八番目の勇者(上)

(おれという男は、トロデ王と出遭って以来、妙な運命の神にとりつかれてしまっているらしい)
 自分の運命を、勇者の権兵衛自身がひらくのではない。
 見も知らぬ他人が、まるで運命の神の使い者のようにつねに忽然と、まったく忽然と――権兵衛のゆくてにあらわれては権兵衛の運命を変えてゆくのである。
(気がつくと暗黒神を追っかけている)
 われながら妙だ、と権兵衛はいつもゼシカを抱くたびに思うのである。

 ギャリング邸はベルガラックにある。権兵衛が訪ねると、知らぬうちに仲直りしていた兄妹はいっさい心得ており、部屋をあけてくれた。ラプソーンのゆくえも調べてみるという。
「それまでカジノでもしていてくだされ」
 というあいさつであった。スリーセブンを3回出してゼシカにグリンガムの鞭を買い、さらにはやぶさの剣ではぐれメタル狩りの準備をととのえたところ、町内に魔物があり、さいわい大事にいたらなかったが、それでも用心棒が二、三解雇された。
 このさわぎがおさまったところ、権兵衛の部屋へ帳面をひとつ掴んで入ってきた男がいる。背はおそろしく低く、豹柄の派手な衣服を身にまとっていた。
「うちが魔物に焼かれた」
 と、この男はいった。
「なあに、屋敷などなくてもこの帳面があれば大丈夫だ。尊兄、どうだ」
「どうだとは?」
「会員にならぬか、ということさ」
(……もしや)
 この男はラパンではないか。権兵衛はうっかりしていて忘れていたが、ベルガラックの南にラパンハウスというものがあり、そこの主人はキラーパンサー気違いだときいている。
 ラパンは話しだすとなかなか能弁だった。
 この男によるとキラーパンサーとはよほどおもしろいものらしい。キラーパンサー友の会の会員は、商人か冒険者である。馬車で進むよりもずっと早く進み、旅がはかどる、とこの男はいった。
「どうだ、おもしろかろう」
(世の中にはいろんなやつがいる)
 すでに神鳥の魂を入手している権兵衛には、キラーパンサーなど役にも立たぬが、その涎をふき畳をたたいて話す話しぶりが可笑しくて、飽かずに見入っていた。
「自分には、大望がある」
 と、権兵衛はいった。
 ラパンはきらりと顔をあげた。大望、という魅力に富んだ言葉の、その内容が聞きたくてうずうずしている顔つきだった。
「どんな大望だ」
「それは」
 暗黒神を殺すことだ、と権兵衛はひくい声でいった。
 ラパンは、みるみる失望を顔にうかべた。
「そんなことか」
 よほど失望したらしく、頭を枕につけ、そのままごろりと背をむけてしまった。ラパンにはそういう露骨なところがある。
 権兵衛は、無言でいた。

 権兵衛の隣の部屋に、ギャリングの養女ユッケが臥ている。その娘の脛を権兵衛は白々とめくった。
「辛抱せい」
 娘の耳もとで囁いた。この鬼畜さは、以前の権兵衛とかわらない。
「すぐ、済む」
 屋敷の中とはいえ、奉公人や用心棒が数多くいる。隣の部屋では、用心棒らしい娘が寝ている。なにかに魘されているのか、しきりに、「すぽーん!すぽーん!」と叫んでいる。気づいているのかもしれない。
 我慢づよい娘だ。
 ひょっとすると、突如現れたこの奇妙な勇者に、おびえきっていたのかもしれない。
 半ばごろになってから、やっと、
「困ります」
 と、権兵衛の耳もとで囁いた。可憐な声だった。権兵衛は無言で体を動かしていた。
 が、やがて、
「困る、といっても、すでに始まってしまったのだ。終わるまで辛抱してもらうよりほかはない」
 と、しかめっ面でいった。
 ところが娘は、意外なことをいった。
「いつ終わるのですか」
 権兵衛はだまっていた。この娘が風変わりなのではなく、権兵衛という勇者の存在が、娘のなにかを狂わせているのだろう。
「もう、すぐだ」
「どうぞ」
 とまでは言わなかったが、言いかねまじい自然さで、娘は可愛くうなずいた。
 やがて事が、おわった。権兵衛は受精の義務を果たした無邪気な魚のように横になった。魚が横になるかどうかは分明ではないが、勇者は人間の道徳から解放されている点では、鮪かさばに似ていた。

 翌朝、権兵衛はベルガラックを出た。
 日暮前に、サザンピークについた。ここからやや海よりの上空に、暗黒魔城が浮いているという。
 なぜか無人になっている大臣の屋敷にとまった。やがて日が落ち、部屋が暗くなった。権兵衛はやむなく蝋燭に火をつけようとしたとき、扉がひらいた。
「あなただったのか」
 権兵衛は、つぶやいた。意外な相手だった。エルフのラジュがそこにいる。
「わけは、存じておりましょう」
 権兵衛はだまった。三角谷になにが起こったのか、知らなければきくべきであったが、このとき、それについてのどういう好奇心も湧かなかった。なぜここにきたのか、口がある以上きくべきであった。が、権兵衛はきかない。この大臣屋敷にいる人物がラジュであるとわかったとき、権兵衛の頭脳は停止した。衝動のみが、起こった。
(このエルフを、抱きたい)
 ラジュは、権兵衛を睨みすえている。
「そなたが、チェルスを殺した」
(そのとおりだ)
 と権兵衛は、うわのそらで思った。権兵衛さえいなければ七賢者の末裔すべてが殺されることはなかったであろう。もっと早く行動していれば、ゼシカの兄は助けられたろう。出しゃばらなければ、杖はハワードを末裔と思いこんで殺し、チェルスは助かったろう。勇者がよけいな手出しさえしなければ、杖はマルチェロの意志の下にありつづけ、暗黒神を復活させることはなかったろう。
 しかしいまは、それよりもこの娘を抱きたい。
 そのとき、鏡台がひらいた。同時に黒い風のようなボストロールが鏡をかけぬけたかと思うと、部屋に躍りあがった。そのときは右手にふりあげた棍棒が、ほとんど権兵衛の頭上にあった。
 びしっ
 と血潮が飛び、闖入者の体が跳ね、弾みをつけて倒れた。胴が、真二つになっている。
 斬ったとき、権兵衛はそこにいない。いま一匹を斬った。なにも考えていない。動物的な衝動が、権兵衛にそれをさせた。その同じ衝動が、娘を抱きたいと思った。勇者にはつねに衝動しかない。
 その娘は、ボストロールの死体のそばで、気絶してころがっている。


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