がほしい」
 権兵衛はふたたび馬車にむかって走りはじめた。ラジュは、権兵衛の意図がわかった。逆に暗黒騎士を襲い、海賊のように金品をうばおうとするのだろう。
(なんという男か)
 月がすでに出ている。闇の魔物がこの世界を荒らしまわる酸鼻を見て、ラジュには何の感想もない。あの男との数時間、颶風にでも襲われつづけたような目まぐるしさがあるだけであった。
(この世は、どうなるのか)
 ふと、おもった。闇の世界をはばむ扉がひらかれ、世界中が魔物と悪党の狂騒のなかにある。権兵衛は単にこの世の混乱と狂騒を、その剣によっていっそう掻きまわしているというだけのことであろう。
(時代が、あの男を勇者にしている)
 勇者と狂者は同意語だろう。エルフのラジュは、そのような意味のことを、ぼう然たる意識のなかで考えた。
 月が、雲にかくれた。
 やがて街道が静かになった。権兵衛が、騎士たちを虐殺したにちがいない。


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